「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

伝説 2007・11・11

2007-11-11 09:21:02 | Weblog
今日の「お気に入り」は、会田綱雄さん(1914-1990)の「伝説」と題した詩一篇。


  湖から
  蟹(かに)が這いあがつてくると
  わたくしたちはそれを繩(なわ)にくくりつけ
  山をこえて
  市場の
  石ころだらけの道に立つ

  蟹を食うひともあるのだ

  繩につるされ
  毛の生えた十本の脚で
  空(くう)を掻(か)きむしりながら
  蟹は銭になり
  わたくしたちはひとにぎりの米と塩を買い
  山をこえて
  湖のほとりにかえる

  ここは
  草も枯れ
  風はつめたく
  わたくしたちの小屋は灯(ひ)をともさぬ

  くらやみのなかでわたくしたちは
  わたくしたちのちちははの思い出を
  くりかえし
  くりかえし
  わたくしたちのこどもにつたえる
  わたくしたちのちちははも
  わたくしたちのように
  この湖の蟹をとらえ
  あの山をこえ
  ひとにぎりの米と塩をもちかえり
  わたくしたちのために
  熱いお粥(かゆ)をたいてくれたのだつた

  わたくしたちはやがてまた
  わたくしたちのちちははのように
  痩せほそつたちいさなからだを
  かるく
  かるく
  湖にすてにゆくだろう
  そしてわたくしたちのぬけがらを
  蟹はあとかたもなく食いつくすだろう
  むかし
  わたくしたちのちちははのぬけがらを
  あとかたもなく食いつくしたように

  それはわたくしたちのねがいである

  こどもたちが寝いると
  わたくしたちは小屋をぬけだし
  湖に舟をうかべる
  湖の上はうすらあかるく
  わたくしたちはふるえながら
  やさしく
  くるしく
  むつびあう
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