今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。
「エカテリーナ二世(1729-96)はわが国では馴染が薄いが、良人であるピョートル三世を奸臣ばらの手をかりて殺害して即位したロシアの女帝である。
在位三十四年専制を敷いて大功があった。白ロシア、クリミア、トルコを破り黒海の制海権を握った。だからこのくらいの贅沢は許されると途方もない贅沢をした。
女帝をとりまく貴族もそのまねをした。三百人から八百人の召使を農奴から選んで雇った。これでは名前もおぼえられない。寝食は保証するが給金はやらない。この奉公人のなかには役者や音楽家もいる。
主人は農奴を売買したり抵当にいれたりした。ペテルブルグやモスクワの新聞には『新品同様の馬車一台、別に少女一人売りたし十六歳』というたぐいの広告が年中出た。当時純血種の犬は二千ルーブル、農奴は三百ルーブル、その娘は百ルーブル以下が相場だったという。ただし腕のいい料理人や音楽家なら八百ルーブル位の値がつく(以上アンリ・トロワイヤ著・工藤庸子訳『女帝エカテリーナ』による)。
これによって芸術家が奉公人の域を脱したのは僅々二百年のことだと分る。いまだに社交界では奉公人扱いされている無名の芸術家がいるはずなのに日本人は言わないから誰も知らない。私も知らない。
エカテリーナ女王は小太りで並より背の低い六十歳あまりの白髪の老女ではあったが、身辺に若い美青年を絶やさなかった。なお漁ったから我こそは寵を得ようとする若者がいつもひしめいていたという。老いてますます好色な女王として名高い。
イギリスの貴族はスポーツはするが働くことはしない。そのかわりノーブレスオブリージュといって戦さのときはまっさき駆けて突進するという。ロシアの貴族もそのまねをしたのだろうが、エカテリーナに遅れること百なん十年広瀬武夫の時代のペテルブルグの青年将校は朝寝夜ふかしはする、恋をするのも口先だけ、風雲急だというのに眼中国家あるものは一人もないとコヴァレフスキー少将の令嬢アリアズナに見限られている。」
(山本夏彦著「『社交界』たいがい」文春文庫 所収)
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