飄(つむじ風)

純粋な理知をブログに注ぐ。

暴かれるか、日本航空123機墜落事故の真相?!70

2011-10-20 16:19:18 | 123

本家ブログ『(新)日本の黒い霧』さんの情報
フィリピンから精力的な更新!

折れなかった垂直尾翼!! 第70弾



 これが核心的見解に近い。


 ダッチロールもなかったんだ。全ては何かを避けるための回避行動と言うことになる。何かとは追尾する戦闘機だろう。その攻撃を避けるために元航空自衛隊の機長は必死の回避行動を取っていたことになる。


 大型航空機は、一発のミサイルでは簡単に撃墜はされない。

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<記事には無関係:温浴への誘い!特別頒布実施!!


 勿論、これは仮説であるが、その後の不可思議な飛行経路と緊迫した交信内容は、その為かも知れない。大体、『スコーク77』発信そのものが、異常であり、要撃対象機であることを告白している。


Photo

<記事には無関係:放射能フリー野菜への誘い!

 

 その直後に、日航機123便は、日米の戦闘機のスクランブルを受け、用援護対象機になったものと思われる。それは理由があったのだ。攻撃の事実がなければそうはならないだろう。


 最初の一撃があって、僅か7秒後『スコーク77』発信があった。すでに要撃を予測していなければ、そうはならない。そして、その時、高々度ではなかった。だから、酸素マスクも必要なかったのだ。


 と言うことは、それより以前から、回避行動に入っていたことになる。低空に飛行していたのだ。しかし、避けることは出来なかった


 『スコーク77』発信後は、スクランブル機の指示に従わなければならない。その指示に対する応答は、

1.了解、指示に従う
2.指示に従うことはできない
3.指示を繰り返してください
4.自機の現在位置がわからない ← リクエストポジション
5.○○に着陸したい
6.降下したい

の選択肢しかない。


 誘導され、横田基地に着陸体勢に入ったが、何かの事情で無理矢理御巣鷹に誘導され、最後の回避行動に強いられた。垂直尾翼が折れていては到底、そのような飛行は出来ない。これは単なる推測である。

 


【転載開始】

JAL123便墜落事故-真相を追う-折れなかった垂直尾翼(3)

2011-10-13 19:14:39 | JAL123便墜落事故
時々、他の123便真相究明関連サイトを読ませていただきますが、未だに次の点で止まったままの議論が多いようです。

 (1)ボイスレコーダ(CVR)/フライトレコーダー(CFR)の検証
 (2)アントヌッチ証言による米軍の墜落場所発見と日本側の不作為
 (3)上記(1)(2)を総合した自衛隊標的機の衝突および隠蔽説

(1)については「折れなかった垂直尾翼(1)」 で、犠牲者の小川さんが機内で撮影した写真の解析から、発表されたCVR/CFRが写真の示した事実を反映していない、つまり改竄の可能性が極めて高いこ とを指摘しました。また、(2)についても御巣鷹事変当事者である米国軍の発表であることから、その事実性については十分な注意が必要です。ただし、それ まで沈黙していたにも拘らず、事件から10年近く経過した後に、なぜこのような情報を出してきたのか、その政治性については分析を加える必要を感じます。

(1)、(2)がもはや信頼性を欠いている以上、この議論を基礎とした(3)の仮説はあり得ず、また、相模湾が海上自衛隊の訓練海域でないこと、加えて、 当時、高度7000mの飛翔物を落とすような艦上装備がない以上、この高度に標的機を飛ばす理由はないことから、標的機衝突事故説が極めて信憑性に欠けた 妄説であることは「自衛隊説を切る(2)」ですでに解説済みです。 よく言われる「オレンジ色」の物体についても、この色の破片が墜落現場から山ほど見つかっている事実があります。その一部はミサイル片であり、また軍機の 装備品であったり、「オレンジ色」というだけで、それが何かと特定するのは極めて難しい問題であることは、ここにつけ加えておかなければなりません。

私たち日航機事故調査チームは現場調査を重要視し、出来る限り物証を押さえることで真実に迫ろうとしています。そして、これまでの調査結果から日航機事件 には想像を超えた複雑な背景が隠れていることがわかってきました。ただただ報道記事の抜き出しをつなぎ合せただけでは、陳腐な「自衛隊標的機衝突説」を考 え付くのが関の山でしょう。真実は現場にしかありません。改竄されたCVR/CFRを聴いて、信じて、涙し義憤にかられているようでは、隠蔽する側の思う 壺なのです。123便の真相を求める人々はこの点を強く認識するべきです。


