今日の「お気に入り」。
「 子供のころ、よく父に手を引かれて銭湯へ行った。二十数年前の、夜がちゃんと夜の色をしていた時代の
ことである。濡れた髪と湯気のあがっている体とを夜風になぶらせながら、とぼとぼ家路を帰っている
と、いつもきまったように、点滅する赤い灯が漆黒の空を横ぎっていく。『飛行機や』と私が叫ぶと、父は
しごく真面目な顔で、『ちがう、あれは流れ星や』と答える。私はむきになって夜空を指差し、『お父ちゃん、
あれは飛行機やでェ』と言ってみる。つまりそこまでが序文で、父はおもむろに遠ざかっていく飛行機の灯り
を見つめつつ、いつものお得意の話を始めてくれるのである。
『あれはなァ、飛行機なんかやあらへん。あれは流れ星や。光とおんなじ速さで飛んでいっても何百億年も
かかるほど遠いところから、星のかけらが飛んできて、いまちょうど頭の上を通っていくんや』
幼い私は、たちまち何百億年という時間の凄さに我を忘れ、これまで飽きるほど聞かされた父の話を、また
たまらなく聞いてみたい衝動に駆られてしまうのだった。父は宇宙という無限の空間と時間を語り、人間の限
られた寿命のはかなさを教えてくれる。
『おまえもこれから大きなって、そのうちおっさんになり、あっというまに爺さんになって、ほんでから必ず
死ぬんや』
『・・・死んだら、どないなるのん?』
『死んだらどないなるのんか、それが知りとうて、昔、中国から印度へ仏教を習いに行きはった人がおるんや』
父お得意の西遊記は、必ずこれだけの枕が必要なのであった。父は玄奘三蔵と、孫悟空、猪八戒、沙悟浄の
三人の家来が、さまざまな妖怪や魔物と戦いつつ、ついに経典を得て帰還する話を語り終えると、熱っぽい目
を私に注いで、こうつけくわえた。
『そやけど、この話は全部嘘や。でたらめのこんこんちきや。孫悟空とか猪八戒とか沙悟浄なんて実際にはおれ
へんかった。玄奘法師は一人で馬に乗って印度まで行きはった。無事に帰れるかどうか判らん命懸けの長旅を、
たった一人で出かけはった。教えのためには命を張るほどに賢い勇気のある玄奘法師も、猿とか豚とか得体の
知れんお化けみたいな心を、自分の中に持ってはったというたとえ話や』
『・・・ふうん、お父ちゃん、ほんで死んだらどないなるのん?』
『死んだら、・・・さあ、どないなるんやろなァ?』
父と私は夜空に消えた飛行機のあとをぼんやり追いながら、またとぼとぼ家路をたどり始めるのだった。
父は十年前、七十歳で死んだ。幾つかの事業に敗れ、不遇の晩年だった。
冷たくなった父と一緒に、私は病院の一室で夜を明かした。
( 中 略 )
病室の窓から星座が見え、どこからか虫の羽音が響いていた。かつて父の語った西遊記の、賢者聖人すら
隠し持っているけだものの心の意味が、幾らかは理解できる年齢に達していた私は、不思議な思いで、死ん
でいる父を見ていた。『死んだら、・・・さあ、どないなるんやろなァ?』と夜空を見あげていた父のあり
し日のおもかげが、妙に生々しく思い出された。いま父は、その秘密を知った筈であった。私は落ち着かな
い思いで、横たわっている父から視線を外し、窓辺にたたずんで夜空を見やった。死への言い知れぬ恐怖が、
私を落ちつかなくさせていたのである。 」
( 宮本輝著 「二十歳の火影」 講談社文庫 所収 )
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