
友人からこんな本を借りて読みました。(写真参照)
チャールズ・シュルツの書いたスヌーピーの漫画の中には、心理学に通ずるメッセージが込められているということで、精神科医(精神分析医)が自身の臨床経験と対比させながらその内容を紹介するという本。
その中に「罪悪感」について書かれた章がありました。
「罪悪感の虜になってはいけない」
罪悪感に苛まれない強さを持つとともに、罪悪感を利用しない強さを持たなければいけない。罪悪感は人間が行動をする上での正当な理由にはならない、と。
以前、私の友人(♂)にこんな人がいました。
「別れたら死ぬって彼女が言うから、別れられないんだ。」
この場合彼女は罪悪感を利用し、彼は罪悪感に苛まれています。このまま関係を続けても、お互い良い事はあまりなさそうです。
なぜなら彼女は命がけで彼を愛しているわけではなく、彼は彼女を愛しているから一緒にいるわけではないからです。
昔、ドラマにこんなのがありましたよね。
「私がこんな体になったのはあなたのせいよ。だからあなたは一生私のそばにいなくてはいけないのよ。」
これも彼女が彼の罪悪感を利用しています。やっぱり良い事はなさそうです。愛のない所に罪悪感から発生した義務感だけが存在していそうです。
罪悪感に責任を取ることなんて出来ないのにねぇ。なんでまじめで良い人と言われる人たちは、責任を取らなきゃって思うんでしょうか。
別れた後で本当に彼女が自殺を図ったところで、それは彼のせいではないのに。全財産を巻き上げる結婚詐欺を働いて自殺に追い込んだのであれば話はまた別ですが、罪悪感に責任を重ねる人に詐欺が出来る人は多分いないでしょう。
もっと良くないのは、罪悪感を利用する人でしょうね。そこに愛情はありませんよ、それって不毛ですよ、ってlことに気付かずに、ひたすら相手の罪悪感に訴える行為は、確実に自分も傷つけて消耗させていくものなのに。
なんていうことを、本を読みながら考えていました。
でも、そう思えない人にこの本を読ませたところで、きっと内容を理解することは出来ないんだろうなぁとも思いました。
10年前に鬱で仕事を辞めたとき、同僚が「これ読むといいよ」と当時のベストセラーだった「脳内革命」をプレゼントしてくれました。ポジティブに物を考えるプロセスを見失った私に、「ポジティブシンキング」を推奨したその本は、3ページで退屈するに充分でした。
「こういう風に考えることが出来る私だったら、仕事辞めたりせんよ」って。(笑)
心理学の本って、実はあまり役に立たないのかもしれませんね。心理学に限らず、メッセージ色の強い本というのは、そのメッセージを既に違う形、違う言葉で理解している人にしか届かないものなのかもしれないな、と。
そういえば日記書きながら思い出したのですが・・・、
いつだったか、どうしても恋人に会いたくて夜中に電話をしたら、「今日はもう遅いから、明日の晩にね」と言われました。なぜかどうしても会いたかった私は「明日の晩って言ってて、明日の昼間にアタシが事故に遭って死んじゃうかもしれないじゃんかぁ。」と駄々をこねて、無理矢理時間を作ってもらったことがありました(笑)。(いつもこんなことを言っているわけではない。これはごく稀な話。)
当時の恋人は「無茶苦茶な論理だな」と笑いながら、でも会ってくれました。
これって、罪悪感の利用?