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TRASHBOX

日々の思い、記憶のゴミ箱に行く前に。

ノマドランド

2021年04月03日 | 映画とか
結構評判になっているので、ご覧になった方、またはある程度の知識のある方も多いと思う。僕自身は、恥ずかしながら「現代のアメリカのリアルな一面」みたいなお話かと思って観に行ったのだけど、そんな薄っぺらな先入観はふーっと吹き飛ばされた。素晴らしい映画だった。

骨太、という言い方は安易だけど、車上の民となったシニアたちの経済的にも健康面でも厳しい現実から目を背けず、一方で尊厳をもって生きていこうとする彼らの姿をとらえた映像は、僕には美しいものに見えた。

公式サイトの「「アメリカの大自然を背景に、今この時代を希望で照らす」という一節は、いささかおざなりには感じるが、この「希望」とは収入とか健康によって与えられるものではなく、1人の人間として生きること自体に希望があるのだ、ということだと思う。

メインの俳優2人——フランシス・マクドーマンド(ファーン役)とデヴィッド・ストラザーン(デヴィッド役)——以外は実際の「ノマド」の人たちであり、監督は彼ら/彼女たちの息づかいとシンクロするように物語を動かしている。

いや、ホント皆の演技が素晴らしいんですよ。その腕前が気になって、前作「ザ・ライダー」をNetflixで観たら(4月6日で公開終了)、これも素晴らしかった、というか凄かった(この辺は、また別に書きます)。舞台となるアメリカの荒野、そして物語に寄り添う音楽も美しい。もし興味をもったら、是非劇場でご覧くださいませ。

プロジェクトとしての『ボヘミアン・ラプソディー』

2018年11月24日 | 映画とか

※2018年11月24日の投稿です。

今日11月24日はフレディ・マーキュリーの命日。映画『ボヘミアン・ラプソディー』については既に多くの方がコメントされているけれど、少し自分なりに書いておきたい。ちなみに家人の血中クイーン濃度はかなり高めです。

フレディを軸とする前半部分はいたって普通というか、正直ちょっと退屈した。ま、もちろん映像としての展開や描写はしっかりしていて、きちんとしたチェーン店の料理のような印象でもあった。ただ、これは後半部分だけど、ライブ・エイド直前にフレディと厳格な父親が抱擁しあう場面は、うるっときた。彼が本名のファルーク・バルサラに戻った一瞬だったのだろうか。

といいつつ、これは見るべき価値のある一本だった。なんならもう1、2回くらい劇場に足を運んでもいい。それは彼らの楽曲自体が主役(というか「主演」と呼びたい)としての活躍を見せてくれているからだ。音楽シーンを舞台とした映画には素晴らしい作品も多いけれど、そこで流れる楽曲は、純粋なドキュメンタリーを除くと、往々にして脇役的な存在に感じられる※。でも『ボヘミアン・ラプソディー』のなかのメロディーやリズムたちは、その文脈で流れることに強い意味があった。ま、「この時期にこの曲は出てなかったのでは?」みたいなのはあったけど。

そういう意味ではライブ・エイドは物語のクライマックス。下のリンクは実際の映像だけど、あらためて映画の後で見ると感慨が深まる。

構想から8年を要した製作の過程では、キャストやスタッフの選定がかなりゴタゴタして、しまいには監督のブライアン・シンガーが撮影終了の2週間前に解雇、とこれはこれで話題に事欠かないようだ。そういう点ではひとりの作家の思いに貫かれたといった作品ではなく、ある意味でクイーンという「集合知」としての映像だと感じる。

要は「クイーン」という超ユニークなコンテンツを、どう料理するかということなのだと思う。切り方によっては冷徹なドキュメンタリーであったり(それはそれで見たい)、各自が歌っちゃうミュージカルみたいだったり(今度のエルトン・ジョンの映画はそんな感じらしいです)、といろいろあるだろうけれど、ボップであることに重きを置けば、この調理法は正解だといえるだろう。ちなみに渋谷陽一氏もよく言うけれど、ロックにとってポップミュージックであることはとても重要だと思ってます。

ちなみに今日の日比谷の「"胸アツ"応援上映(歌詞の字幕付き。拍手、手拍子、発声全部OK)」の回は売り切れ。きっと凄いことになっているんだろうなぁ……。

※などと言いつつ、なんせ寡聞なもので、良い音楽映画があったらご教示ください。個人的には『Almost Famous(邦題:あの頃ペニーレインと)/2000年』や『ラブ&マーシー/2015年』など好きでした。



Queen - Live at LIVE AID 1985/07/13 [Best Version]



『ポルト』〜永遠の一夜の物語

2018年11月17日 | 映画とか
WOWOWで録画鑑賞。ジャームッシュ特集的な一連のシリーズのひとつだった。とはいえこの映画では「制作総指揮」、エグゼクティブ・プロデューサーで監督として変わっている訳ではなく、ちょっとこういうのには気をつけている。特に有名どころの(ま、ジャームッシュはいつまでたってもインディーズな立ち位置を崩さないけど)「肩書き参加」は要注意だなと、正直なところ少し思っていた。でもその予想は正しくはなかった。

