今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から、昨日の続き。
「藤村という作者は昔も今も珍しくない不倫を働いて、あろうことかそれを真顔で公表することによって、世間の支持、すくなくとも文壇の支持を得られるとあてにした。はたしてそれは得られたのである。ばかりか、次第に聖人君子になりすました。新聞の連載によって原稿料と印税の収入は秋声や花袋をしのいだのである。吉原がいやなら芸者遊びくらい出来たはずである。それなのに藤村は終始素人娘ばかりに手をつけている。当時は芸娼妓を買うことは罪でもなければ悪でもない。素人に手を出すことのほうがその遊興費を惜しむから、ケチだとかえって非難された時代である。
私は藤村が端然とまた鬱然(うつぜん)と座している図を見て満身これ生殖器のように思えてならない。それでいて芸娼妓を買って鬱を散じないのは、それを罪だと思っていたからではないか。毎晩客をとる女は女ではないと思っていたのではないかとひそかに思うのである。ちなみに台湾に去った姪はその二十年ほどあと昭和十二年三月板橋市立養育院でひとり死んだと新聞に出た。
俗に禍いを転じて福とするという。藤村ほどそれに長じた人はない。その謹厳な態度、出版社の小僧が来ても玄関に端座して丁重な辞儀をして感激させ、それが不自然でないこと、その程度で人は感激すると承知して果して感動させたのである。芝居でなく常にそれをするのは天賦のものである。私は必ずしもそれを咎(とが)めているのではない。
藤村は十代のむかし北村透谷(とうこく)の強い影響を受けてキリスト者として受洗している。あるいは透谷のいう恋愛は人生の秘鑰(ひやく)だと信じていたのではないか。女を買うが如きは女性の冒涜(ぼうとく)であり、実は心に女性崇拝の念を抱いていたのではないかと私は思っている。
〔『諸君!』平成十ニ年十月号〕」
(山本夏彦著「最後の波の音」文春文庫 所収)