今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。
「詩人はその詩藻が涸れると、詩をつくることをやめるが、歌よみはつくることをやめない。詩人は詩を売って
衣食することができないから自然にやめるのである。歌よみは結社をつくって、雑誌を出して、それで衣食する
ことができるからいつまでもやめないのである。文士は文を売ってくらすことが、昔はできなかったが今はできるから、
すでに作者でなくなったのに、なお売ってくらすのである。
もうなん年も前から書くことがないから、以前の自分の成功した作を、自分で模倣するのである。自分が自分をまねするのは、
まねのなかで情ないものの一つであるが、ながく生きた芸術家のまぬかれぬところである。そして芸術家の全盛時代がせいぜい
十年とすれば、多くの芸術家のまぬかれぬところである。その故に作者は互にそれと知りつつかばいあって言わないのである。
命ながければ恥多しという。」
「建築家もまたのぼり坂が三年、のぼりつめて三年、あとは自分で自分を模倣して大家などといわれること文士と似たものなのである。
私はそれをとがめているのではない。ただながめているのである。そして、それなら才能をつかいはたして、再起することがない
編集者のほうが、あるいは潔いのではないかと思うのである。」
(山本夏彦著「二流の愉しみ」講談社文庫 所収)
「詩人はその詩藻が涸れると、詩をつくることをやめるが、歌よみはつくることをやめない。詩人は詩を売って
衣食することができないから自然にやめるのである。歌よみは結社をつくって、雑誌を出して、それで衣食する
ことができるからいつまでもやめないのである。文士は文を売ってくらすことが、昔はできなかったが今はできるから、
すでに作者でなくなったのに、なお売ってくらすのである。
もうなん年も前から書くことがないから、以前の自分の成功した作を、自分で模倣するのである。自分が自分をまねするのは、
まねのなかで情ないものの一つであるが、ながく生きた芸術家のまぬかれぬところである。そして芸術家の全盛時代がせいぜい
十年とすれば、多くの芸術家のまぬかれぬところである。その故に作者は互にそれと知りつつかばいあって言わないのである。
命ながければ恥多しという。」
「建築家もまたのぼり坂が三年、のぼりつめて三年、あとは自分で自分を模倣して大家などといわれること文士と似たものなのである。
私はそれをとがめているのではない。ただながめているのである。そして、それなら才能をつかいはたして、再起することがない
編集者のほうが、あるいは潔いのではないかと思うのである。」
(山本夏彦著「二流の愉しみ」講談社文庫 所収)
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