近日中に天皇陛下がご訪問される、
パラオ・ペリリュー島・・・!
戦後70年経っても、
その詳細は知られていない。
隠されていたからである・・・?!
狂気の戦場“忘れられた島”とも語られるが、
果たして??!
直近に、当地海底で、中共の五芒星旗が、
旧日本海軍の沈没船に括られるという事件があった。
犯人は知れないが、
それだけ注目を集めているという事であろう。
今は、取り払われて、無いようである。
今、この機会にこの場所の”今は亡き英霊”のことを忍び、
記憶を呼び起こすことは、意義がある。
ほとんど詳しく知られていない戦場である。
斯く言う自身もそうであった。
しかし、
ご高齢の陛下は、押して赴かれる。
その意味は、小さくはない。
太平洋戦争(大東亜戦争)の真実が、
啓かれる契機となるだろう。
それにも増して、戦争とは常に悲惨である。
殊に、ペリリュー島激戦は悲惨であった。
その詳細は、動画に明らかであるので割愛するが、
重要なことは、
アメリカ海兵隊の壊滅、ほとんど全滅戦であったという点だ。
それ故、長く伏せられた。(※60%の損失は壊滅を意味する。)
戦意の鼓舞どころか、厭戦世論を喚起するからである。
その後、
戦術的に火炎放射器、焼夷弾、やがてはナパーム弾として、
ベトナム戦争にまで続く焦土作戦が展開される契機となったものである。
焦土作戦は、それほどに相手の脅威を認識するが故の戦術である。
そして、
そこまで至ると、
戦況は残虐悲惨を極めるが、最終勝利は限りなく程遠くなる。
終わりなき戦場の展開である。
結果、
最終的にはベトナム戦争では、
米軍は撤退し、敗北した。
本土決戦に至らなかったのは幸いである。
しかし、歴史に「もしも」という言葉はないかもしれないが、
それに至った場合は、勝敗は判然としない。
それほど、ペリリュー島激戦は圧倒的な戦術的意義が見出されるのである。
これは戦争賛歌ではない。
戦争は常に悲惨である。
しかし、その追悼と意義を認めることは別のものだ。
悲惨の裡に倒れた英霊は、今も彷徨っていると考えられる。
それを称えることは、後世の日本人としてせめてもの務めである。
どこの国でも、
どんな戦争でも、
兵士たちは、その義を信じて散っていくのであって、
その追悼を営むのは後世の子孫たちでなくて、誰がそれをするであろうか?
人生とは、
この世ばかりではない。
どんな苦難もこの世の人生ドラマであるからして、
その魂たちの終幕にカーテンコールを送るのは、後世の人々の最低の礼儀である。
日本は、
今、このことを忘れているとしたら、
無情の民と言われかねない。
又、
悲惨であれ、悲劇であれ、歴史の真実である事には変わりない。
そこに真剣に生きた英霊が存在したことは疑いがない。
そして、
その多くは、日本を愛し、家族を愛し、
そのために散って逝ったことは間違いがない。
ペリリュー島 攻防戦・時間稼ぎ戦術