今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。
「だます奴(やつ)とだまされる奴がいれば、だます奴のほうが悪いにきまっていると思いがちだが、そうだろうか。
たとえば『株大暴落、また大衆泣く、おろおろ退職者』などという記事を見ることがある。
定年退職をした男が、退職金を株に投じて一文なしになって、証券会社にだまされたと泣きごとを言っている記事だが、これは言うほうが悪い。
定年すぎた男なら五十、六十だろう。今は証券会社というが、あれは株屋である。株屋が証券会社に化けて、まだ二十余年しか経っていないから、その幹部や中堅社員には株屋の血が流れている。
株の売買をすれば、儲(もう)けることもあるし損することもある。大尽にもなるし乞食にもなる。なっても誰もうらまない。うらんだら笑われる。五十、六十の男が、それを知らないはずはない。
証券会社の社員は、手数料がほしいから売買をすすめる。客は自分の責任において買うこともできるし、買わないこともできる。売買して儲けたこともあっただろう。損したからといってだまされたと言うのは当たらない。
銀行の預金は五年、七年の定期でも、年利七分か八分である。一割以上の利息はない。あれば元も子もなくなる恐れがあるものである。
むかし『保全経済会』は、七分、八分、一割の利息を約束した。『年』ではない『月』である。そして当時の金で四十五億円集めてつぶれた。
私たちはこれにこりたはずである。それなのに再び、三たび、だまされるのは、だまされるほうが悪いのである。私は『ねずみ講』がいまだに健在なのに驚いている。百円が千円に、千円が万円になるなんて、がまの油売りじゃあるまいし、聞いて笑わないほうがどうかしている。
それにもかかわらず金を出したのはヨクである。被害者友の会なんて笑わせる。ヨクばり友の会である。
昔はだまされた者は笑われて悄然(しょうぜん)とした。二度とだまされまいと固く決心した。今はだました奴が悪いと集まって気勢をあげる。とられた金をとり返そうと、出来もしないことを出来ると勘ちがいする。
私は小学、中学、高校に、金銭教育がないのを怪しんでいる。年利一割以上は危険だとか、連帯保証の判を捺(お)すな、捺すならこれだけの覚悟をしてからにせよとか教えるがいいと思っている。性教育を言うものが多く、金教育を言うものがすくないのをけげんに思っている。
私たちだまされなかったものは、だまされたものをなぐさめてはいけない。笑わなければいけない。ひょっとしたら私たちもヨクばってだまされたかもしれないのに、よくその誘惑にたえた。今後ともその手にのらないためにも、だまされなかったものは、声をあげてだまされたものを笑わなければならない。アハハハ。
(『毎日新聞』昭和53年6月12日)」
(山本夏彦著「とかくこの世はダメとムダ」講談社刊 所収)
「だます奴(やつ)とだまされる奴がいれば、だます奴のほうが悪いにきまっていると思いがちだが、そうだろうか。
たとえば『株大暴落、また大衆泣く、おろおろ退職者』などという記事を見ることがある。
定年退職をした男が、退職金を株に投じて一文なしになって、証券会社にだまされたと泣きごとを言っている記事だが、これは言うほうが悪い。
定年すぎた男なら五十、六十だろう。今は証券会社というが、あれは株屋である。株屋が証券会社に化けて、まだ二十余年しか経っていないから、その幹部や中堅社員には株屋の血が流れている。
株の売買をすれば、儲(もう)けることもあるし損することもある。大尽にもなるし乞食にもなる。なっても誰もうらまない。うらんだら笑われる。五十、六十の男が、それを知らないはずはない。
証券会社の社員は、手数料がほしいから売買をすすめる。客は自分の責任において買うこともできるし、買わないこともできる。売買して儲けたこともあっただろう。損したからといってだまされたと言うのは当たらない。
銀行の預金は五年、七年の定期でも、年利七分か八分である。一割以上の利息はない。あれば元も子もなくなる恐れがあるものである。
むかし『保全経済会』は、七分、八分、一割の利息を約束した。『年』ではない『月』である。そして当時の金で四十五億円集めてつぶれた。
私たちはこれにこりたはずである。それなのに再び、三たび、だまされるのは、だまされるほうが悪いのである。私は『ねずみ講』がいまだに健在なのに驚いている。百円が千円に、千円が万円になるなんて、がまの油売りじゃあるまいし、聞いて笑わないほうがどうかしている。
それにもかかわらず金を出したのはヨクである。被害者友の会なんて笑わせる。ヨクばり友の会である。
昔はだまされた者は笑われて悄然(しょうぜん)とした。二度とだまされまいと固く決心した。今はだました奴が悪いと集まって気勢をあげる。とられた金をとり返そうと、出来もしないことを出来ると勘ちがいする。
私は小学、中学、高校に、金銭教育がないのを怪しんでいる。年利一割以上は危険だとか、連帯保証の判を捺(お)すな、捺すならこれだけの覚悟をしてからにせよとか教えるがいいと思っている。性教育を言うものが多く、金教育を言うものがすくないのをけげんに思っている。
私たちだまされなかったものは、だまされたものをなぐさめてはいけない。笑わなければいけない。ひょっとしたら私たちもヨクばってだまされたかもしれないのに、よくその誘惑にたえた。今後ともその手にのらないためにも、だまされなかったものは、声をあげてだまされたものを笑わなければならない。アハハハ。
(『毎日新聞』昭和53年6月12日)」
(山本夏彦著「とかくこの世はダメとムダ」講談社刊 所収)