朝比奈峠をバスで越えて
報国寺と永福寺跡を訪ね、鎌倉歴史文化交流館へ
今回は京浜急行線で金沢八景で下車して、
鎌倉行のバスに乗り朝比奈峠をバスで越えました。(12月16日)
平成18年(2006)に朝比奈切り通しを歩いた時の感動を
思い出しました。
私達は鎌倉の七つの切り通しを全部歩きましたが
朝比奈切り通しは旧道がそのまま残っていて
一番旧観を留めていた切り通しでした。
今回は馬場先生が実踏をした時、岩道が滑りやすい事や
泥濘の深さにたじろがされ諦めました…と仰っていました。
2006年9月16日に朝比奈切り通しを越えて鎌倉東部
を歩いた時の写真を資料として森脇さんから頂きました。
懐かしいです。森脇さんは何時も当日欠席した方にこの様な
アルバムを作って馬場先生のプリントと一緒に
送っていたそうです。頂いた方も元気を貰った事でしょうネ~
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竹の庭として知られている報国寺の山門に着きました。
臨済宗建長寺派、建部元年(1334)に創建。
永享11年(1439)関東公方足利持氏が永享の乱で戦死、
子の義久は報国寺で自害した。これによって関東足利氏は亡び
報国寺は同士の終焉の地となりました。
鐘楼の背後には戦いの為に亡くなった方の
五輪塔や無縁仏が並んでいました。
竹林を渡る風を感じながら散策路を歩いた。
境内にある「やぐら」は家時と義久の墓と伝え、
足利一族の墓と云う百基近い五輪塔や宝篋印塔が残っている。
石仏の並んでいる表情にも哀れさを感じました。
報国寺を出て、道を少し戻りカフェレストラン・ゲンで昼食です。
ジューシーで美味しいイタリアンのドリアを頂いた。
午後は永福寺跡へ向かいました。
鎌倉女子大学の前を歩いた時、綺麗な空になったので嬉しくなって撮りました。
永福寺跡は整備工事が終わり全面公開されています。
池も復元されていました。
池越しに見る全観です。(鎌倉歴史文化交流館の資料より)
永福寺は源頼朝が文治5年(1189)に奥州平泉を攻めた後、
奥州藤原氏や源 義経など亡くなった数万の将兵の鎮魂の為に
建久三年(1192)に創建した寺院です。
東を正面にして全長が南北130mに及び全面には200m以上ある
池が作られていた事が発掘調査により明らかになりました。
正面が二階堂、右に薬師堂、左に阿弥陀堂が立ち並ぶ大寺院でした。
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壮大華麗な大寺院として隆盛しましたが室町時代の火災以降は
再建されず後に廃寺となってしまいました。
頼朝が最も思いを込めて創建した夢の跡です。
往時の風景を忍ばせる貴重な史跡になっています。
冷たい風の中を歩き鶴岡八幡宮の前に出ました。
遠くに古我邸が見えます。鎌倉の三大洋館建築の一つだそうです。
2015,3,17フレンチレストランとして開業しています。
夕暮れに孤高な佇まいの美しさが優雅に感じました。
早いもので今年も残すところ二週間余りとなってしまいました。
今年も皆様に助けられながら歩く事が出来ました。
有り難う御座いました。
新春一月は〝や・ね・せん”(谷中、根津、千駄木)あたりです。
来年も馬場ファミリーは歩きます。