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日々の思い、記憶のゴミ箱に行く前に。

ブックマッチ! 『副知事になってみたら』VS『敗戦記』

2011年08月11日 | 読書とか

東京都副知事の猪瀬直樹氏、
ツイッター上での存在感に比例するかのように、
著書への注目も高まっているようです。

もともと小泉内閣の一員に名を連ねて以来、
氏が政治に関わることに違和感を持つ人は少ないと思う。
むしろツイッター上で見られるコメントからは、
あらためて、氏が書き手であることに対しての
「へーっ!?」といった声が聞こえてくるようです。

東京の副知事になってみたら (小学館101新書)
クリエーター情報なし
小学館



それと呼応している訳ではないでしょうが、
記述のあちこちからは、氏の「作家宣言」が聞こえてくる気が。
たとえば書き出しはこんな一節。

 真下から仰ぐと新宿の超高層ビルの頂きは、
大道具係がつくった映画の書割のような白い雲と青い空に縁取られている。
棒状の建物が『ワタクシは近代の産物です』とわざわざ主張しているような、
芸のない姿だから空まで間が抜けて見えてしまう」


で、冒頭の一節が開いたページの空気は、
少し後のこんな文章で決定的になるのですよ。

さて、すべてを疑うのが作家である(P.6)


ここで書かれている内容、
たとえば都政の改革や霞が関とのせめぎ合い話などには、
骨太な説得力があります。
それは単に事実であるのというだけでなく、
著者の語り手としての力が、その重量感を
余すところなく引出しているからなのでは。

政治を語る上での作家の強みは、
個の視点を失わないことだと思います。
歴史や権力、経済などの味つけの濃い要素がくわわっても、
物語の軸はあくまで人間、という訳なのでしょう。

そして締めの部分には、こんな下りが。

 僕は作家として、作家だからできることを考えた。
直感の力、記憶し伝える力、という武器を駆使した。


そう、これは「作家としての武器」を思う存分使った
なかなか貴重な一冊だと思います。
ま、誰にでも書けるもんじゃないっす。


で、そんな感想を転がしているうちに思いだしたのが、
95年の都知事選に立候補して敗れた大前研一氏。

大前研一 敗戦記
クリエーター情報なし
文藝春秋

経営コンサルティング界のドン(?)として、
また最近は原発に関するコメントでも存在感を発揮しているけれど、
2度の選挙(都知事と参議院議員)では勝つことができなかった。

そしてこの2冊、著者の背景も書かれた時期もまったく違うけれど、
あらためて読んでみると、どこか繋がるものを感じるのですよ。
といっても何か相通じるものがある、というのではなく、
むしろコインの裏と表、みたいな。

『敗戦記』を読むと、
綿密なデーターと独自の視点に基づいた大前氏の政策も、
有権者たちにはアピールしなかったようです。

こうして都議会や政党を回ると、プロには大変注目されていた私の政策だが、
結果的に言うと、一般の有権者にはほとんど省みられなかった。(P.42)

これは実は、前回も同じだった。(中略)結果は鈴木氏の四選。
勝敗を決したのは「政策」ではなく、有権者の「感情」だった。(P.43)


一方、意外なところで氏の支持を 生んだのは、
演説後に日本文化に詳しいジニー夫人が笛で奏でた日本の曲。
これが聴衆の「大前は、実はいい奴かもしれない」という印象を生んだとか。
ま、なんのこっちゃ、という気はするのだけど、
街頭演説に集まる人には、そういうタイプが多かったのかもしれないなぁ。

そして「なぜ政策が理解されないのか」と自問する大前氏に、
支援者のひとり加山雄三氏(意外な組み合わせだ……)の指摘が鋭い。
ちょっと長いけど、引用しておきます。

あんたがなぜ滑稽なのかというとね、
全部一人でやろうとしているからだ。

明治維新を見なよ。
このまま行ったら日本は欧米列強の植民地になる、
大変なことになるという共通認識があった。
その危機感が皆にあって(中略)、力をあわせてやりとげた。
それを後の人が『明治維新』と呼んだだけだ。

それと比較すると、大前さんは、
全部自分で分析して、全部自分で答を持ってて、何聞いてもわかってて、
そして一人で興ってもいないのに、『平成維新』と言って、
『平成維新です。みんなやりましょう』とやっている。
それじゃあピエロだ。

仰る通り、さしもの大前氏もぐうの音もでなかったようだ。
確かに氏のスタイルはビジネスの世界(主に外資系の)ではど真ん中でも、
情緒や空気が幅を利かせる政治環境では、難しいものがあったかもしれない。

ま、個人的には当選して欲しかったなぁ。
あの脳みその腕力(?)で都政にあたってくれたら、
東京はもっとイノベイティブな場所になっていたと思うのです。

とても悔しいのが、取材にあたったメディアのレベル。
だって記者さんたち、シンガポールのリー・クアン・ユー元首相や
マレーシアのマハティール首相の推薦の重要性に気づかない。
おまけにその原文(英語)を訳して欲しいとの要求、ってホントにジャーナリストかよ。
95ページあたりを読んでいると、なんだか怒りが湧いてきます。

元来政治は人間臭い営みであり、ビジネスマネージメントとは違う。
総合格闘家がプロレスの試合に出てしまったような噛み合わなさ。
そんな状況で、大前氏は負けていったのだと思う。

たとえば総合格闘技がつきつける現実に、プロレスが魅せる夢。
そのどちらも、政治には欠かせないものだった。
あー、やっぱり、このお二人がタッグを組んでいてくれたら……。

などと思ってしまう、今回のブックマッチ!なのでした。
って、まだたったの2回目だけど。


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