今日の「 お気に入り 」は 、山田太一さんの「 月日の残像 」から 。
備忘のため 、抜き書き 。「 女と刀 」と題した章のほぼ全文 。
引用はじめ 。
「 ほぼ三十年前の 、短い私の随筆が 、ある新聞のコラム
で 、要約という形で言及された 。」
「 私なりに要約すると 、湘南電車の四人掛けの席で 、
中年の男が他の三人 ( 老人と若い女性と私 ) に 、いろ
いろ話しかけて来たのである 。
それだけでも 、いまはもうありそうもない 。長くて
も二時間前後の 、いわば通勤圏の電車で相席の人に
話しかけるなんていうことは 、酔っているとかすれば
別だが 、それだってほとんどないだろう 。
そのころだってやたらにあったわけではないが 、『 あ 、
富士が綺麗だ 』 と誰かがいって 、『 そうですね 』 と
いうぐらいのことは 、ごく普通の空気でなされたように
思う 。いつの間にか 、人と人の閉じ方が強くなっている
のかもしれない 。
『 ああ 、まいった 。今日はえらい目にあった 』 と相手
を求めて口をひらいた男にまず若い娘がつかまり『 いや 、
今朝がた湯河原でね 』 という話に 、いつの間にか老人も
加わり 、私にも目を向けるので 、私も 『 へえ 』 などと
いっていた 。気の好い人柄に思えた 。
ところがやがて 、バナナをカバンからとり出し 、お食べ
なさいよ 、と一本ずつさし出したのである 。私は断った 。
『 遠慮じゃない 。欲しくないから 』 『 まあ 、ここへ置く
から 』 と男はかまわず窓際へ一本バナナを置いた 。
食べている老人に 『 おいしいでしょう 』 という 。娘さん
にもいう 。『 ええ 』『 ほら 、おいしいんだから 、お食べ
なさいって 』 と妙にしつこいのだ 。『 どうして食べないの
かなあ 』
そのうち食べ終えた老人までが置いたままのバナナを気に
して 『 いただきなさいよ 。せっかくなごやかに話していた
のに 、あんたいけないよ 』 といい出す 。
そのコラムの要約は 『 貰って食べた人を非難する気はない
が 、たちまち 『 なごやかになれる 』 人々がなんだか怖い
のである 』 という私の文章でまとめられている 。 」
「 私はかつて 『 なごやかになれない人 』 の結晶のような
人物を描いた小説をテレビドラマに脚色したことがある 。
脚本家になって一年目のことだった 。鹿児島の作家・中村
きい子さんの 『 女と刀 』 である 。企画は木下恵介さん 、
はじめの三回は木下さんが書き 、あとを引き継いで三十分
二十六回のドラマだった 。 」
「 小説は 、作者の母上の生涯を語ったものだが 、その 誕生
( 明治十五年 ) の五年前に西南戦争が起きている 。この戦
争が 、この物語の底流から消えない出来事である 。
贅言 ( ぜいげん ) だが 、大久保利通と西郷隆盛と いう 、
同じ鹿児島の 、家も近い若い下級士族の青年二人が 、ほ
とんど中心になって徳川の時代を終焉に導き 、明治新
政府を樹立したのであった 。それが明治十年に 、大久保
は新政権の最高位を占め 、西郷は反政府の士族たちの長
となって 、戦い合うことになった 。
熊本が主戦場となり 、西郷軍は敗走して鹿児島へ戻り 、
力尽きた 。西郷は自刃した 。
その西郷の許で戦って敗れたのが 、主人公の父であり 、
作者の祖父である 。鹿児島でさえ賊軍呼ばわりされたと
いう 。たしかに敗けは敗けである 。しかし 、だからと
いって 、いさぎよく敗けたりはしない 、というのが 、
その青年士族の 『 意向 』 であり 、新しい権力に無条
件でわが身をゆだねるなどということはあってはならな
いといい 『 いくさとは 、ねばりという火をこころに燃
やさねばならぬもの 』 、敗けても 『 おのれの意向は刀
折れ 、矢つきても通さねばならぬ 』 というのである 。
その 『 意向 』 とは 、慌てて西洋の仕組みを学びに行き
『 一枚めくれば銀紙よりもまだ軽い 『 文明開化 』 などと
いう 、毛唐どもの猿真似を 、まるで金のたまごのように
持ちかえった大久保殿の気がしれぬわい 』という 、真向
から明治新政府の西欧化 、近代化に叛旗を掲げるものだ
った 。『 どうあろうとも西郷殿のお言いやい申したこと
を 、きく耳もたなかった 『 日本 』 のやがてを 、わしら
は見届けねばならぬ ( 略 ) このくろい目で確かめるまでは 、
お互いに生きられるだけ生きのびることにいたしもそ 』
その西郷殿の意向には 、今のうちに韓国を叩いておこう
という 『 征韓論 』 もあり 、新政権にどのくらい対抗し
得る内容であったかは私には計り難いが 、一点 、新政権
に勝るものがあるとすれば 、自分が生きて来た過去を素
早く否定できない者たちの情念の重さのようなものでは
ないかと思う 。
