今日の「お気に入り」。
「 明彦が描いてくれた地図を頼りに、房江は国鉄環状線の外回りに乗って、京橋駅で片町線に
乗り換えた。電車が小さな工場や商店街が密集する町を東に進み、放出という駅に停まった
とき、房江はそれが『ハナテン』と読むことを知った。『ホウシュツ』とは奇妙な駅名だな
と思っていたのだ。
そうか、この片町線は野崎を通るのか。夫と結婚してすぐに松坂商会の社員たちと松茸狩
りに行ったことがある。あのとき降りたのは野崎駅だった。松茸山の手前にきれいな川が
流れていて、笠をかぶって揃いの法被を着た船頭たちが遊覧を楽しむ客に『野崎小唄』を
聴かせながら棹を操っていた。伸仁はまだこの世に姿も形もあらわしていなかった。
井草正之助もいた。海老原太一もいた。河内モーターの河内善助夫婦も一緒だった。
房江がそんなことを思いだしているうちに住道駅に着いた。」
( 宮本輝著 「 野の春 ― 流転の海 第九部 ― 」 新潮社刊 所収 )
国鉄片町線の「ハナテン」や「ノザキ」という駅名や「野崎小唄」の一番の歌詞が
頭のどこかに鮮明に刻み込まれている。幼い日々のいつどこで耳にしたのだろうか。
「松茸狩り」の記憶はうっすらあるが、それは野崎でなく能勢だった筈。
能勢の妙見山や宝塚の清荒神のお参りには連れていかれた記憶はあるが、
放出や野崎や観音さま参りに連れていかれた記憶はないのだけれど・・・ 。
近隣の大阪市東成区の深江には親戚の「深江のおばちゃん」が住んでいたから野崎まいりに連れていかれた
ことがあるのかも知れない・・・ 。
昭和10年(1935年)に世に出た、今中楓渓作詞、大村能章作曲、東海林太郎歌唄、
滝野細道制作、「 野崎小唄 」の一番の歌詞は、今でもメロディを伴ってよみがえる。
この世に姿も形もあらわしていなかった頃にはやった歌を、戦後の昭和20年代、
幼時に周りにいた誰かが歌って聞かせてくれたに違いないのだけれど、・・・ 記憶の不思議。
♪♪ 野崎参りは 屋形船でまいろ
どこを向いても 菜の花ざかり
粋な日傘にゃ 蝶々もとまる
呼んで見ようか 土手の人 ♪♪
インターネットのフリー百科事典「ウィキペディア」には「放出」について
次のような解説が載っている。
「放出(はなてん)は、大阪府大阪市鶴見区と城東区にまたがる地名。」
「難読地名・珍地名として知られる『放出』の地名の由来には2説ある。
ひとつは、当地が古代の河内湖から淀川への放出口にあたることから、
湖水の『はなちで』から『はなちでん』さらに『はなてん』に転訛した
といわれる。もう一つは、三種の神器の一つ・草薙剣を剣が安置されて
いた熱田神宮から盗み出し逃げようとした新羅の僧・道行の乗った船が
難破して当地に漂着し、神の怒りを恐れて剣を放ったという伝説に由来
するともいわれている(草薙剣盗難事件)。地区内の阿遅速雄(あじは
やお)神社にある石碑がその伝承を伝えている。
平安時代には摂津国東成郡榎並荘のうちに放出村が見られ、明治の町村
制施行まで続いた。」
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