「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

今は昔、緑のおばさんの日・農協の日 2018・11・19

2018-11-19 05:49:00 | Weblog



   今日の「お気に入り」。


    「 子供のころ、よく父に手を引かれて銭湯へ行った。二十数年前の、夜がちゃんと夜の色をしていた時代の

     ことである。濡れた髪と湯気のあがっている体とを夜風になぶらせながら、とぼとぼ家路を帰っている

     と、いつもきまったように、点滅する赤い灯が漆黒の空を横ぎっていく。『飛行機や』と私が叫ぶと、父は

     しごく真面目な顔で、『ちがう、あれは流れ星や』と答える。私はむきになって夜空を指差し、『お父ちゃん、

     あれは飛行機やでェ』と言ってみる。つまりそこまでが序文で、父はおもむろに遠ざかっていく飛行機の灯り

     を見つめつつ、いつものお得意の話を始めてくれるのである。

     『あれはなァ、飛行機なんかやあらへん。あれは流れ星や。光とおんなじ速さで飛んでいっても何百億年も

     かかるほど遠いところから、星のかけらが飛んできて、いまちょうど頭の上を通っていくんや』

      幼い私は、たちまち何百億年という時間の凄さに我を忘れ、これまで飽きるほど聞かされた父の話を、また

     たまらなく聞いてみたい衝動に駆られてしまうのだった。父は宇宙という無限の空間と時間を語り、人間の限

     られた寿命のはかなさを教えてくれる。

     『おまえもこれから大きなって、そのうちおっさんになり、あっというまに爺さんになって、ほんでから必ず

     死ぬんや』

     『・・・死んだら、どないなるのん?』

     『死んだらどないなるのんか、それが知りとうて、昔、中国から印度へ仏教を習いに行きはった人がおるんや』

      父お得意の西遊記は、必ずこれだけの枕が必要なのであった。父は玄奘三蔵と、孫悟空、猪八戒、沙悟浄の

     三人の家来が、さまざまな妖怪や魔物と戦いつつ、ついに経典を得て帰還する話を語り終えると、熱っぽい目

     を私に注いで、こうつけくわえた。

     『そやけど、この話は全部嘘や。でたらめのこんこんちきや。孫悟空とか猪八戒とか沙悟浄なんて実際にはおれ

     へんかった。玄奘法師は一人で馬に乗って印度まで行きはった。無事に帰れるかどうか判らん命懸けの長旅を、

     たった一人で出かけはった。教えのためには命を張るほどに賢い勇気のある玄奘法師も、猿とか豚とか得体の

     知れんお化けみたいな心を、自分の中に持ってはったというたとえ話や』

     『・・・ふうん、お父ちゃん、ほんで死んだらどないなるのん?』

     『死んだら、・・・さあ、どないなるんやろなァ?』

      父と私は夜空に消えた飛行機のあとをぼんやり追いながら、またとぼとぼ家路をたどり始めるのだった。

      父は十年前、七十歳で死んだ。幾つかの事業に敗れ、不遇の晩年だった。

      冷たくなった父と一緒に、私は病院の一室で夜を明かした。

       ( 中  略 )

      病室の窓から星座が見え、どこからか虫の羽音が響いていた。かつて父の語った西遊記の、賢者聖人すら

     隠し持っているけだものの心の意味が、幾らかは理解できる年齢に達していた私は、不思議な思いで、死ん

     でいる父を見ていた。『死んだら、・・・さあ、どないなるんやろなァ?』と夜空を見あげていた父のあり

     し日のおもかげが、妙に生々しく思い出された。いま父は、その秘密を知った筈であった。私は落ち着かな

     い思いで、横たわっている父から視線を外し、窓辺にたたずんで夜空を見やった。死への言い知れぬ恐怖が、

     私を落ちつかなくさせていたのである。  」



            ( 宮本輝著 「二十歳の火影」 講談社文庫 所収 )




    





    



 
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