今日の「お気に入り」は、久世光彦さん(1935-2006)のエッセー「母の聖地」より。
「そのころは料理に手をかけた。たとえば、何ということもない煮物にも、ずいぶん時間をかけたものだ。味は時間だと、いまでも母は言う。夜の食卓に並ぶのは、半日がかりのそんな味だった。そして私たちは、それが当たり前だと思っていた。よく煮込んだ魚や野菜は、円い卓袱台の上にぶら下がった黄色い電灯に照らされて、穏やかな湯気を上げていた。六畳の茶の間に六十ワットの電灯だった。いまみたいな広角の蛍光灯ではなく、白熱灯のいわゆる一灯吊りだったから、部屋の照明は円錐形になる。卓袱台を中心に光の輪が広がり、行儀よく坐った五人の家族の背中の辺りには、もう薄闇があった。ものを食べている父や姉や兄の顔が見えたという記憶が私にはない。あのころの茶の間の電灯は、母が長い時間をかけて拵(こしら)えた献立を、ほのぼのと照らすためにあったのである。」
(久世光彦著「むかし卓袱台があったころ」ちくま文庫 所収」)
「そのころは料理に手をかけた。たとえば、何ということもない煮物にも、ずいぶん時間をかけたものだ。味は時間だと、いまでも母は言う。夜の食卓に並ぶのは、半日がかりのそんな味だった。そして私たちは、それが当たり前だと思っていた。よく煮込んだ魚や野菜は、円い卓袱台の上にぶら下がった黄色い電灯に照らされて、穏やかな湯気を上げていた。六畳の茶の間に六十ワットの電灯だった。いまみたいな広角の蛍光灯ではなく、白熱灯のいわゆる一灯吊りだったから、部屋の照明は円錐形になる。卓袱台を中心に光の輪が広がり、行儀よく坐った五人の家族の背中の辺りには、もう薄闇があった。ものを食べている父や姉や兄の顔が見えたという記憶が私にはない。あのころの茶の間の電灯は、母が長い時間をかけて拵(こしら)えた献立を、ほのぼのと照らすためにあったのである。」
(久世光彦著「むかし卓袱台があったころ」ちくま文庫 所収」)