今日の「 お気に入り 」は 、 「 万葉集 」 巻5 にある山上憶良 ( やまのうえのおくら )
の「 貧窮問答歌 ( ひんきゅうもんどうか ) 」。
筑前守として在任していたころの作と言われています 。
貧者が問い 、窮者が答える形で 生活の苦しさを訴えた長歌で 、この歌が
詠まれたのは 、奈良時代初期の 731( 天平3 )年ごろと言われています 。
貧しい人( 貧者 )と 、さらに貧しい人( 生活に困窮している人:窮者 )
が 、自分たちの貧しさを問答形式で述べあったもので 、当時の農民の貧しさ 、
苦しさが描かれています 。民のかまどは賑わっていなかったよう 。
ちなみに 長歌とは 、五七を3回以上繰り返し 、最後は七で終わる
和歌の形式だそうで 、反歌( はんか )とよばれる 短歌 を詠み添えるそう 。
以下は 、備忘の為 、ネットで見掛けた記事 からコピペしたもので 、由緒正
しいものか 定かではありませんが 、詠み人の心情は切々と伝わってきます 。
こういう歌を収録している「 万葉集 」は すごい と改めて思う 。
引用はじめ 。
「 貧窮問答歌
風 雑 (ま) じり 雨降る夜の 雨雑じり 雪降る夜は 術 (すべ) もなく
寒くしあれば 堅塩 (かたしお) 取りつづしろひ 糟湯酒 うち啜 (すす) ろひて
咳 (しは) ぶかひ 鼻びしびしに しかとあらぬ 髭かきなでて 我除 (われお) きて
人はあらじと ほころへど 寒くしあれば 麻襖 (あさぶすま) 引きかがふり
布肩着ぬ 有りのことごと きそへども 寒き夜すらを 我よりも 貧しき人の 父母
は 飢え寒 (こご) ゆらむ 妻子 (めこ) どもは 乞ふ乞ふ泣くらむ
このときは 如何にしつつか ながよはわたる
天地 (あめつち) は 広しといへど 吾がためは 狭 (さ) くやなりぬる 日月は
明 (あか) しといへど 吾がためは 照りや給はぬ 人皆か 吾のみやしかる
わくらばに 人とはあるを 人並に 吾れもなれるを 綿も無き 布肩衣の
海松 (みる) のごと わわけさがれる かかふのみ 肩に打ち掛け ふせいおの
まげいおの内に 直土 (ひたつち) に 藁 (わら) 解き敷きて 父母は 枕の方に
妻子どもは足の方に 囲みいて 憂へさまよひ 竈 (かまど) には
火気 (ほけ) 吹きたてず 甑 (こしき) には 蜘蛛 (くも) の巣かきて
飯炊 (いひかし) く 事も忘れて ぬえ鳥の のどよひ居るに いとのきて
短き物を 端切ると 言えるが如く しもととる 里長 (さとおさ) が声は
寝屋戸 (ねやど) まで 来立ち呼ばひぬ かくばかり 術なきものか 世の中の道
世間を憂しとやさしと思へども 飛び立ちかねつ鳥にしあらねば 」
「 現代語訳
風交じりの雨が降る夜の雨交じりの雪が降る夜はどうしようもなく寒いので 、
塩をなめながら糟湯酒 ( かすゆざけ ) をすすり 、咳をしながら鼻をすする 。
少しはえているひげをなでて 、自分より優れた者はいないだろうとうぬぼれ
ているが 、寒くて仕方ないので 、麻のあとんをひっかぶり 、麻衣を重ね着
しても寒い夜だ 。私よりも貧しい人の父母は腹をすかせてこごえ 、妻子は
泣いているだろうに 。こういう時は あなたはどのように暮らしているのか 。
天地は広いというけれど 、私には狭いものだ 。太陽や月は明るいという
けれど 、私のためには照らしてはくれないものだ 。他の人もみなそうなん
だろうか 。私だけなのだろうか 。人として生まれ 、人並みに働いているの
に 、綿も入っていない海藻のようにぼろぼろになった衣を肩にかけて 、つぶ
れかかった家 、曲がった家の中には 、地面にわらをしいて 、父母は枕の方
に 、妻子は足の方に 、私を囲むようにして嘆き悲しんでいる 。かまどには
火のけがなく 、米をにる器にはクモの巣がはってしまい 、飯を炊くことも
忘れてしまったようだ 。ぬえ鳥の様にかぼそい声を出していると 、短いもの
のはしを切るとでも言うように 、鞭を持った里長の声が寝床にまで聞こえる 。
こんなにもどうしようもないものなのか 。世の中というものは 。
この世の中はつらく 、身もやせるように耐えられないと思うけれど 、
鳥ではないから 、飛んで行ってしまうこともできない 。 」
引用おわり 。
たまには 絶食してみよう 。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます