徳ちゃん繁昌リポート

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「生涯現役」父みたいに充実人生を送りたい

2012年06月18日 | ひとり言
昨日は「父の日」、亡父の十三回忌法要の日でもありました。父も知らない新しい家族(孫の連れ合いやひ孫達)も増え久しぶりの顔見せとなりました。84歳で他界した父の座右の銘は「生涯現役」、もっともっといろんな知識やアイデアを授けてほしかったし、長生きして書き続けて欲しかったものです。

養母に育てられ丁稚奉公など辛い幼少期を過ごした父、戦争に2度も召集され満州暮らしの頃は警察官だったとか。激動の時代を生き抜いた父、戦後引き揚げて消防官になり、そして土地を買い自力で家を建てるまでに。そうそう、その頃からの楽しみは書くことだったようです。退職後に好きが講じて新聞社の編集局長へ、その間、講談社や文芸春秋、角川文庫など等入賞や表彰を繰り返しついには執筆依頼。昭和天皇から叙勲を頂いたり、尋常小学校出身が大学(九州大学)で講義するほどに。波乱の人生をたくましく生き抜いた父、年老いても若い者に負けないぐらいの熱いものを持っていましたね。晩年も書斎に隠って執筆活動に明け暮れる毎日、他界する直前までペンを置くことはありませんでした。テレビでも全国放送された「小さな柔道着」、父の遺作となった「コタンの花嫁」など数々の傑作はいずれも自らの体験談をモチーフにしたようで繊細な言葉づかいや表現力など真似できない才能で今も我が家の宝物になっています。
末っ子で要領だけは良かった私でもいつも父だけには見透かされているようで一番怖い存在でした。そんな父を説得したのは43歳の脱サラ宣言、自らの意志で選んだ経営コンサルタントの道ですからそれ以来、弱音吐くことも許されなかったのです。

父の口癖は「子孫のために美田を残さず」、知人は有り得ないと言いますが、兄と決めて遺言通り10年程前に自宅と敷地、土地すべてを市に無償で寄付しました。父がゼロから人生のスタートを切ったように。
いつ何どきも自分流に、空想と奇抜な発想の世界に身をおき書くことで生き様を表現し続けたひとりの作家は今でも私の大きな目標でもあります。この歳になってつくづく思うのは、晩年の父みたいに好きなことに没頭できる充実人生を送りたいってことですね。


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