「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

それもアリかもね Long Good-bye 2022・06・20

2022-06-20 05:31:00 | Weblog

   今日の「 お気に入り 」は 、どこかで見かけた どなたかのお言葉 。

   「 完璧主義の人に多いのは 、『 過程( プロセス )』への口出しが
    多すぎること です 。
     たとえば 、誰かに お使いに行ってもらう としましょう 。
    そのとき 、上手に 仕事を任せられる人 は 、『 目的地は 〇〇 で 、
    ✕✕ を 買ってきてね 』と 、目的だけを伝えます 。
     しかし 、完璧主義の人は 違います 。
    『 この道で この手段を使って行ってきてね 』と 、行き先までの
    道順 や 交通手段 にまで 口出しをします 。もしくは 、行ってきた
    人に対して 、『 ちょっと 思ったより遅かったけど 、どんな方法
    で行ったの ? 』と 問い詰めたりします 。
     こういう仕事の仕方をする人は 、本当に 無能なのだ と感じます 。 」

   「 どんな人でも、1つの仕事をこなしていくうちに、自分なりの
    やり方を取得していきます。
     他人を見ていると、どうしても『 何かひと言 』を言いたくなる
    ものです 。
     しかし 、それは 意識してでも 我慢すべき だと 思います 。だって 、
    もしかすると 自分が思いもよらなかった 効率的な方法を見つけて
    くれるかもしれないからです 。
     物事を極めていき 、知識が増えていくと 、こなれていきますが 、
    逆に 、思い切った発想を持てなかったり 、常識に縛られてしまい
    ます。
     そうならないためには 、『 それもアリかもね 』ということを
    口グセにするとよいと思います 。 」

   「 他人のやり方を見て 何か言いたくなっても 、グッとこらえて 、
    肯定でも 否定でもない 『 それもアリかもね 』という言葉を
    言っておくと 、わりと 寛容的な気持ちになれます 。

     そうやって 複数の意見を認めたり 、多様性を受け入れるよう
    にしていくと 、完璧主義な考え方 から スルッと 抜け出せると
    思います 。」

   ( 筆者註 : 「 西村 博之( にしむら ひろゆき 、1976年( 昭和51年 )
         11月16日 - )は 、日本の実業家 、著作家 ( 書籍・動画 )。
         日本最大級の 匿名掲示板『 2ちゃんねる 』開設者 、英語圏
         最大の 匿名掲示板『 4chan 』管理人 。ドワンゴ が資金提供
         している 日本最大級の 動画配信サービス『 ニコニコ動画 』
         元取締役管理人 。東京プラス株式会社 代表取締役 、有限会社
         未来検索ブラジル 取締役 。愛称・通称は『 ひろゆき 』。

         東京都北区赤羽北 出身 。O型 。
         大学在学中の1999年に『 2ちゃんねる 』( 現・5ちゃんねる )
         を開設し 、管理人となる 。2005年 、ニワンゴ( 現・ドワンゴ )
         取締役管理人 に就任し 、翌年に『 ニコニコ動画 』を開始 。
          並行して 企画立案 、サービス運営 、プログラマー として複数
         の企業運営に携わる 。
          2015年 フランスのパリへ移住 。同年 、英語圏最大の匿名画像
         掲示板『 4chan 』を買収し 管理人に就任する 。

         生い立ち
          1976年 、神奈川県相模原市生まれ 。東京都北区赤羽北( 曰く
         『 大都会 』 )で育つ 。
          ひろゆき は 自身の先祖について『 西村家の先祖は岡山県から
         北海道に屯田兵として移住した下級武士と思います 』と述べて
         いる 。祖父は 北海道で 西村牧場 を運営していた 酪農家 の 西村
         和夫 、父親は 財務省国税庁国税局税務署員 で 北海道足寄町出身 、
          姉が一人いる 。

          少年時代は 生活保護受給者が大勢居住していた 都営桐ヶ丘団地
         に住んでいた 。
          団地が 雪印東京工場の近く だったため 、雪印集団食中毒事件 が
         発生した際に 数千人の無職家庭が生まれたが 、それでも牧歌的で
         あったと語っている 。また 団地の生活保護世帯を『 国から生活費
         が支給され 、医療費も無料の貴族 』と表現している 。
         『 ベーシックインカム 』を推進しているのも 、このような環境で
         育ち『 働かないといけない 』という感覚が圧倒的に乏しいから と
         述べている 。

          北区立北園小学校( 統合により 現・北区立袋小学校 )出身 、北
         区立北中学校( 統合により 現・北区立桐ヶ丘中学校 )出身で
         『 中学は荒れすぎて 、先生が殴られて失明したり 、登校時校門
         の前の先輩に男子は全員一発殴られるとか 、一日で窓ガラスが13
         枚割れたりと地元でも野蛮で有名な中学だったので 、校則が徹底
         出来ないのが当たり前でした 。んで 、校則が全く無い公立高校に
         行ったので 、校則で困った経験無いんですよねぇ 』と回想してい
         る 。高校は 東京都立北園高等学校 出身


          高校では 物理学専攻 を志望していたが 、代数の教師と折り合いが
         悪く 単位を落として理系進学を断念 。高校卒業時の成績は 、下か
         ら10番以内だったという

          1996年4月 、一浪の末に 中央大学文学部教育学科心理学コース に
         入学 。大学在学中に原付バイクで交通事故に遭い 、その慰謝料で
         1998年夏に 米国アーカンソー州の 中央アーカンソー大学 ( University
         of Central Arkansas ) へ 1年間留学 した 。
          大学で心理学を学ぼうと思ったのは 、心理学だけは 人の心を扱うので 、
         参考書を読んだだけではマスターできない と考えたからであるが 、
         実際に大学の授業を受けると 授業でも参考書を読むだけだったため 、
         期待外れであったと述べている


          中央大学を志望・受験したのは『 最小限の労力で乗り切るため 』で
         あり『 受験勉強をしたくないから 、用語集の一番薄い政治経済を選び 、
         自分の学力で受かる大学を受けた 。
          受験はマークシート式で 、最小限の労力で乗り切った 。決して東大を
         目指すようなことはせず 、『 大卒 』のカードだけを持っておこうと
         思った 。僕はそうやって生き残ってきたタイプだ 。大学に入っても 、
         学問を修めるという意識はなく 、最短で単位を取りながら ダラダラと
         過ごすモラトリアム生活を満喫した
。』と述べている 。 」

         「 『 西村博之 』名義で出している著書は ひろゆき が編集者と話した
          内容を編集者がまとめた本がほとんどであり 、『 あとがき 』しか
          まともに文章を書いていないと『 1%の努力 』のあとがきで明かして
          いる。『 1%の努力 』をまとめたのは ダイヤモンド社 の 編集の 種岡
          健である 。 」

          以上ウィキ情報 。筆者が通ってた60年前も「校則」なんかなかった
          公立高校の 後輩 なんだ 、ひろゆき さん は 。
          60年前も 受験校ではなかったが 、なぜか 、高学歴で、今でいうとこ
          ろの 意識高い系 の 教師 が 居並んで いたような 、左から 右まで ・・・ 。 )







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