師走の一日、高輪の萬松山泉岳寺へ行って来ました。
都営浅草線泉岳寺駅下車、
5分位歩くと中門が見えてきます。
何年振りだろう… 昔 上京した母と妹を
はとバスで泉岳寺へ行った時の事を思い出しました。
亡き母が時々口遊んでいた鉄道唱歌の
汽笛一声新橋を…出発した汽車が最初に通過する名所として
唄っていた「♪右は高輪泉岳寺四十七士の墓どころ
雪は消えても消え残る 名は千載の後までも…♪」と
そんな事を思いだして友達に話したら頷いていました~
友達のお母様も母と同年輩位の方の様でした。
中門
現在の中門は天保7年(1836)に再建されたもので
昭和7年に大修理を施されています。
山門
天保3年(1832)に再建されたもので戦災を逃れて
昔の姿を留めています。「泉岳寺」の額は普唐の
墨跡研究者であった大野約庵による書です。
本堂
旧本堂は戦災の空襲にあい焼失、
現在の本堂は昭和28年12月14日に落成した。
鐘楼
現在も朝の座禅の時と夕方の閉門の時に憧いています。
義士墓入口の門
この門は浅野家の鉄砲洲上屋敷の裏門で
明治時代に移築したものです。
長矩公夫人の墓と刻まれた墓誌が立っています。
隣りは四十七士を弔う墓所になっています。
大石内蔵助の墓
元禄15年12月14日雪の降る夜、吉良亭へ討ち入りをし、
その後本懐を成し遂げた赤穂義士は元禄16年(1703)
2月4日に幕命により切腹した後直ちにこの地に埋葬されました。
四十七士の眠る墓が並んでいます。
線香の煙が絶え間なく流れていました。
堀部弥兵衞と並んで磯貝十郎左衞門の墓がありました。
友達から12月14日は混むので少し早目に行きましょう、と
誘って貰いましたが、この日も多くの参拝者が訪れていました。
線香の香りが絶える事無く辺りを包んでいました。
オフィスビルが立ち並ぶ何でもない都会の風景が広がる中に
ひっそりと歴史の物語が息づいています。
帰りに中門の裏で頂いたあま酒が冷たい体を温めてくれました。