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月齢進行表

~aki's diary~

瞬発力

2007-07-14 17:21:09 | インポート
たとえば、仕事でセミナーの講師をする時、私は事前準備にとっても時間を費やす。
テキストや資料を見ながら、どのタイミングでどんな話をするのか、受講生にどんな投げかけをするのか、およその時間配分はどうするのか、なんてことを結構事細かにシナリオにして、それを何度も何度も読み返して流れを頭の中に入れる。いわゆる「作り込み」の作業に手間ひまをかける。
でも、セミナーなんてものは、受講生によっていくらでも流れは変わってしまうものだし、こちらの思惑通りに進行できるセミナーなんてあり得ないと言ってもいい。
だから、事前準備で作り込んで、徹底的に作り込んで、本番ではシナリオを捨てる。
つまり、最後は「出たとこ勝負」になる。
それなら事前準備なんて必要ないじゃん、と思われるかもしれないが、実は「出たとこ勝負」に出るためには、それなりの基礎が必要だ。なーんの土台もないまま「なるようになる」と思っても、なんともならんのが現実だ。

最近、それってバンドのライブと一緒だなぁと思った。
何度も何度も同じ曲を練習して、自分なりに詰めるところは詰めて「もう大丈夫!」と思うけれど、練習通りの演奏で本番ができたことなんて、まずもって一度もない。(ヲイ!)
もちろん、それは練習不足もあるんだろうけれど、根本的に「ライブ」と「練習」は別モノなんだと思う必要があるんじゃないかなぁ、なんて思う。
練習に必要なのは、継続する力だったり、時に忍耐だったり、追求するパワーだったりする。
でも、ライブに一番必要なのは「瞬発力」。数曲のライブで、どこまでパワーを発揮できるかは、瞬発力にかかっていると思う。
ライブをするにあたって、ある一定のラインまでのクオリティは必要だと思うけれど、ライブだからこその勢いっていうのは、練習にはきっとないもの(練習では出てこないもの)で、クオリティを追求するあまりに勢いが落ちるのだったら、いっそクオリティの追求なんて捨ててしまった方がライブとして面白いものになったりする。ライブの場の勢いにうまく乗るための基礎作りが練習なんだろうなぁ、と思うわけです。

そんなわけで、本番で最大の瞬発力を発揮すべく、私個人的には割とストイックに練習してます。
傍目にはどう見えているかわかりませんが。(笑)
29日のField BLankのライブまで、スタジオ練習はあと2回。
頑張ります。


個性の源

2007-07-11 18:19:21 | 日記・エッセイ・コラム
名古屋市美術館で開催されている「ダリ展」に行ってきた。
ダリとは、つまりあの「サルバドール・ダリ」。
小学校の図工の時間にルネ・マグリットの絵を見て以来、私はシュールレアリズム絵画のファンだ(って言っても、あんまり詳しくないですけどね)。
すごく写実的に描かれているように見えて、絶対に現実にはあり得ないものが描かれた絵。リアリティを感じるのに決して現実ではない絵に強い衝撃を受け、その摩訶不思議な世界に魅了されたわけです。←わずか11歳やそこいらの話ですが(笑)。
で、そんな絵を色々見ているうちに、サルヴァドール・ダリという人物に行き着いたわけです。

ダリと言えば、彼の妻であり彼にとって永遠の女神であった女性「ガラ」との関係だったり、彼が性的不能者であったことなんかが、ややスキャンダラスに語られることが多かったりするんだが、今日見てきた展覧会は至極まっとうに「サルヴァドール・ダリ」という画家が、画家としてどんな考えの元どんな一生を送ったのかを、作品とともに知るという企画になっていたおかげで、普段はあまり解説を読まない私も、ひとつひとつの絵に添付されている解説をくまなく読みながら絵を見ることができた。

