琉球新報 2011年3月31日 32面記事より ‐「久松五勇士」紹介 愛国心の事例で 新しい教科書をつくる会‐
【東京】 「新しい教科書をつくる会」(藤岡信勝会長)がまとめ、自由社(東京)から出版される、2012年度用中学歴史教科書に、戦時の愛国心の事例として宮古島の「久松五勇士」を紹介した。30日、文部科学省で会見した藤岡会長は「尖閣の問題や、日本の国防上の日米安保条約に関わる問題が生じており、沖縄はいろいろな意味で日本にとって大事な地域。戦時の愛国心の事例として、特に沖縄に関連する話をあえて選んだ」と述べた。「久松五勇士」が取り上げられたことに、久松を地元とする長崎富夫宮古市議は「なぜ今取り上げるのか疑問はある」と少々困惑気味な表情を見せた。
以下の解説はyaによる抜粋
★★久松五勇士★★ 日露戦争の時に、宮古の西北洋上を通過したロシヤ艦隊について、選ばれた5名の若者がサバニ(小型の船)で石垣の電信施設まで知らせに行かされた。石垣までは130キロメートル。1930年、1935年の海軍記念日で表彰され、教科書に「献身報国」の象徴として掲載された。(宮古郷土史研究会『宮古の史跡を訪ねて』より抜粋)
こういった「献身報国」教育のあげく、多くのいのちを犠牲にした。どんなにかっこいいことを言っても、宮古島では軍隊と住民の距離が近いので、どんなことをしていたかは生々しい語りぐさになっている。兵隊のやっていたことは、食料探しと朝鮮半島や中国や台湾の女性を性奴隷にしていただけ。多くの住民がそういう醜い姿を記憶している。(ya)