今日の「 お気に入り 」は 、どこかで見かけた どなたかのお言葉 。
「 『 白か黒か 』で分けられるものは 世の中にはありません 。
黒の中にも白があるし 、白の中にも黒があるんです 。」
「 黒い猫でも白い猫でもネズミを捕るのはいい猫だ 。
みな経済成長をやれ 。 」
「 世の中は 白いものを黒いと言う人がいる 。それを覚えておきなさい 。 」
「 皆が見て 、白いものは道理として白い 。
それを黒いと言い 、君に黒いと言わせる 。それが理不尽だ 。 」
「 人間は誰かをしあわせにするために懸命に生きるのだ 。 」
「 世の中は 、目に映らない場所で 、誰かが誰かのために
ひたむきに何かをしているものだ 。」
閑話休題 。
小学生 、中学生 、高校生だった頃 、担任だった方のお名前を 、 七十代半ば
の今日でも、よく憶えています。
近時記憶は薄れる一方なのに 、なぜか憶えているのです、幼稚園 中退の私 。
小学一、二年の頃の丸山先生 、三、四年の頃の太田原先生 、このお二人は
女先生 。五、六年の頃の栗山先生は 、煙草呑み 。「 ピース 」でも
「 ホープ 」でもなく 、「 いこい 」を吸っておられた 。
煙草の匂いとともに 、毬栗 ( いがぐり ) 頭の先生のことを思いだします 。
中学校では 、毎年 、クラス替えがあり 、担任の先生も変わりました 。
1年B組 西村先生 、2年Ⅰ組 長岡先生 、3年J組 野村先生 。
ひとクラス50人以上 、
J組だから 、一学年10クラスのどん尻 。小学校の頃あった 午前 、
午後の二部授業は 、中学校では なかったような気がします 。
高校も 、ひとクラス50人前後 、一学年 10クラス近くあったような 。
毎年クラス替えはありましたが 、担任は三年間変わらず 立花先生 。
仄聞するところによれば 、東大理学部数学科卒だったとか 。黒板に 、
端正で 、女性的な文字・数字を書き連ねる先生でした 。
今は昔 。
風の便りにご存命の方も若干名おられるとか 。
そう言えば 、最近よくお名前をお聞きする ひろゆき さんは 、昔 、
筆者が通った高校の後輩 とか 。
( 筆者註 :「 いこいは 、かつて日本専売公社( 現在の日本たばこ産業 )が
製造・販売した日本のたばこの銘柄である 。
・ 略歴・概要
1956年( 昭和31年 )3月に販売を開始した20本入りの両切り紙巻き
たばこである 。日本専売公社発足以前の銘柄で 、1948年( 昭和23年 )
から1951年( 昭和26年 )2月まで販売した後 、製造を止めていた『 憩 』
をリニューアル復活 、新発売した 。
茶色いパッケージに 、黄色の五線譜と四分休符をあしらった 、木村柳二
によるデザインであった 。発売翌年の1957年( 昭和32年 )、『 今日も
元気だ たばこがうまい!』のキャッチフレーズが添えられた宣伝用ポス
ターが発表された 。1963年( 昭和38年 )には 青森県 、1964年( 昭和
39年 )には 長野県 でそれぞれ国土緑化記念デザインが発売されたほか 、
赤い羽根共同募金等 、さまざまなヴァージョンのデザインが存在した 。
なお 、デザインの一部要素が 、当時発売されていた フィリップモリス
両切りと類似している 。
発売当初の人気は『 しんせい 』とともに突出し 、それまでの『 ゴール
デンバット 』、『 光 』に取って代わった 。1960年( 昭和35年 )の
フィルター付きタバコ『 ハイライト 』の登場で色あせ 、1974年( 昭和
49年 )に生産終了した 。
・ 価格の変遷
1956年 - 40円
1968年 - 60円 」
以上 、ウィキ情報 。出前のもりそば 、かけそば の値段が 一枚 28円 から 40円に
値上げされたような時代の話し 。因みに 、煙草は二十代の一時期 、吹かしたこと
がありますが 、はまりませんでした 。会社勤めの最初の上司は 、時折り葉巻をく
ゆらすような方でした 。仄聞するところによれば 、海軍主計のポツダム少尉だっ
たとか 。筆者が 、55歳で早期退職した、次の年の元旦に、その上司の方から 、
永らく頂いたことがなかった年賀状が 、33年間精勤したことに対する慰労の言
葉とともに届きました 。二回り以上 、歳の離れた上司で 、入社当時 、47歳の
課長さんでした 。
ポツダム少尉 と言えば 、カナヅチ だった 小学生の筆者に 、
有無を言わせず 、泳ぎの手ほどき をしてくれたのが 、兄の
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