それが吉と出たのか、『スプートニクの恋人』の文章は新鮮かつ懐かしく楽しかった。『ノルウェイの森』(1987年)以降、概念的なトーンを強めていた文体が(個人的な印象ですが)が、初期の三部作の「ぼく」が、少し老成してまた語り始めたようだ。節操のないファンとしては、それだけでご飯3杯いける。
一方で我儘なファンとしては、そのキャラクター設定にどこか既視感を覚えるのも事実だ。痩せていて、ひっきりなしに煙草を吸う「すみれ」も、境遇と才能と能力に恵まれながら影を纏う女性「ミュウ」も、そして粘っこい汗をかきそうなスーパーの「警備員」も、どこかでお会いしましたよね、という気がしてならない(本当は、それぞれ具体的な出典を述べるべきなのだろうが、サクっと感想書いてるブログということでご容赦くださいませ)。そしてまた、非日常的な情念の彷徨を経て希望の入り口に辿り着く展開は、どこかでコード進行の似た曲を聴いたような感覚を思い出す。著者は以前『(この小説は)彼の文体の総決算として、あるいは総合的実験の場として一部機能している』と述べたそうだが、もしかしたらその実験っぽさが少し前面に出てしまったのだろうか。
そんなモヤモヤはありながらも、『スプートニクの恋人』を読むのは幸せな時間だった。著者独自の、文体と世界観が持つ魅力(村上氏自身はそう捉えていないと思うけど)が結実した一冊だと思う。ま、ある意味では人気歌手のディナーショー的魅力なのかもしれないけれど、その中身の充実ぶりはハイレベルだと思うのですよ。
おすすめの読み方は、文庫本で買っておいて、使い道の決まっていない待ち時間や移動の際にぱらりとページをめくること。日常の風景が、少し饒舌に語りかけてくるかもしれません。できれば美味しいコーヒーとかビールとか一緒にあると気持ち良さそうだなぁ。
![]() | スプートニクの恋人 (講談社文庫) |
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