■尾翼破壊:事故調査報告書を再度検証

運輸省の事故報告書では、123便は相模湾上空で圧力隔壁と垂直尾翼の破壊が発生したとなっており、その証拠の一部として、相模湾海上で海上自衛隊艦「まつゆき」が回収した垂直尾翼周りの部品が付図に掲載されています。まずは、以下に報告書のキャプションのままにその写真を転載しますので、まずそれをご覧になってください。

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写真1:海上から回収されたAPU空気取り入れダクト

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写真2:海上から回収された垂直尾翼の一部(1)

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写真3:海上から回収された垂直尾翼の一部(2)


これらの写真をご覧になって、何か変だと気がつかないでしょうか?写真2、3はともかく、写真1はどう見ても大きな金属の塊にしかみえません。また、高温 となるAPU(補助エンジン)のダクトであれば、FRPやプラスチックが使用されていたとは考えにくいです。この金属様の塊が海上を浮遊していたというのはあまりにも無理があります。

この点について国際軍事評論家のB氏にお話を伺ったところ、次のような説明を頂きました。

「海上での航空機事故の場合、基本的に、アルミのような軽い金属でも沈むものと考えるのが普通です(*1)。浮かぶのは木片やプラスチックの類に限られま す。その意味では、写真1のダクトは当然沈みます。また、写真2、3の垂直尾翼の一部も極短時間ならともかく、そのまま浮いてるはずがありません、こちら も当然沈みます。」

B氏の見解は、上記の写真に写った尾翼周辺の構造物全てが、海上で回収されたというのはおかしいというものです。この説を少し押し進めると、これらの回収 物は海上以外のどこからか調達したという結論に至ります。それはどこなのでしょうか?模造品でなく、実機の破片を写したというなら、それは123便の墜落 現場、御巣鷹の尾根周辺としか考えられません。

*1 アルミも沈む:1円玉を真水に浮かすことはできますが、それは1円硬貨の形状により浮力が生じるためです。


■陸揚げ地がなぜ館山港なのか?

軍事事情に詳しいB氏は、これらの回収品が海上自衛隊基地に隣接する館山港に陸揚げされた点についても疑問を呈します。

「館山の海上自衛隊基地は航空隊の基地です。確か、専用の港湾設備もなかったのではないでしょうか。海上自衛隊艦船が回収物を陸揚げするなら、東京湾浦賀水道の反対側にある横須賀基地を選択するのが順当な考えです。

(しばし沈黙)

そうか、横須賀基地を共用している米国海軍に情報を取られたくなかったんだな・・」

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写真4:千葉県館山市の海上自衛隊基地(出典:Google Earth)
    右に隣接する港は一般港湾の館山港

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図1:横須賀基地は館山港のすぐ近くだ(出典:Google Map)
   順当に考えれば都心にも近い横須賀を選択するはず

以上に加え、B氏は、当時試験航行中の「まつゆき」が、試験航行中故に正式に海上自衛隊本隊の所属ではなく、自衛隊の装備課(現装備施設本部)の管轄下に あっただろうという点も指摘しています。これが大事な点なのですが、「自衛隊」というとどうしても一つの組織として私たちは捉えがちですが、現実には 「陸」と「海」では組織体として天と地ほど違うという事実(相当に仲が悪いという事実も)は、B氏が常々語っていることです。第二次大戦後、一時は解体さ れた大日本帝国陸・海軍ですが、自衛隊が再編されることになっても、組織体としてのカルチャーはそれぞれ別に継承されていると考えるのが順当だということ です(*2)。

その考えに従うと、館山港への寄港および陸揚げは、自衛隊内の中央組織によって決定されたことになり、そこに「陸」「海」のどちらの意思が強く働いていた かと考えるのが重要になります。米国海軍と親和性の高い海上自衛隊が敢えて横須賀帰港を避ける決定をするとは考えにくく、館山の海上自衛隊基地と関連があ るように見せかけながら、敢えて一般港湾に陸揚げさせ、米国海軍の監視をかいくぐるその手口から、館山寄港には「陸」の意向が強く働いていたとみなすこと ができます(*3)。

*2 陸と海:「空」については旧陸軍航空隊の継承組織と考えることができます。よって「陸」に含まれるとみなして間違いありません(B氏)。

*3 陸の意向が強い:「自衛隊標的機衝突説」での悪者は海上自衛隊です。この説の流布自体に情報撹乱の意図が見え隠れしますが、同時に「海」に対する「陸」の敵意も透けて見えます。


