今日の「 お気に入り 」 は 、伊集院静( 1950年〈 昭和25年 〉2月9日 - )
さんの随筆から スクラップ 。
順不同 。備忘のため 。覚えては忘れ 、忘れては憶え 。
「 人は病気や 、事故でこの世を去るのではないと
私は思っている 。人は寿命で 、この世を去るの
である 。人の死は 、生きているその人と二度と
逢えないだけのことで 、それ以上でも 、以下で
もない 。生きている当人には逢えないが 、その
人は生き残った人たちの中で間違いなく生きてい
る 。 」
「 人間が生きるということは 、どこかで過ちを犯す
ことが 、その人の意思とは別に起こるのである 。 」
「 ―― 別離は慣れているのだろう 、オマエ 。 」
「 『 あら伊集院さん 、たしか去年が歯でしたわね 、
それで今年が目ですか 。じゃ来年は 』
私は鮨屋の女将の顔を見返した 。
『 ハ 、メ 、マラと言いたいのか 』
『 ハ 、メ 、マラって何ですか ? 』
かたわらの銀座のネエチャンが訊いた 。
―― オイオイ 、本当に知らないの ?
どんどん日本語に死に絶える言語が出る 。 」
「 親が亡くなってみて 、親が自分のことをどんなに大切に
してくれていたかがわかる 。
そうして時間が経つにつれ 、親がどれほどさまざまなこ
とを自分にしてくれていたのかがわかって来る 。
このことを大半の人は 、親を亡くしてから知るようにな
る 。
知れば知るほど 、有難みが湧いて来る一方で 、どうして
あの時 、あんな言葉を親に口走ってしまったのか 、とか 、
どうして亡くなる前に 、もう少し孝行ができなかったのか 、
と悔むのが 、世の中の常なのである 。
女性などは子供を産んで 、育てはじめると 、そこで母親
がどれほど自分を大切にしてくれていたかを思い知る 。そ
うして女性たちは思うのである 。
―― もっと母さんにやさしくしておけばよかった ・・・ 。
私は 、その後悔に似た念を抱くことが 、実は大切なこと
だと思う 。そこで初めて 、それまでは気付かなかったこと 、
考えが及ばないこと知るのは 、人間として善きことに出逢
ったことだと思う 。
―― ではなぜ ? そのことに気づかなかったのだろうか ?
それは近くにいつも居てくれて 、なおかつ居ることが当た
り前のように思えたからだ 。 」
「 親でなくとも 、近しい存在の人に対して 、私たち
は 、そこに居てくれることが当たり前に思えると 、
その人の気持ちを考えようとしないし 、いちいちそう
思わずとも 、居てくれるだけでよかったのだ。
人間は迂闊な生きものではないのかと思うことがある 。
安心 、安堵を抱ける人がそばに存在することが 、どれ
ほど恵まれているのか 、その人にむけて敢えて思い起
こすことがない 。だから安心 、安堵なのである 。 」
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