今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。
「永井荷風は少年のころ、新聞を読むことを禁じられていたという。なぜ禁じられていたかというと、新聞にはウソが書いてある。ウソでないまでも誇張してある。まちがったことや醜聞が書いてある。
大人にはそれがウソか本当か分るが、子供は分らない。だから大人は読んでもいいが、子供は読んではいけない。
荷風散人は明治十二年生れだから、少年時代は明治二十年代である。このころ新聞をとるほどの家では、まず子供には読ませなかった。昭和十四、五年になってもまだ読ませない家があったはずで、それはアンケートしてみれば分る。
私は禁じられたものの一人である。だから新聞のすみからすみまで読んだ。昭和初年の新聞は八ページぐらいだったから、読むことができたのである。東京日日新聞(今の毎日新聞)の編集兼発行人は、相馬基という人だといまだにおぼえている。新聞の奥付まで読んだのである。
当時の新聞はふり仮名つきだったから、小学生でも読めた。読むなと禁じられていたから、勇んで読んだのである。
今は読めと命じられるから、読まないのである。戦後の小学校では先生が新聞を読めという。ことに社説や第一面を読めという。読んだ証拠に切り抜いて来いという。
だから新聞ぎらいになったのである。テレビラジオ欄以外は全く見ない若者がふえたのは、読め読めと先生が強いたからである。
今の新聞の文章は当用漢字以外を用いないから、読む気があれば誰にでも読める。新聞の文章がこんなにやさしくなったのは初めてだろう。明治大正時代の新聞は、むずかしい字句を平気で使った。かなさえふればいいのだから、いくらでも使った。
〔『月刊ことば』昭和53年7月号〕」
(山本夏彦著「とかくこの世はダメとムダ」講談社刊 所収)
「新聞にはウソが書いてある。ウソでないまでも誇張してある。まちがったことや醜聞が書いてある。」、大人にも禁じた方がいい、かも知れません。