そこで改めて気付いたこと。「個性」って「思想」なんだなぁってこと。
ダリはその絵だけでなく、彼の風貌や行動からも、とにかく「奇抜」であることが取り沙汰されているけれど、彼には確固たる信念や思想があって、そのアウトプットがああいう形になるんだと。
そんなことは、「今さら、何言ってんだ?」って話だったりするんだろうけど、世の中の人々で「個性=変わってること、奇抜なこと」という図式が成り立っている人は、案外多いんじゃないかと思う。
特に、「流行」に追随していくだけの人達は、「目立つこと=個性」みたいな考えを持ってるんじゃないのかなぁ?とも思ったりする。
「なんでそういう格好するの?」
「えー?べつにぃ。だって、カワイイしぃ~。」
みたいなのは、どんなに奇抜でも個性じゃない。むしろ、それって無個性。
個性を絵で表現する、音楽で表現する、創作料理で表現する、小説で表現する。
何でアウトプットするかの違いはあっても、そこに必ず存在するのは「表現者の意思」であり「アイデンティティ」なんだよなぁ、と。

先日、某バンドのライブの打ち上げにお邪魔した際に、売れる曲はどんな曲だみたいな話から始まり、結果としては「他の誰かができる音楽ならやる必要はなくて、自分たちの年齢や背景だからできるものをやるのがいいんじゃないか」みたいな結論に落ち着くまでの経緯を傍観させてもらって、ものすごく納得した。
私が歌詞を書くときも同じようなことを考えている。他の誰かにも書ける歌詞なら別に私が書かなくてもいい。私だから取り上げるテーマ、私だからする掘り下げ、私だから使う言葉、そういうもので書かなくちゃ、オリジナルをやる意味なんてないんだろうなぁ、と思っている。
この言葉は私らしいのか?このテーマで、私は本当にこう思うのか?歌詞を書きながら、自分と自問自答していることがとっても多い。でも、個性ってそういうところからしか生まれないんじゃないかと思う。

ただねぇ、それが大衆に受け入れられるかどうかは別問題なのよねぇ。
だから、アートを「売れるもの」にするには、そもそも作品を作る際に商業的視点に基づいたアプローチを取り入れるか、本来の思想とは関係なく「売るため」のベタな広報戦略が必要になる。
そういうのが嫌なんだけど売れたいんですっ!って言うんなら、「天才になってみろ」って話だよな、多分。


simple is best

2007-07-10 18:49:50 | 日記・エッセイ・コラム
誰かに必要以上に気を遣ったり、どこかで自分を正当化しようとすると、問題はややこしくなっていく。

「答えはいつもシンプルなものです。」
友人の『仙人』(いや、仙人のような友人か…)が、そう教えてくれました。

そのままの自分でいきましょ、そのままで。
自分を落とさなくても、誰かのせいにしなくても、物事はちゃんと運ぶはずだ。


2割に救われる日々

2007-07-09 23:50:35 | 日記・エッセイ・コラム
たとえば、「偶然の成功」の成功要因の8割が、自分が積み上げてきた努力で起きるものだとしても、私は自分の努力が及ばないところで作用した2割の成功要因に感謝したいと思う。

たった1通のメールに、たった1本の電話に、たったひとりの存在に、思いがけず救われるときがある。
「人脈に恵まれるのも、アナタの人徳だよ」と言ってもらえることもあるけど、救われるタイミングまではいくらなんでも図れないでしょ。

仕事で、プライヴェートで、少ぉーしずつ埋まっていくスケジュール帳を見ながら、そんなことを思う今日この頃。


違い

2007-07-06 22:34:28 | 日記・エッセイ・コラム
「素直と我侭って、結局同じことだと思わない?」と言った人がいました。
はっきり言って、思いません。
だって、「素直」は嫌みがないから、他人を不愉快にさせたりしない。
でも、「我侭」は、他人を苛立たせたり不愉快にしたりする。

私はそれよりも、「エゴイズム」と「信念」の違いを、誰かうまく説明してくれないだろうかと思ってしまいます。