飄(つむじ風)

純粋な理知をブログに注ぐ。

ごもっとも!! 確かに最近の人間は狂っている!!

2010-08-04 19:01:53 | マドモアゼル愛

本当におかしな事が
罷り通っている!!
これでは全員パラノイア症候群と
云われても可笑しくはない!!



 パラノイア【paranoia】内因性の精神病の一型。偏執的になり妄想がみられるが、その論理は一貫しており、行動・思考などの秩序が保たれているもの。妄想の内容には、血統・発明・宗教・嫉妬(しっと)・恋愛・心気などが含まれ、持続・発展する。偏執病。妄想症。

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 正しく、これが現代社会の病巣である。多かれ少なかれ、誰しもその罹患に注意する必要がある。病名について専門家ではないので、これ以上、言及するつもりはないが、要するに精神的におかしな事が、大手を振るっている社会が今であろう。それを表現したいだけだ。


 自分が、少し恵まれていないから、他人が恵まれているのは可笑しいと考える。他人の不幸は自分の幸福ではないにしても、他人の幸福だけは許せない。こう考えているのは、精神的病変である。


 それが勝ち組、負け組思考にはある。

 いわゆる少数の勝ち組は、勝ち誇っているであろうか? そうではない。戦々恐々としている。何時、取って代わられるかという不安が常にある。勝ちは勝ちでも常に相対的であるから、上には上があるもので際限がない。



 畢竟、自分に近い競争相手と見比べて、安心したり、嫉妬したりする。一番誇りを満足させるものは、自分以下の負け組に対してである。他人の不幸は自分の幸福だ。そうなってくる。これは、明らかな病変兆候だ。


 これは病変であるから、本来のものではない。本来は『幼子如くならずんば、天国に入れず』と言った、イエスの金言に集約される。


 人間は、変に賢くなったのであろう。これを分別智と言われる。しかし、誰も自分の事を差し置いて、他人や周りのことばかり目を向けて、一喜一憂するところにある。それに強欲が加わると始末が悪い。


 人生は誰でも自分のためにあるはずであるが、他との比較競争になった。これが諸悪の根源だ。自分であって、自分を見失っているのである。だから、自分をも殺すことになる。自殺である。


 秋葉原で凄惨な事件があった。その裁判が今行われている。被害者の不幸は言うべくもない。加害者を許すことは出来ない。それは大方の人間の感覚だ。同時に哀れを禁じ得ないのは加害者の方であろう。一体、彼(加藤)はそれにより、何を得、何を失ったのか? おそらく、得たものはないであろう。

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 そして、確実に今生の人生を失うであろう。確実にその負い目を永劫に背負う事となる。背負いきれるであろうか? 死刑は間違いがない。自殺に等しい。仮に死んでも、魂があるのであれば、その魂の成長は失われた。最大の不幸者は、彼自身であることを本人は気づいていない。


 被害者やその遺族はその思いを巡らすことは、無理からぬ事である。しかし、周りの者はそれに気づかなければなるまい。死刑になったからと云って、それで一件落着とはならないのだ。精神的病変者を除いても、解決にはならない。


 詳しい事情は承知している者ではないが、彼の生い立ちを如何に弁明しても理由にはなるまい。彼の母親には彼と同等の負い目を負うことにはなるだろう。しかし、同様のにたケースは広い世間にはないとは云えない。そこで気づき踏みとどまる者は幸いだ。


 その意味では、彼(加藤)の最期の救いがあるのかも知れない。


 病める者には、介添えが必要だ。今、最大の病める者は、飽くなき勝ち組を目指す成功者とその元に打ちひしがれた負け組の最底辺の人々だ。両方に病変の兆しがある。これは確かなことだ。


 勝ちも負けもない、自分の人生にひたすらに生きる者こそ幸いである。そして、それは生かされている事実に気づくことが大切だ。実際、人間は生きているのではなく、生かされているのだ。蒔かず、刈り取らず、野に舞う鳥も、嬉々として生きている。そして、必ず、死を迎える。それは確実だ。


 何憂うことなく、死を迎える。何憂うことなく生を得たように、何憂うことなく死を迎える者こそ、健常者と言えるであろう。少なくとも精神的病変の欠片もない。



  

【転載開始】2010-08-02 19:51:14

どうしてくれるの、、、    2010年08月02日(MON)

