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TRASHBOX

日々の思い、記憶のゴミ箱に行く前に。

『マンチェスター・バイ・ザ・シー』

2017年08月13日 | 映画とか
ようやく見た『マンチェスター・バイ・ザ・シー』。評価が高くて期待していたのだけれど、正直なところ、そこまで心を動かされることはなかった。もしかしたら、自分の感受性不全なのか?過去の悲しみの厳しさはひしひし感じるし、警察での事情聴取の直後、主人公のリーが発作的に自殺を試みたシーンはぐさりときた。なのだけど、物語と並走はできても同じ車線を走れない感覚が残った。

ただこの映画、余韻が長いというか、見終わった直後よりも、その後にあれこれ考えてしまう。今朝も目を覚まして、あれこれシーンを反芻した。物語の層が深いというか、リーや人々の心を壊した悲劇に重なって、それぞれの登場人物たちが抱えている問題や、東部の――さほど裕福ではない――小さな町での人生とか、そんなことを考えさせてくれる。

理由のひとつは、過去と現在を行き来する編集の巧みさかもしれない。説明的になったり、単に映画的(?)な効果を狙ったりするものではなく、想像力のペースにすっと入ってくるというか。

とてもアメリカ的な舞台と主題でありながら、他のどこでも起こり得る心のあり様。なんていうか、一見普通の風景画のようで、見ていくうちにいろいろ物語が立ち上がってくる絵画が持つ厚みのようなものを感じる。同じくケイシー・アフレック主演(監督は兄のベン)の"Gone Baby Gone"も見たいなぁ。

Cafe Society

2016年10月18日 | 映画とか

ウディ・アレンの最新作を、ヴィレッジのアンジェリカ・フィルムセンターで。ここで映画を見るのは、後楽園ホールで格闘技の試合を見るみたいでホッとする(って、分かりにくい例えですみません)。舞台は1930年代、ブロンクスで生まれ育った純朴なジューイッシュの若者が、エージェントとして成功した叔父を頼ってハリウッドに赴くが、ややこしい恋に敗れてNYに戻ったのち、ナイトクラブのマネージャーとして成功。しかしそこに影を落とす恋の残り火……ま、大人のお伽噺的な舞台設定でもあり、ある意味、ウディ・アレンにはお手のもののスタイル。

で、この感じは好きな部分でもあるけれど、今回は物足りなさにつながっているようにも感じられた。ウディ・アレンは、何か新しいものを生み出すことを諦めたのか、興味がないのか。下手すると上質な焼き直しのように感じなくもない。主役のボビー(ジェシー・アイゼンバーグ)はどこかキャラクターの着地点を探して迷走しているようだ。もしかしたらミューズたちが少し遠慮気味過ぎるのか。ウディ・アレンという立派な額縁の中で、迷子になってしまったのだろうか。

しかしオープニングクレジットの最初に、ウディ・アレン映画お決まりのウィンザー体で"Amazon Studio”の文字が現れるのは、どうにも不思議な気分だなぁ。今回の制作、特に予算関係の背景もちょっと気になる。

ニュースの真相

2016年09月22日 | 映画とか

アメリカのジャーナリズムもの(?)は好きなので、期待の一本だった。
ただケイト・ブランシェット演じる
番組プロデューサーのメアリー・メイプスは素晴らしかったが、
ロバート・レッドフォード演じるダン・ラザーは、
どこかハイレベルのお飾りのように思えてならなかった。
これは演技というよりも、脚本や演出の問題のような気が。
なんだかレッドフォード(80)とダン・ラザー(84)という、
同世代の両レジェンドへの思い入れが本筋とずれた形で出ちゃったのだろうか。
でもメアリー・メイプスの厳しいヒアリングの席上での最後のセリフは見事。
ケイト・ブランシェット、いい役者さんだなぁ。

Spotlight (2015)

2016年04月28日 | 映画とか
子供への性的虐待を繰り返す神父たちと、
教会による組織ぐるみでの隠蔽。
実際のボストングローブ紙の取材活動に基づいたこの一本は、
見応えがあり、そして分かりやすい。

