「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

2006・07・25

2006-07-25 08:10:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、昨日と同じ作家水上勉さんの「親子の絆についての断想」と題した文章の続きです。

 「父と母はよく喧嘩していた。私が四歳の時に祖母が死んだ。父は外へ仕事に出れるようになり、組にも入って普請にゆくのだったが、給金をもち帰らないので、母はぶつぶつ云い、結局、働き者の母は、地主の家の小作で米や野菜や薪をもらって、私たち五人の子を養育し、実質的な主導権をもつようになった。だが、当時の家は父が家長であった。金をもち帰らぬふしだら男でも、威張っていたのだ。私の父はとりわけ頑固者で理屈いいで、字も書け、弁舌もうまかった。母は反対に字も下手だったし、物言いもまあまあの無口者で、ひたすら働く性格だった。そのため事ごとに衝突したのだ。喧嘩はいつも陰湿だった。時には父が母を撲りつけるのを見たが、ねっちりと母をやりこめることがあった。母は泣いていた。しくしく泣くのである。眼をはらして、子供にかくれてしくしく泣く母を、私は三つごろから何ど見たことか。
 母は十六歳で京都に奉公に出て、下駄つくりをおぼえていた。十九歳で帰って、里の父親が財産を失ない、中風になって、村の辻へ出て仁丹を売ったり、下駄の鼻緒を打ったりするのについて廻っていて、父を見染め、結婚することになったらしかった。もちろん、そういう事情を私が知るのはのちのことだが、母は嫁にきた時は、タンスも長持もなく、風呂敷に当座の衣類をつつんできたといっていた。軀一つできた姿は、それはそれで棺桶つくりの父にふさわしい嫁だったろう。私はその母の二十二歳の時の子である。」

   (山田太一編「生きるかなしみ」ちくま文庫 所収)
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