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テーマ: あとになって、一体どうしてくれるの、、と思うことは多いが、口蹄疫も同様である。
 
日本を除くほとんどの国では、今後、口蹄疫が発生しても家畜を殺さないらしい。
理由は殺しても感染力が高いので蔓延を止めることはできないし、さらに言えば放っておいても、治るから。という理由。
 
九州ではすでに大勢の牛豚が殺されてしまった。
どうしてくれるの、、、である。
 
口蹄疫は治る病気なのだ。
そう、放っておいても。
 
私も最初からそう思っていたが、一度病気にかかるともう肉が細ってダメ、、、とか言っていた。
そんな馬鹿な、、、と思ったが、やっぱりだった。
 
人間だって病気のあとは痩せたりするが、その後はかえって元気になる。
牛や豚だって同じだと思うのだが。
 
全頭殺処分というのは、なんだかおかしな気持ちを抱いた。
しかもかかってもいない牛まで殺すというのは、なんだか、病的でさえあった。
 
放っておけば、全頭が確かにかかるかもしれないが、死ぬのは一部の子牛程度で、あとは治り、その後は一切、口蹄疫にはかからない。
免疫ができるためである。
 
今回の処置はあまりにおかしい。
問題あるものはすべて殺す、、、問題が生じそうな場合はすべて殺す、、、人は動物にやったことは、いずれ人間にも同様に考えるかもしれない。
 
問題を隠す、問題を敵視する、、こういうやりかたで的を得たものをこれまでに見たことがない。
この世に起こっているものは、そのほとんどが自然な災害のように見えて、実は人災である。
 
上に立つ人の無慈悲、無感動、人間性喪失、、それがもたらす人災で人類はいま苦しんでいる。
 
戦争についても、そろそろみんなも自分の頭で考えることだ。
戦争に正しい理由もへったくれもない。
すべてウソである。
 
戦争が回避できないことなどない。
起こそうとする人に負けない限り。
それには、個人個人がおかしいと思うことが早道である。
 
 
確かに戦争は経済を勃興させ、利益を生むことは確かである。
しかしその犠牲にされる方はたまったものではない。
 
誰が、自分の子供、愛する者を殺してまで豊かになりたいなどと思うだろう。
外部の人ならそれでもいいというのだろうか。
 
 
戦争は、ついさっき、そこで楽しそうに遊んでいたあどけない子供を、頭を八つ裂きにし、腕を吹き飛ばして枝にぶらさげ、足を引きちぎって路肩に放り出す、、、ここまでするものに、正しい理由などない。
 
そんなことをするぐらいなら、人類が仲良くみんなで死んでいくほうがまだ正しい。
自分の子供がそうされるなら、誰だって豊かさなど求めない。
 
また、豊かさと云うのは、そうしたものを通さなければ達成されないものとも違う。
それは誤解である。
 
人類を減らさなくたって、豊かに生きていく道は色々ある。
それには、夢の技術や発明や発見を人類の手に戻すことによってだが、それをすると、特権がなくなるため、どうしても悲惨な形で一部が豊かになる道を選んでしまう。
 
はっきり言って、だから、99パーセントの人はだまされていることになる。
人類がみんなで豊かになる道はおおいにあるのだ。
 
一部のみが異様なほど豊かになり、他のほとんどが貧しい世界、、、という形での豊かさを求めるので、こうした悲惨が必要になってくる。
要するに神経症的問題なのだ。
 
心がゆがむと、自分だけが豊かになるのではダメで、他の人が貧しい、、、という形を求める。
愛情に問題を抱えて人も同じで、自分だけが持てることが大事で、それには、他の人がもてないことが重要になる。
 
自己実現的であれば本来は、自分が豊かであるように他の人も豊かでありますように、、、となる。
自分に愛する人が与えられたように、他の人にも愛する人が与えられますように、、、となる。
 
それができないのは、神経症であるからだ。
現代は神経症を理解しなければ世界の実態を理解することはできない。
 
心がわからない経済学者には、経済がわからなくなっている。
心がわからない医者には、人間の健康がわからない。
心がわからない経営者には、金の流れがもうわからなくなる。
 