さあ新時代だ 、髷を切ろう洋服を着ようという適応の早
さに 、人間そんなに簡単に変れるものか 、変ってたまる
かという 『 ついて行けない者たち 』 の誇りと無念の重さ
がこの小説の柱である 。
父の無念は 、『 意向 』 を 『 こころ 』 といい替えられて 、
主人公に伝えられて行く 。第二次大戦の敗色が濃くなるこ
ろになっても 、これは大久保たちのつくった 『 日本 』の
不始末で 、かかわりなどあるものか 、と軍需工場へ行って
国のために戦うという娘に 、主人公は刀をつきつけて行か
せぬといって押し通す 。周囲から非国民呼ばわりされても
『 なんとよばれようがわたしゃ覚悟のうえでやったことじ
ゃよ 』 と動じない 。
敗戦になる 。すると周囲は一変する 。今まで命を賭して
戦っていたはずの相手に 、これはもう無条件降伏なのだ
から仕様がないと 、占領軍が持ち込んだ民主主義をぬけ
ぬけと歓喜の両手で迎えてしまう 。その思想の深さも知ら
ずに 、おのれのもののように振舞う 。『 敗けてよかった 』
などという 。『 非国民は許せない 』 といっていたのは誰
だったのか 。父が生きていたら 、大久保のつくった 『 日
本 』 のなれの果てを見て憤死するだろう 、という 。
そういう激しい女性だから 、実生活で周囲にいる者たちは 、
たまったものではない 。
生きるということは 『 ただそれだけにとどまる姿勢でなく
して 、おのれの意 ( こころ ) を通して生きるという姿勢を
貫かねばならぬ 』 。
近隣からは 『 鬼婆あ 』 といわれ 、子どもと争い 、嫁とも
戦い 、一番の災難は夫で 、ごく普通の平凡で小心な男なの
だが 『 ひとふりの刀の重さほども値しない男よ 』 と見捨て
られてしまう 。
世間にも気をつかい 、細かな我慢を重ね 、時には小さな不
正にも加担し 、怠けたり 、こっそり小さな愉しみを見つけ
たりという 『 なごやかな人生 』 などに安住しようもない
女性の生涯なのであった 。
この脚色は 、一口にいえば 、鍛えられた 。なまはんかな
ものを書こうものなら激しい作者に𠮟りつけられそうで 、
おびえながら書いた 。なにしろ私はといえば 、その 『 ひ
とふりの刀の重さほども値しない男 』 の一人だから 、主
人公の台詞ひとつひとつが私に向けられているようで 、
叱咤の台詞を自分で書いて自分でへこんで 、あやまって 、
時には𠮟りつける主人公と一体化したような錯覚があった
りして 、やり甲斐のある仕事だった 。
主人公のキヲは 、中原ひとみさんだった 。当時はもう
可愛い少女ではなかったが 、それでも明るく柔らかな印
象の女優さんを 、強さのかたまりのような女性に配役した
木下さんの感覚もすばらしかった 。老婆になるまでを 、
見事に中原さんは 、やり通した 。春川ますみさんが演じ
た 、ドサリとしたたかな嫁との激しい闘いのシーンなど
も忘れられない 。もしこれが映画だったら 、木下恵介
監督の代表作の一つになったかもしれないと 、ひそかに
思っている 。
というような訳で 、その後の私はこの作品にいくらか
しばられている 。 」
「 バナナをすすめられて 、欲しくないといった 。それは
本心だった 。知らない人から簡単にものを貰って食べて
いいのか 、という用心もある 。
しかし 、気軽に他の二人が 『 おぃしい 』 『 食べなさい
よ 』 と言い出すと 『 じゃあ 』 といって手を出してしま
うのが 、まあ 、本来の私かも知れなかった 。しかし 、
そこで 『 女と刀 』 の叱咤が甦るのである 。欲しくない
なら 、その 『 こころ 』 を貫ぬけ 、と 。
すると 『 あんた大人気ないよ 』 とかいわれはじめる 。
次第に窓際のバナナが踏み絵のようになって来る 。
つまり 、たちまち 『 なごやかになれる人 』 は 『 なご
やかになれない人 』 を非難し排除しがちだから怖いと
いったのだった 。
そのあとどうしたかは 、元の随筆でも書いていない 。
途中の藤沢で老人が立上り 『 あんたがいらないなら私が
貰うよ 』 とそのバナナをとって 『 ありがとね 』 と中年
男に礼をいっておりて行った 。こういうのを見事というの
だろう 。中年男と若い娘は雑談を続け 、共に横浜でおりて
行った 。私はそれだけで疲れて 、『 女と刀 』 をやるのは
大変だよ 、と溜息をつきながら川崎でおりた 。 」
( 山田太一著 「 月日の残像 」新潮文庫 所収 )
引用おわり 。
( ´_ゝ`)
湘南電車の乗客四人のやりとり 、今の言葉でいうなら「 同調
圧力 」。コロナ禍で右往左往していた頃 、よく使われた言葉 。
人は忘れやすい生き物 。
コロナなんてあったっけ 、地震なんてあったっけ 。
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