■目撃証言:墜落直前まで垂直尾翼は残っていた

確か、米田憲司氏の「御巣鷹の謎を追う」(宝島社 2005)だったと思いますが(*4)、そこには長野県川上村で「鶴マーク」を付けたジャンボ機が低空 飛行しているのを目撃したとの証言が書かれていたと記憶しています。著者の米田氏は、垂直尾翼の大部分は脱落していたはずで、この証言は何かの勘違いだろ うと結論付けています。

本書を読めばよくわかるのですが、米田氏ほど本件をよく調査された方でも、捏造されたCVR/CFRの呪縛に陥っており、圧力隔壁破裂が原因かどうかは別 として「折れた垂直尾翼」という前提で全体を推理しています。よって、「鶴マーク」の目撃証言がそのシナリオに合致しない以上、「何かの勘違い」と推論せ ざるを得なかった事情も理解できます。

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写真5:123便(JA8119)の垂直尾翼に描かれた大きな「鶴マーク」

多くの真相究明者が「折れた垂直尾翼」説を信じるもう一つの証左は、東京都の奥多摩で撮られたという、尾翼を欠いた同便の写真(写真6)です。これは当時、一般報道でよく放映されていただけではなく、事故報告書でも尾翼が脱落した証拠写真として採用されています。

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写真6:尾翼が欠けていると問題の証拠写真
    確かに尾翼が欠けているように見えなくもない。実際に
    これだけ欠けていたら「鶴マーク」は見えないだろう

頭から何でも否定するのはよくないかもしれませんが、嘘・捏造何でもありの本件に関しては、よほど注意する必要があります。写真6についても、画像は不鮮 明であり(かなり引き伸ばしているでしょう)、被写体はシルエットだけ、非常に手が入れやすい写真とも言えます。また、そのような作為がなかったとして も、上空の雲の状態で機体の一部が隠れてしまうことは頻繁に起こることだと想像されます。私は、この写真の信憑性は高く見積もっても50%程度、真偽半々 と見ています。

一方、「垂直尾翼は折れていなかっただろう」と推論することは、これまで調査収集した事実から十分に説明可能です。

 (1)不自然な海上回収物(模造品か墜落現場からの輸送)
 (2)墜落現場近くでの「鶴マーク」目撃証言
 (3)相模湾上低空域での旋回飛行(参照:折れなかった垂直尾翼(2))

(2)については、次のような補足説明も可能です。123便は相模湾上空で異変後、静岡、山梨、埼玉、など各地で目撃されていますが、S字蛇行など、航跡 の不自然さは指摘されていても、機影に関する指摘は皆無です。写真6の示すように垂直尾翼が大きく欠けていれば、航路正面からその機影に臨まない限り、そ の異変に嫌でも気がつくはずです。

(3)に関しては本シリーズの前回の記事を参照していただきたいのですが、大手掲示板に次のような興味深い書き込みがあったので参考までに掲載いたします。相模湾上における低空での旋回と「鶴マーク」の存在、どちらも私たちの推論と上手く合致します。

-------------引用ここから----------------
何で、こんなに拘るのかといいますと信じてもらえなくても構いません。
あの日、湘南で泳ぎ『湘南台』という小高い丘の景色の好いスポットに
いました。
「あれ?飛行機が低空で飛んでる。この辺、厚木基地が近いから?」
「それにしても変だよね、飛行機のお腹がこんなに近くに見えてる」
「あれ?あっちへ行ったと思ったらまたこっちへ飛んできたよ?」
「グルグル廻ってるみたい!鶴丸見えた!」
当時、携帯電話などなかったので家に電話。
「今ニュースで、日航機が行方不明だって。」
私達が見たのは、もしかしたら…
その晩から、眠れませんでした。
-------------引用ここまで----------------
(出典:http://read2ch.com/r/ms/1306480683/)

以上の推論を以って、私たちはこう結論付けます。「垂直尾翼は折れていなかった」、そして、「墜落直前まで操舵できていた可能性は高い」と。


*4 出典について:現在、海外避難中の身であり、手元の資料が限られるため、正確な出典を示すことが困難な状態です。本記事はコメント欄の入力制限を緩和しま すので、出典の誤りや、本記事に関する新しい情報があればご記入ください。ただし、情報工作に対処する必要から、基本的にコメントは公開いたしません。ま た、改めて制限をかける場合もあります。なお、重要コメントに関しては記事中で返答したいと思います。


