優秀な高校生は2年でき卒業を検討するという
いわゆる「飛び級」の議論が意外に面倒、というか不思議だ。
ちょっと思いつくだけでも、こんな感じ。
「学力格差が広がる」
→上下の差という視点ではなく、
上限をより高めていく、可能性を広げていくという話。
日本の選手が大リーグでプレイしてもいいじゃないか、みたいな。
そんな心配よりも、地域間の格差を考えるのはどうだろう?
「学校で身につけるのは学力だけではない」
→人間、生きてる限り、そこが学校だと思う。
何かを学ぶことが皆一律の環境でなくては、というのは
どこかおかしいのでは。
「教育現場が混乱する」
→生徒ひとりひとりへの木目細かな指導が大切、
という話はどこにいったのだろう。
人生は混乱の連続だ。
もちろん「飛び級ですべてが上手くいく」なんて訳はない。
でも選択肢が広がることと、人それぞれが違うことへの受容性。
これからの社会には、とても大切なことだと思う。
ただし、飛び級で失敗しても、
ちゃんとリカバリーショットが打てる仕組みは考えておいて欲しい。
チャレンジとはギャンブルではなく、歩き方のひとつだと思う。