「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

2006・05・05

2006-05-05 08:45:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から、「わが子より犬猫を愛す」と題した昨日引用した平成11年9月のコラムの続きです。

 「象の話なら聞いたことがある。象牙は金になるから欲ばりが象の死に場所をさがして、ついにさがしあてたら象牙の山だったという。うそかまことか昔からそう聞いている。それなら鳩や雀は一文にもならないからさがさないのだろう。
 ところがここに一大異変が生じた。『ペット』である。これも貧乏がなくなったせいと、核家族が完了したせいである。人間の子らは反抗する、成人すると出てゆく。子供より犬猫のほうが可愛い。
 畜生には畜生の可愛がりかたがあると昔の人は言ったが、そんな言葉を知る人もなくなって溺愛する。畜生を室内で飼い、同衾して人と同じものを口うつしに食べさせて、このごろは犬猫が人と同じ病気をするまでになった。
 人は食べても犬猫は食べなかった美食までさせると、犬猫は人と同じく長寿になって、人と同じ病気をわずらう。糖尿病心臓病、しまいにはよろめくのでさては老衰かと思ったら白内障だそうで、手術したら治ってなお生きている。ついにアルツハイマーになって人間にその死体を見せる。
 ギリシャ神話に人が神に小さな手助けをしたら、礼に何がほしいか言え、『金』と答えたらお安いご用だ、以後手をふれたら何でも金にしてやろう、ありがたいと喜んだのも束(つか)のま、朝めしも晩めしも手をふれるとたちまち金になって神に願って呪文をといてもらったという。
 おお、現代人はこの愚かものに似た存在になったのである。あの死に場所まで心得ていた犬猫も人が飼うと人と同じながわずらいをしてたれ流しになって、死屍を見せる。そして人は呪文をとなえて神に求めて得るすべを知らないのである。かえって満足なのである。」

   (山本夏彦著「寄せては返す波の音」新潮社刊 所収)
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 死に場所 2006・05・04 | トップ | 2006・05・06 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事