「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

2013・11・19

2013-11-19 07:30:00 | Weblog
今日の「お気に入り」。



夏彦 それからやきもちをやかないのが友人の資格の一つでしょう。
七平 そうですね。その逆『見くだす』もない。どんな境遇になっても『やきもち』も『見くだす』もない。これが『管鮑の交わり』でしょうな。
夏彦 だから僕困っちゃうんだなあ。
七平 そりゃお困りでしょう。
夏彦 あの最大のやきもちが、ここにはないんですよ(笑)。
七平 この世は嫉妬で動いているという説を改めないといけませんな、果然、ここにおいて。
夏彦 そうなんですよ。もし真の友人というものがあるとすれば、やきもちは二人の間にないんですよ。ほら有名な言葉があるでしょ。
 友の不幸を嘆いたり悲しんだりするのは真の友じゃない。友の幸運を祝ってはじめて友だっていうのがあるでしょう。
七平 あるある、名高い西洋人が言ってます。
夏彦 友の悲運にかけつける友はね、我にもあらずかすかに嬉しそうです。その自覚がなくて友を助けますが、助けられた友はそれを見逃さないでしょう。
七平 二人は友のごときものだと言いたいのですね。
夏彦 それはほとんど見えないくらいだけど、やっぱりかすかに嬉しいところがあるんですね。友が幸運に恵まれるのは一度は嬉しいんですが、二度、三度と重なると、重なりすぎやしないかとだんだん面白くなくなってくる。
 自分の中にそれを発見することに鈍感な人はいい。そのまま友情に厚いひととして死ねますよ。だけど真の友情は敏感なものだからやっぱり発見しないわけにはいかないのです。ただ、尋常なひとはそんなに追求しませんから、友でもないものを友だと思って死ぬんじゃないんですか。
七平 そうでしょうね。お通夜の時に集まるひとの多くはそれでしょうね。そのあとは全く寄りつかなくなる。
夏彦 そうなんですよ。けれどそのお通夜にも全然来てくれなかったら困りますよ。あれ、歳暮や中元と同じでね(笑)。いつかも言いましたが、お中元が来ないひとってのは社会人じゃないんじゃないかなあ。よく大げさな葬式をしてくれるなとか何とかこまごま指図するひとがいるけれども、死んだひとは生きてるひとを指図できないと思うなあ。
七平 できませんよ。
夏彦 死んだひとが生きてるひとを指図しようと思うのは間違いですよ。葬式は細君が死んだ時のほうがにぎやかですよね、亭主がまだ活動しているからでしょう。そのあと亭主が死ぬと……。
七平 誰も来ない。あれは気の毒なくらいです。
夏彦 森繁がパーティすると何百人ってひとが集まるけれども、こんなに来ているけど、この中で本当に喜んでくれているのは、まあ一割かなって述懐しているのを紹介したことがあります。あとは突き飛ばそうとか足をひっぱろうとかいう連中ばかりだっていうんです。
 森繁でさえそうなら、若いひとなら全部そうじゃないですかね。だけど森繁はだんだん説教癖が出てきましたね。
七平 年を取るとそうなる。
夏彦 あれ、老衰の兆なんですよ。年取ってから一番避けなくちゃならないのは、学校の、人生の師表になりたがることと説教すること(笑)。年取ったからって自動的にひとの師表になれるなんて、とんでもない誤解ですよ。
七平 夏彦さんはなかなか老衰しないな。でも老人は老衰したほうが可愛いですよ。もうちょっともっともらしいことを言って説教を世にたれるといいんだけど。」

(山本夏彦・山本七平著「意地悪は死なず」中公文庫 所収)



<筆者註>

 山本七平さんが口にされた「管鮑の交わり(かんぽうのまじわり)」は、戦後生まれがあまり目にも耳にもしなくなった言葉で、スーパー大辞林によれば「〔管仲(かんちゅう)と鮑叔牙(ほうしゅくが)が少年時代から生涯変わらない友情をもって交わったという「列子力命」の故事から〕友人としての親密な交際。終生変わらない友情。」のことを言うんだそうです、ハイ。
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