■沖合いを埋め尽くした捜索船

これもまた出典を失念したままで申し訳ないのですが、事故当夜以降、大量の捜索船(漁船なども含む)が伊豆東南部の沖合いを埋め尽くしていたという、現地旅館の宿泊者の証言があります。

これが事実だとすると、「折れなかった垂直尾翼」という我々の推論と少し噛み合わない点が生じます。それは何かと言えば、尾翼破損がなかったかもしくは極めて小規模のものであったとすれば、偽装工作とはいえ、そこまで大量の捜索船を出船させる必要はないからです。

しかし、この証言を読んだ限り、当局が少なくとも海上で何かを必死に捜し出そうとしていた気配が感じられるのです。「折れなかった垂直尾翼(2)」で推察したように、123便は何かから逃げるように相模湾上を旋回しています。また、爆発音や煙も目撃されています。ここから導かれる一つの推論は、

「相模湾上で戦闘行動が発生した」

というものです。そして、捜索活動の規模から、123便の機体破片や使用されただろうミサイル類の破片などとはまた違う、重要な物体、例えば撃墜されて着 水した戦闘機などの探索回収が本来の捜索目的であっただろうと推察されるのです。すると、「圧力隔壁破壊説」という従来説は、123便の事故原因だけでな く伊豆沖での捜索活動をカモフラージュするための口実として創作された可能性が極めて高いと結論付けられるのです。

私は、戦闘行動の末、伊豆沖の相模湾に墜落した戦闘機は旧ソ連空軍のMIG-25ではないかと推測しています。そして、落とされた戦闘機があるなら、落と した側の戦闘機も同じ空域に存在したはずです。もちろん、その結論に至るまでは、推論の中でまだ幾つかのステップを踏む必要があります。本シリーズでは、 そのような状況が発生した必然性について、私の知る限りの情報を紹介していきたいと考えています。

御巣鷹事変は相模湾上空で既に始まっていたのです。

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写真7:伊豆下田白浜海岸沖
    この周辺の海域が捜索船に埋め尽くされたという


 * * *


123便の墜落事故といえば、一般には群馬県の御巣鷹の尾根が最も注目されています。これまで、本ブログでも軍機破片の発見報告など、墜落現場における検 証が大勢であることは否めません。しかし、本記事で取り上げたように、相模湾上空での異変はそれに劣らず重要な意味を有しています。

房総半島の館山から始まり、三浦半島から伊豆半島の先端部下田まで、そして沼津・清水・焼津など静岡県東部にかけて、日航機事故調査チームの現場取材は群 馬県の墜落現場とほぼ同等の時間を海側の調査に割り当てています。そして、私たちの調査を常に妨害しに現れるクロカモ(*5)も、群馬・長野両県の山間部 に劣らず激しい勢いで私たちを襲ってきました。特に伊豆半島東部・中央部での出現頻度は驚愕すべきものがあり、同時に、伊豆半島こそ彼らが最も知られたく ない「何か」がある場所だと直感しています。

直感と簡単に述べてしまいましたが、それは123便の関連事実だけでなく、日本の闇組織「クロカモ」のルーツにつながる重要事実と関連しているだろうと概 ね想像はしています。古代日本から現代に至るまで、歴史上の支配機構の背後で暗躍してきた、まさに「King of 日本の黒い霧」と呼ぶべき彼等の出自が、123便の真相究明をきっかけに、これから益々明らかにされていくことでしょう。


*5 クロカモ:(毎回同じような説明で恐縮です)私が命名した日本の闇組織のこと。本ブログではこれまで「国営テロ集団」と呼んでいた。国際的な軍産複合体で もあり、天皇家・政府・官庁(自衛隊や警察も含む)・企業・暴力団・宗教団体など、あらゆる組織にその分子が潜入し、実質的に日本を支配していると思われ る。組織体であれば当然だが、闇にも色々と派閥があるようだ。クロカモに強く対抗する存在「シロカモ?」もあれば、それとは別の本体と同調しない闇グルー プも幾つかある。あくまでも調査体験からの推測だが、私はこれらのグループを、仮に「ビマワリ」、「アリラン」と呼んでいる。もう少しはっきりしたことが わかってきたら、ここでお知らせしたいと思う。



その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。
CUM ESSET ERGO SERO DIE ILLO UNA SABBATORUM ET FORES ESSENT CLAUSAE UBI ERANT DISCIPULI PROPTER METUM IUDAEORUM VENIT IESUS ET STETIT IN MEDIO ET DICIT EIS PAX VOBIS
(ヨハネの福音書 第20章19節)

南の島フィリピンより
管理者 日月土

【転載終了】


聞き捨てにならない、未確認情報!!