どのような大企業でも例外ではない。
システムを得て、その流れに乗ってまだ儲けられはするだろうが、そのシステムを構築したはずの土台が動き出している。
 
ある日突然、システム不能が襲うことになる。
その際、心がわからなければ平社員と同じ働きしかできなくなる。
 
意識の低い平社員に何千億以上の判断をゆだねても先は見えている。
なので、大企業もいずれジエンドとなる。
 
そんなに先のことでもない。
それがいやなら、本気で自分の頭で考えることだ。
 
まっさきに考えることは、目の前でさっきまで楽しそうに笑っていた子供や少女や愛する人の、腕がもぎれ、足が飛び散り、目がくりぬかれ、内臓が飛び散っていることを、心底、おかしいと思うことだ。
これまでのことをして、人類が欲しがるものなど何一つもない、、、と、はっきりと気付くことである。
 
そうしないと、色々な理由をつけて、そうした悲惨な出来事を正当化され、戦争を起こされていく。
そういう馬鹿なことを、はっきり馬鹿なことだと認識することである。【転載終了】


Webサイト(ホームページ)構築のすすめ!!③

2010-08-04 14:02:15 | Webサイト

サーバーの選択
サーバーとは
そもそもインターネットとは?



 サーバーの選択は重要である。この事を知ったのは、これまで何度もWebサイト(ホームページ)作りに失敗しているからだ。

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<航空ショーでの墜落:記事に無関係>
  


 云うまでもないことだが、サーバがなくてはインターネットのWeb網に参加することは出来ない。パソコンはその言葉通り、パーソナルコンピュータのことで、自分の道具(ツール)に過ぎない。


 只、接続業者(プロバイダー)を通じて、インターネットの網の中に参入できている。そして、誰でも居ながらにして、ネット上の情報に触れることが出来るのだ。こんな事は釈迦に説法であろうが、案外、知らずにネットを利用している人々も多い。


 投稿者の細君など、その典型であるから、相当数に上るはずだ。


 それでも不都合はない。


 結構、ショッピングや情報検索を楽しんでいる。殆ど、投稿者のブログは見ていないはずだ。こちらもあまり奨めない。ヘタに覗かれると、あれやこれやの注文が多くなる。心配されることが多くなっては、こちらの自由言論が束縛される。


 話が逸れたが、(と、ここまで書いて、『ご飯ですよ!』のタイムで、うっかり、enter keyを押してしまっていた。朝、気づいたらそのまま公開されていた。『下書き』設定を抜かったのだ。お恥ずかしい。ステテコ一枚で人に見られた思いがするが、そのまま、書き続けることにした。)


 

話が逸れたが、の続き→ インターネットで、情報を受領する場合は、それだけで良い。これは云わずと知れたことだ。しかし、発信するとなると状況が違ってくる。ブログでもそうだが、
どこかのサーバーにその情報を転送しなければならない。



 
ブログの場合は、多くのプロバイダーサイトが、ポータルサイトとして、ブログ専用のサーバーをレンタルしてくれるから出来るのである。結局は、サーバーをレンタルしているのと同じ理屈だ。その意識は薄いが、結局はそう言うことになっている。


 ここで云う、サーバーというのは、意識的にサーバーをレンタルして、独自の発信情報基地をセッティングすることを云う。これがなければWebサイト(ホームページ)は出来ない。勿論、無料というわけにはいかない。その代わり、宣伝だの何だの他の影響とか、システム上の制約とかは全くない自由空間が与えられる。

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<航空ショーでの墜落:記事に無関係>


 そこが難しいところでもある。一から全部自分で準備しなければならない所が、難しい所であろう。全くの素人としては、そこでまごつく。投稿者もその一人であった。


 そこで、何とか近道を考えるの人情である。そこが落とし穴でもある。サーバーによってはそうした道具(ツール)を提供しているものもあるだろう。いくつかを調べたが、自由性に欠ける。


 自由であることは、何よりも安全をも意味する。サーバーと言えども何時閉鎖されるとも限らない。そうなったときは、いつでも乗り換えることを考えていないと、それまでの労力が大きく無駄になるし、危険でもある。


 そこで考えた。プロバイダーも多くは、サーバーのレンタルは可能である。しかし、多くはサブドメイン(プロバイダー契約時に付与される=ブログがそう)として、簡易に開設が可能だが、所詮は大家の元の借家人に過ぎない。


