今日の「 お気に入り 」は 、「 春のやよいの
あけぼのに 」が 歌い出しの「 越天楽今様 」
(えてんらく いまよう)の 歌詞 。メロディ
が思い浮かばないのは 、耳に馴染みがない
せいでしょうか 。日本の四季 、今は昔 。
作詞者は 僧 慈円 。「 小倉百人一首 」で
前大僧正慈円(さきの だいそうじょう じえん)
と紹介されている 、平安時代末期から鎌倉時代
初期の天台宗の僧で、歌人 。歴史書「 愚管抄 」
を記した人物 。
「 歌 詞
春のやよいの あけぼのに
四方(よも)の山べを 見わたせば
花盛りかも しら雲の
かからぬ峰こそ なかりけれ
花たちばなも 匂うなり
軒のあやめも 薫るなり
夕暮さまの さみだれに
山ほととぎす 名乗るなり
秋の初めに なりぬれば
ことしも半ばは 過ぎにけり
わがよ更けゆく 月影の
かたぶく見るこそ あわれなれ
冬の夜寒の 朝ぼらけ
ちぎりし山路は 雪ふかし 朝帰りの歌
心のあとは つかねども
思いやるこそ あわれなれ 」
「 歌詞の意味:
春 、三月の明け方に 、周りの山々を見渡すと 、
桜が満開なのだろうか 、雲のかかっていない
峰はない 。
夏には橘の白い花が匂い 、軒に咲く菖蒲も香る 。
夕暮れに五月雨(さみだれ)が降り 、山では
ホトトギスが鳴いている 。
秋に入り 、今年も半分過ぎた 。月が沈むように
我が人生も過ぎゆき 、もの寂しく思う 。
冬の寒い夜が明ける頃 、細い山道の雪は深い 。 書いてないけど朝帰りなんです 。
心の足跡はつかないが 、思いを馳せるのは趣深い
ことだ 。 」
( ´_ゝ`)
( ついでながらの
筆者註:ネット検索した 小学唱歌集 ( 明治14年11月 )
の 第十五に 「 春のやよひ 」と題してこの歌が
載っています 。
「 一 春のやよひの。あけぼのに。
四方のやまべを。見わたせば。
はなざかりかも。しらくもの。
かゝらぬみねこそ。なかりけれ。
二 はなたちばなも。にほふなり。
軒のあやめも。かをるなり。
ゆふぐれさまの。さみだれに。
やまほとゝぎす。なのるなり。
三 秋のはじめに。なりぬれば。
ことしもなかばは。すぎにけり。
わがよふけゆく。月かげの。
かたぶく見るこそ。あはれなれ。
四 冬の夜さむの。あさぼらけ。
ちぎりし山路は。ゆきふかし。
こゝろのあとは。つかねども。
おもひやるこそ。あはれなれ。 」
福岡県民謡「 黒田節 」の三番に「 春のやよひ 」の
一番の歌詞が使われているようです 。
《 黒田節の歌詞:
酒は飲め飲め 飲むならば
日の本一の この槍を
飲みとるほどに 飲むならば
これぞまことの 黒田武士
峰の嵐か 松風か
訪ぬる人の 琴の音か
駒ひきとめて 立ち寄れば
爪音高き 想夫恋
春の弥生の あけぼのに
四方の山辺を 見渡せば
花盛りかも 白雲の
かからぬ峰こそ なかりけれ 》
ついでのついでのことながら 、小学唱歌集の第十七に
「 蝶々 」が載っており 、筆者にとっては 、この
一番を 現代風にア レンジした歌詞に馴染みが
あります 。さすがに 、二番は知らないなあ 。
「 一 てふ/\てふ/\。菜の葉にとまれ。 「 ちょうちょ ちょうちょ 」
なのはにあいたら。桜にとまれ。
さくらの花の。さかゆる御代に。 「 はなからはなへ ] でしたっけ。
とまれよあそべ。あそべよとまれ。
二 おきよ/\。ねぐらのすゞめ。
朝日のひかりの。さしこぬさきに。
ねぐらをいでゝ。こずゑにとまり。
あそべよすゞめ。うたへよすゞめ。」
以上ウィキ情報 ほか 。)