「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

大きいもの 2014・05・10

2014-05-10 06:55:00 | Weblog


  今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から、昨日のつづき。

  「これよりさき去年五月、ニクソンは声明を発して、北ベトナムを国際的無法者だと言った。北ベトナムが

  南ベトナムに攻めこんだのは侵略である。アメリカの和平提案に対して、北は侵略をもって答えた。この無

  法者の手から武器をとりあげるのは、アメリカの義務だと言った。

   国際的無法者とはアメリカのことだと、毎日読まされてきた日本人は、さぞ驚いたことだろう。盗人たけ

  だけしいとあきれたことだろうが、これだけの声明をするのだから、それだけの言いぶんはあるのだろうと

  思われる。

   南北ベトナムは、共に非武装中立地帯を越えることができない。そういう協定がある(わが新聞はそれを

  書かない)。越えて攻めこんで来るのは常に北である。南は北へ攻めのぼったためしがない。アメリカは南

  の防衛に力を貸している。中国とソ連は北の侵略に力を貸している。北は南を併呑しようとしていると、ア

  メリカの新聞は年中書いているのだろう。それは題だけ見て、中身が分るほどだろう。

   けれども、わが国の新聞はそれを伝えない。伝えないでこの夥しい情報から選べという。夥しいのは北側

  の優勢を喜ぶ記事である。それは日本と北が一心同体だと思わせるほどである。それでいて日本人は、わが

  国に無断でアメリカが中国に手をさしのべたとあとでうらんだのである。

   アメリカにはアメリカを是とする説が山ほどあり、中国には中国を是とする説が山ほどある

  それは共に自然だが、北でも中国でもないわが国に、北と中国の説だけを是とする報道があるのは

  不自然である
わが国にはわが国を是とする説が、もっとあっていい

   日米再び戦えというのかと、私は笑ったことがある。そのつもりがないこと、鬼畜米英と書いた三十余年

  前と同じで、気分を出すこと三十余年前と同じだからである。

   十年鬼畜だと書き続けると、それは鬼畜になる鬼畜側にも少しは理があるだろうと

  いう発想がそもそも生じなくなる
。そのくせ、大戦中に書かれて、誰も相手にしなかった『暗黒日記』(清沢洌)

  のたぐいを、今ごろ珍重するのはどういう料簡だろう。

   大ぜいの言うことなら、眉ツバだといったのはこのことである。おのれ、アメリカ人に味方

  するかと袋だたきにされるから、言いたくても言わない。言わなければいつのまにか言うのを忘れるようになること妙である。

   かくて、新聞は一つで、一つだから批評がない。このごろ週刊誌が批評するようになったが、

  週刊誌はもと醜聞をもって売るもので、今もしばしば売るから、せっかくの意見が信用されない。大新聞を

  批評して動揺させる力があるのは、対立する大新聞か、NHKくらいなものである。これらが自衛上互いに

  批評しないことは始めに書いた。

 その大新聞は、大銀行、大会社、大デパート――およそ自分と同じく大きいものなら批評しない

   新聞は銀行から途方もない金を借りている。もっと借りたいまだ貸してはくれないが、

  いずれ貸してくれるかもしれない銀行のことは、書きたくない
大企業は新聞テレビのスポンサー

  だから、同じく書きたくない


 
(中略)


   私は正義がいつも大きいものの上にあるのを怪しく思うものである有利なものの上に

  あるのを疑うものである
正義はしばしば小さいものの方に、また不利なものの方にあると、弱年の

  とき私は聞いたことがある

                                     〔『諸君!』昭和48年4月号〕」

   (山本夏彦著「とかくこの世はダメとムダ」講談社刊 所収)



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