2011-10-20 11:01:06 | 渡邉正次郎

別に江川紹子氏に恨みはない!!
ソースの原点は兎も角、2つの情報が合致すると言うことは、
検証が求められる!!
坂本弁護士惨殺、オウム事件には未だなぞが多い!!


 一体、オウム事件は何であったのか? 今回、深く立ち入るつもりはないが、多くの面で未解決部分がある。と言うより、最終的に隠された事件であろう。


 国松警察長官狙撃事件に到っては、陽動作戦の上、闇に葬り去られたと言っても良いだろう。


 オウム事件は、日航機123事件から連なる共通の闇を引きずっている。それは戦前から今だに続く旧軍部の暗躍と宗教カルトの結託した壮大な闇の繋がりだ。



【転載開始】重大告発!!重要ゆえ再度配信す!

オウム信者を“坂本弁護士一家殺害”に奔らせたのはこのジャーナリストだ!! 公開日:2011/10/04 00:00

 

 オウム真理教が人類史上、前代未聞の細菌テロ“地下鉄サリン事件”引き起こしたのは16年前の320日。世界中を震撼させたこの事件での犠牲者は6千数百人にも。

 

 が、これより6年前、オウム真理教を追及し続けた坂本堤弁護士一家三人がオウム真理教信者らによって殺害されていた(地下鉄サリン事件で逮捕された犯人の一人が供述し、その後、三人の遺体が発見された)。

 

 筆者は何故、オウム真理教信者が坂本堤弁護士一家を殺害したのかを追及していた。

そうしたある日、まったく面識のない新進党の河村たかし代議士から、

「坂本弁護士がオウムが知られてはならない重大犯罪を掴み、TBSテレビの『3時に会いましよう』で話した。そのビデオを見たオウムが警察の強制捜査を恐れ、TBSを脅して放送させず、告発した坂本弁護士を殺したんじゃないですか?」

 と言い出し、

「TBSの社長らを国会に呼んで追及したい」

 と。

 

 ここからが重大なんです。オウム真理教側が、坂本弁護士がTBSのワイドショーで“オウムが警察の強制捜査を受ける犯罪”を話したことを、オウム側が、なぜ、どのようにして知ったか?・・・それをオウム側にタレこんだのが、スーパーのバーゲンブラウスしか似合わない品の無い、貧乏育ちが顔と目と口に出ているジャーナリストです。

 

 そのジャーナリストは何故、自分の生活の糧のオウム真理教の犯罪の情報源

である、オウム側に売ったか。いつまでも坂本弁護士に頼っていては一人立ちできないのと、ジャーナリストの習性で、どうしても本元に食い込みたい気持ちが強くなるからです。

 

 だからと言って、本人は殺人まで犯すことはないだろうと、思っていたにしても、現実にこのジャーナリストのタレこみでオウムが弁護士一家3人を殺害したのは紛れもない事実。

 

 言葉に多少の語弊はあるが、オウムに殺人を誘導、または教唆した、と指弾されても反論はできません。それだけでなく、このジャーナリストはオウムで売れっ子になったことで、

「オウムの情報は自分以外にさせない」

という意識が異常に強くなり、オウムに発言する仲間のジャーナリストを片端から中傷して歩いたのです。長くなるのでこれで終えますが、このジャーナリストの顔を見てください。小意地の悪い目をしているでしょう。小さい目に眼鏡を掛けて。唾棄したくなる顔です。【転載終了】


現代の『天の岩戸』開きに挑戦するアメノウズメ塾!!⑪

2011-10-20 08:37:49 | ブログ

アメノウズメとは天宇受賣命、
あの天の岩戸開きに貢献した女神で、
岩戸隠れした天照大神を引き出し、
世に光を取り戻した神話である。その⑪


 amnouzumeさんの動画は、大分浸透してきたようである。その分、迷妄が啓けたと言うことで喜ばしい。そろそろ、当ブログの役割も相対的に低下してきたと観ている。


 結構なことである。


 今後の発展に期待したい。又、関心のある方には、拡散に次ぐ拡散を期待したい。中級編⑭がアップされている。掲載する。結局、9.11テロで、ツインタワービルにぶつかった飛行機は存在しないのだ。


 国防総省も又、同じだ。そして、墜落したユナイテッド航空の93便もその真偽は甚だ怪しい。