今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。
「その目で見ると歌舞伎の立回りは多く踊りで、そこが新国劇の立回りとちがうところで、新国劇のそれは写実で、写実なら映画に及ばないから新国劇の全盛時代はながく続かなかった。
それはさておき招魂社は靖国神社のことだし大鳥居は今もあるから、これは誰の目にも明治を写したものと分る。
すなわちそのころまでの歌舞伎は、当時の事件と風俗を直ちに芝居にすること近松の時代と同じだったのである。近松は曽根崎に心中があると聞くと、かけつけてお初徳兵衛を書いた。網島に心中があると聞くと、同じくかけつけて小春治兵衛を書いた。みんな実際にあった事件を芝居に仕組んで、多くは忘れられたがすぐれたものは残ったのである。これがいつから芝居に仕組めなくなったか。」
(山本夏彦著「『戦前』という時代」文藝春秋社刊 所収)
「その目で見ると歌舞伎の立回りは多く踊りで、そこが新国劇の立回りとちがうところで、新国劇のそれは写実で、写実なら映画に及ばないから新国劇の全盛時代はながく続かなかった。
それはさておき招魂社は靖国神社のことだし大鳥居は今もあるから、これは誰の目にも明治を写したものと分る。
すなわちそのころまでの歌舞伎は、当時の事件と風俗を直ちに芝居にすること近松の時代と同じだったのである。近松は曽根崎に心中があると聞くと、かけつけてお初徳兵衛を書いた。網島に心中があると聞くと、同じくかけつけて小春治兵衛を書いた。みんな実際にあった事件を芝居に仕組んで、多くは忘れられたがすぐれたものは残ったのである。これがいつから芝居に仕組めなくなったか。」
(山本夏彦著「『戦前』という時代」文藝春秋社刊 所収)
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