物語の語り方としては、直球過ぎるくらいかも。
しかし実際の出来事だからといって、
「そのまま映像化すればよい」ではないはず。
そう考えるとと、ノンフィクションを表現物に高めるための
クリエイティブということが気になってくる。

朝日新聞の「フロントランナー」には、
『監督や脚本家は2人や関係者に詳細に取材。
映画のセリフも実際の言葉をもとに作られた』とある。
その難しさは、具象画を描くことに似ているのだろうか。
作るというより、むしろ作らないこと、みたいな。

もし、これがドキュメンタリーだったらどうなっていただろう。
仮にこの現場をずっと撮影し続けたクルーがいたとして、
仕上がりは、映画とどこが、どう違ってくるのだろうか。

自分なりに考えると、それは「整理」と「編集」なのかもしれない。
映画の場合は、会話や人の表情、オフィスの風景をどう再構築するか。
ドキュメンタリーであれば、何を共著いうしていくのか。

例えば劇中のマイケル・レゼンデスのオフィスは
文具やPCなどの仕事道具や書類で雑然としていたが、
実際の彼のデスクは、割と綺麗に片付いているそうだ。
ここには、キャラクターを補足していくための演出がある。

カットについて言えば、ドキュメンタリーの場合は、
メモを取る手元や積み上げられた書類の束など、
ちょっとしたクローズアップが増える気がする。
それらは本物の映像だから力を持つのであって、
いくら腕のいいアートディレクターが担当したとしても、
「小道具」たちは、多くを語ってくれないのではないかと思う。

一方で、会話は映画の力の見せ所だろう。
何の根拠もないが、同じようなセリフでも、
見る人間を意識して書かれ、演じられる言葉は
その後の広がりが違ってくると思う。

もちろん、どちらが良いとか正確だとかいう話ではなく、
観客の頭に「事実」を残すのがドキュメンタリーで、
感覚的に「物語」を形作るのが映画なのかもしれない。

そういった点で、映画としての「整理」と「編集」への評価は、
アカデミー賞での作品賞と脚本賞受賞にもつながっているのでは
ーーというのは、なかなかの我田引水だと思うけれど(汗)、

ま、こんな話とはまた別に、ジャーナリズムのあり方について等々、
いろいろ考えさせてくれる力作でした。
日頃の報道などに、もやっとしている方は是非。

ところで撮影監督のマサノブ・タカヤナギ氏は、
日本の大学を卒業した後に渡米して、映画制作を学ばれた方だ。
しっかりした映像描写、(ちょっと筋違いな感慨だけど)嬉しいなぁ。


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バッファロー

スター・ウォーズ~ディズニー帝国の覚醒

2016年01月11日 | 映画とか

熱心なファンではないので、通りすがりのひと言だと思って欲しいのだけど。

とことん工夫され、そして緻密に描かれた設計図通りに作られた一本だった。
(当たり前だけど)クリエイティブな世界観や映像のレベルは、素晴らしい。

一方でファースト・オーダーの意外にあっさりした脆さにくわえ、
キャラクターたちが持つ感情のシンプルさはちょっと物足りなかった。
毒やアクになりそうな成分は濾過されている。
あー、今度のSTAR WARSは、ディズニー映画なのだなぁ、と改めて感じた。

何て言うか、世界最高レベルの完成度のプラモデル、みたいな印象だ。
(決してプラモデル作りを軽く見ているわけではありません)
グローバル(というか米国系)ビジネスの規律でもある
「徹底した合意事項の確認と実践」を強く感じる作品でもあった。

物を作るときには、予定や計画から外れつつも、
インスピレーションに突き動かされて動くことで生まれる魅力もあると思う。
この辺の化学変化って、今回なかったのかなぁ。

エピソード8は既に製作中らしく、最終的に9まであるそうなのだけど、
この7以降の展開は、ウィキペディアにある「レイ3部作」というより
「ディズニー3部作」って感じになってくるのだろうか。