ストーリーは、単純にいってしまえば、お互いの異国で出会った男と女の一夜の逢瀬。でもその一夜は時の流れから外れて、二人のなかに漂っている。たとえば川のなかの水草や藻の絡まり具合のせいで生じた渦につかまり、いつまでも流れていかない落ち葉のような記憶。そこでぐるぐると回り続けているその落ち葉は哀れなのか、あるいは幸せなのか、そんなことを考えつつ、つい目が離せない。そんな感覚が残った。

ところで異国という設定はありふれてはいるが、この映画の街(ポルトガルの第2の都市ポルト)は、登場人物たちのなかに深く根を張っている、ちょっとやっかいな異国でもある。

男(外交官だった父の都合で子どもの頃からポルトガルに住んでいるアメリカ人のジェイク・クリーマン。演じるのは昨年27歳の若さでこの世を去ったアントン・イェルチン)にとっては、住み慣れてはいるが、決して心を通わせられる街ではない。女(考古学を学ぶフランス人で、ポルトガル人の教授にプロポーズされてここに来た)にとって、ポルトは自分で選んだ街ではなく他者——かつては婚約者であり後には別れた夫、それから一夜を過ごしたアメリカ人——との接点としての場所でしかない。

この「異国」では、時間の流れがねじれて、あるいは凝縮されてしまうのだろうか。極めてシンプルな男と女の話が、この磁場のせいか一風変わった余韻を放っている。

いってみれば、ナイーブなお話なのだろう。でもそのナイーブさを構造的に昇華している——ときたま日本の映画で見かけるような雰囲気頼みの仕上げ方ではなく——ところには拍手したい。もしかしたら、この辺がジャームッシュの手腕だったのだろうか。あくまで推測だけど。

そしてもうひとつ、映像は美しい。「映像は」と書いたのは、どこか技法的な巧みさ——関連記事によると機材は8㎜、16㎜、35㎜のものを使い分けているそうだ——が目について、そこでお茶を濁しているような気もしたからだ。きれいな万華鏡を通して向こうを見ているような、そしてその向こうにある風景は意外に普通だったりする、そんなイメージもなくはない。ただ、これを『ストレンジャー・ザン・パラダイス』よろしくモノクロで撮ったら、ちょっとヒリヒリする作品になっていた気がする。

そんなこんなを、いろいろ考えさせてくれる一本。そしてそれは、割と楽しい行為でもありました。どこかで機会があれば、どうぞ。公式サイトはこちらです。


『華氏119』〜現代アメリカの不穏と希望

2018年11月10日 | 映画とか

マイケル・ムーア監督の最新作『華氏119』を。映画としての出来映えには気になるところもあったけれど、描かれている題材はリアルで深刻。単なるトランプ批判ではない、と私は感じました。監督の真意は、多くの人が泡沫候補だと見ていたドナルド・トランプの当選をある種のメタファーとして、「最大の悲劇は気づかないうちに忍び寄ってくる」ことを訴えることだったのでは。

印象に残ったのは、エマ・ゴンザレス(フロリダ州の高校で起きた銃乱射事件の体験者で、銃規制を訴えた)や、アレクサンドリア・オカシオ=コルテス(中間選挙で下院議員に立候補して当選)などの活き活きとした描き方。『ボウリング・フォー・コロンバイン』でも感じたのだけど、ムーア監督はそういった若い声と力への愛情と信頼を強く持っているのだと思います。ただ、その思いと、監督自身の主張がもうひとつ上手くブレンドされていないような読後感も。いいバンドのリズムセクションのような、いつもは後ろで鳴っているユーモアが少し控えめだったなぁ、という感じです(今回のテーマはかなり深刻なものではありますが)。

ところでタイトルのもととなった日付の11月9日(トランプが大統領選の勝利宣言を行った日)だったのは偶然ですが、1938年のこの日はドイツでの「水晶の夜」(反ユダヤ主義の暴動)が、そして1989年はベルリンの壁が崩壊した日でもあるのですね。

公式サイトはこちら

『リベリアの白い血』

2017年08月15日 | 映画とか

テーマとしてはちょっと遠くてシリアスだが、実は自分みたいに日常のあれこれに振り回されがちな人間のための映画だなと思った。遠いリベリアの地とタフなNYの街の話だけど、その空気は安いホテルの壁越しの声以上にビリビリと伝わってくる。

ゴム農園での搾取やタクシードライバーの疎外感、もちろんどっちも未体験だけど、自分の身体のどこかに似たような感覚がある気がする。普遍的、というと簡単だけど、この色の濃い映像の世界には、割とすんなり入っていけた。

映像的には、前半のリベリアのショットは密度が濃くて美しい。しかし撮影監督の村上涼氏は同地で重度のマラリアに感染、NYに戻った4週間後に亡くなられたそうだ。その後のNYでの撮影は、トーンの一貫性およびコントラストを意識して行われたとのこと。そして、この仕上がりも素晴らしい。

個人的には、ラストシーンが印象深いというか、意味深だった。ちょうど併映されたドキュメント短編『Notes from Liberia』も見たので、なおさら2つの土地が繋がって見えた。そこ、監督的には見る人間の想像に委ねたいようだが、やっぱりあの白と黒の2つのオブジェクト、つながっているのでは?

で、日本人監督という点を強調する必要のない軸のしっかりした映画だとは思うけれど、あえて日本の、特に若い人に見てもらえるといいなぁ。きっと自分が立っている場所の見晴らしが、少しよくなると思う。現在、東京は渋谷アップリンクで上映中。この夏の一本に是非どうぞ。

公式サイトはこちら