今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。
「人はダメ派とマクリ派のふた派に分れる。マクリ派というのは、ひたすら女の尻をまくって、
きっとそのなかに何かあると信じて、生涯まくり続けてやまないもののことで、ダメ派というのは『いくらまくって
もダメ也』とそれらを観ずるもののことである。
私は少年のころからダメ派の自覚があって、かくてはならじとマクリ派のふりをして、しばらくまくってみたが、
いくら末流でもダメはやっぱりダメで、マクリ派に転じられるものではない。」
「ダメ派というのはこの世の中はダメだと観ずるもののことで、なぜそう観ずるか、ひと口に言えば生れつきである。
したがってマクリ派もまた生れつきで、この派は婦人の尻または前をまくって生涯を終える。
人はこの二た派のどちらかに属す。」
「ダメの人は、自分がダメであることを自慢しない。それは我にもあらずダメなので、どう考えてもダメなのである。
まくり人間のまねをすればダメの境涯から脱しられるかと、ずいぶんまねしてみるが、ダメの人がまくり人間になれる
道理がない。」
(山本夏彦著「ダメの人」中公文庫 所収)
「人はダメ派とマクリ派のふた派に分れる。マクリ派というのは、ひたすら女の尻をまくって、
きっとそのなかに何かあると信じて、生涯まくり続けてやまないもののことで、ダメ派というのは『いくらまくって
もダメ也』とそれらを観ずるもののことである。
私は少年のころからダメ派の自覚があって、かくてはならじとマクリ派のふりをして、しばらくまくってみたが、
いくら末流でもダメはやっぱりダメで、マクリ派に転じられるものではない。」
「ダメ派というのはこの世の中はダメだと観ずるもののことで、なぜそう観ずるか、ひと口に言えば生れつきである。
したがってマクリ派もまた生れつきで、この派は婦人の尻または前をまくって生涯を終える。
人はこの二た派のどちらかに属す。」
「ダメの人は、自分がダメであることを自慢しない。それは我にもあらずダメなので、どう考えてもダメなのである。
まくり人間のまねをすればダメの境涯から脱しられるかと、ずいぶんまねしてみるが、ダメの人がまくり人間になれる
道理がない。」
(山本夏彦著「ダメの人」中公文庫 所収)