 やはり、一城一国の主にはなれない。独自ドメインでやりたい。サーバーはサーバーに限るのである。最初は小さくても良い。真の自由人としての情報発信者になりたい。こう考えているのは、投稿者ばかりではないはずである。


 そこで、あるサーバーを選択した。そこである必要はなかったかも知れない。しかし、処理速度、普遍性、拡張機能、その他いろいろ調べた。勿論、価格も重要である。


 価格であるが、専用サーバー(サーバー一台借り切り)は兎も角としても、昨今は需要と供給の拡大で価格はずいぶんと手軽になっている。これからもその傾向は一層促進されるだろう。記憶媒体が大幅に値下がりするのと似ている。

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<航空ショーでの墜落:記事に無関係>


 問題は、普遍性のある道具(ツール)の選択である。


 以前にも書いたが、市販のホームページビルダーでは脱落した人間だ。FTPまでは良いが、テーブルだの構成で上手く収まった経験がない。しかも、えらく手間が掛かる。ページの更新など大仕事だ。とてもではないが、素人ではろくなものは期待薄だ。


 だから、探すテーマは、『ブログの更新』の様に手軽に更新できるツールはないものか? と言うことだった。


 それがあった。


 これは本当に偶然であったが、求めるものは与えられんの摂理は生きている。googleアドセンスの一行の広告に目が止まったことから始まる。


 それが本ブログのウェブサイトを自分で作るでリンクして、お裾分けしている次第である。


 サーバーの選択は、その道具(ツール)が使えるところ、これで決まった。殆どのサーバーが使える。全部は知らないが、これからはインターネットのWebサイト(ホームページ)はその方向に移行する。これは確信である。


 後で知ったが、第三世代のWebサイト(ホームページ)の道具(ツール)であることは、間違いない。古色蒼然たるホームページビルダーの世界は終わるのである。

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<航空ショーでの墜落:記事に無関係>


 どこが違うか?


 昨日もWikiLeaksという、リークサイトがメディアで話題になっていたが、当然である。その話題は、いかなる既存のメディアよりも早く、そして、大量のリークを行っている。それはトップシークレットの話題をも含まれる。それが脅威となっている主旨であったが、当然と言えば当然である。


 Wikiだからである。


 Wiki(ウィキ)は、ハワイ語で早いと意味らしい。Wikipediaにお世話になっている方も多かろう。それも同じだ。これからはおそらくWebサイト(ホームページ)もWikiの時代に取って代わるだろう。それは確信できる。


 それは掻い摘んで云うと、ブログのようにいつでも、どこでも、パソコンをサーバーの端末機のように使って、自由に更新できると云うことだ。サーバーにはこれが使えることが条件になる。又、その様に移行している。絶対に間違いない。

 だから、WikiLeaksが今頃になって、注目される。今、権力者が一番恐れているのは、WikiLeaksだ。サーバーなんて、世界各国どこにでも散らしていれば、絶対にこれを封殺することは出来ないからだ。これで、情報統制は打破できる。

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<航空ショーでの墜落:記事に無関係>


 名前は忘れたが、その首謀者は元インテリジェンスだと言っていた。仮にその首謀者を抹殺しても意味がない。情報は共有されているから、意味がない。そう言う時代に入っている。


 Wikiには、さまざまなクローン(同一言語の異種)がある。詳しいことは知らないが、WikipediaもWikiだから、瞬時に更新されているのである。網、ヘタな百科事典の時代ではない。


 だから、サーバーを選ぶならWikiがシステム構築できるサーバーを選ぶことだ。悪いことは云わない。そして、できる限り制限のないサーバーを選ぶことだ。今言えることはその二つである。参考に宣伝ではないがタグを貼っておく。別にそれ以外でも良いが、早いし、安い。そして、制限がない。


 Wikiならば、ウェブサイトを自分で作るで確認されると良いが、最悪(最良?)無料だし、何しろ、教育が徹底している。投稿者のような素人でも、不安なく使いこなせるのがその証明である。確認するなら、

で、ご覧頂くのも一考だろう。まあ、本来の20%の機能しか使用していないのが現実である。しかし、その内、40%、70%に早晩なることは間違いない。そして、無数にWebサイト(ホームページ)が増殖する。勿論、本業にも活用する予定だ。


 長くなった。この辺で。