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団塊オヤジの短編小説goo

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「とおりゃんせ」について考える

2009-11-20 14:57:50 | 童歌

とおりゃんせとおりゃんせ Photo_9

ここはどこ細道じゃ

天神様の細道じゃ

ちょっととおしてくだしゃんせ

ご用のないものとおしゃせぬ

この子の七つのお祝いに

お札をおさめにまいります

行きはよいよい帰りは怖い

怖いながらもとおりゃんせとおりゃん せ

Photo_10 江戸時代の川越の三芳野天神(郭町(くるわまち)、三芳野神社)が発祥地。

三芳野神社は、川越城の築城前からあったそうで、それを太田道灌父子が城を築くとき、敷地に取り込んだ

神社横の細道が歌の舞台になり、川越城内の子女の間で歌われていたものが城下に流れ、武士や僧侶、町人たちによって江戸へ運ばれ、やがて全国へ広まって行った。

三芳野神社の天神さまにお詣りをするときは、(城内になっても、お詣りの人は絶えなかった)、行くときはいいが、帰るときは携帯品を何度も城の警護のものに調べられたので、「帰りはこわい」となった。

これが正しければ、全然怖いお話ではありません。

Photo_12 が、この唄の歌詞の由来は色々あるのです。その一説が「子殺し」なのです。Photo_11 Photo_7

貧乏な農家では、増えすぎた子供に困っていました。そこで口減らしに子供を捨てに行くという唄、と言われています。

飢餓でひもじい思いで死ぬのなら、いっそう親の手で殺してしまおうとする親の子殺しの歌。神社には天神様がおり、迷うことなく天国に導いてくれる。最後の「行き」は「逝き」で、「帰り」は「甦り(黄泉帰り)の意味

また江戸時代に関所を通る時には「手形」が必要でした。お札は「手形」のことと言われています。

手形を持たないものは関所を通れないのですが、親が危篤という場合、頼み込んで通してもらいました。

が、帰りは手形がないので帰れないということで「行きはよいよい帰りは怖い」と唄われたとも。

その他諸説あり。Photo_14

1. 天神様に七五三のお参りに行くときの歌。関所を通る時の通関の厳しさを歌った歌とも言われる。貧しい農村では、七つのお祝いしか行われなかったようです

2. 7歳になった子供をお札と一緒に天神様に連れて行く人身御供の歌。天神様の領域には生贄である子供しか入れず、用の無い大人は入れなかった。だから、行きはよいよい帰りは怖い(行きはあっても、子供には帰りは無い)

3. 「細道」が「産道」で、「ご用」が「生きる意志」、「行き」が「産まれる」、「帰り」が「死ぬ」とい意味で、母親の腹から産まれる時の歌。 Photo_8Photo_13

4. また「水子」のことを唄っているとも言われています。

5. 「行きはよいよい 帰りはこわい=帰りは疲れる、しんどい(方言:北海道ではそういいます。)

したっけ。

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