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TRASHBOX

日々の思い、記憶のゴミ箱に行く前に。

脳内麻薬/中野信子

2017年01月30日 | 読書とか

副題は「人間を支配する快楽物質ドーバミンの正体」。著者は、最近さまざまなメディアへの登場の機会も多い脳科学者の中野信子氏。

中野氏のことは、以前NHKの番組SWITCHインタビューを見て、とても気になっていた。ある種の「持っている人」(ある意味では持っていない人?)の気配が多分にあり、著作よりもご本人が気になったというのが正直なところだ。あ、でもこれ、女性としてとかあるいはオカルト的な話ではなく、あくまでタレントー天賦の才という意味でーについての関心ですから。

人間の行動とそれを「支配」する快楽物質の仕組みや関係性について、客観的に、かつシンプルで明解に著述したこの一冊、幾つも「そういうことだったのか!」と思うことがあった。

例えば過食についのて箇所では、こう書かれている。

『肥満の人はドーパミンの放出量が少なく、しかも受容体も少ないために、ドーパミンが満足できる量になるまで食べ物を食べると、カロリーの取りすぎになってしまうから太るのだ、ということになります』(p.95)

で、ここで興味深いのは、食べる報酬としてのドーパミンの分泌量が少ないのに、何故その人は食べることの快感を覚えたのか、という疑問。それに対して氏は、人間の脳は『この矛盾を巧妙な方法で解決』していると解く。それは、まさに食べたり飲んだりしようとする瞬間に報酬系の機能が大きく活動するという『「見掛け倒しご褒美」システム』なのだそうだ。

これ、ときどき感じる「物事、実際にやっているときより、やろうとする瞬間が楽しい」という理由が分かった気がする。旅行の計画時とか、飲み会の乾杯の瞬間とか、まあ気持ち良い時間のあれこれで、「とりかかる前が一番ワクワクする」訳はこうだったのか、と。

また、恋愛依存症など物理的、医学的な快感につながらない場合は、より心理的な要因が指摘されている。この辺りの分析はやや定型的というか、ここに関しては「学者さんだな」と感じる点がないでもないが、なんていうか、「非合理的な行為ほど、それを飾る美学が必要」な理由が見えてきた気がする。

また、人から人への報酬という点では、「Youメッセージ(あなたは素晴らしい)」より「Iメッセージ(私はあなたの素晴らしさを認めています)」の方が、より社会的報酬として価値が高いという話は、自分の価値をいかに感じられるかということにつながるのだろう。自分という存在が、誰かにとって「価値のあるコンテンツ」と感じられる、みたいなことでもあるのだろうか。

他にも「社会的報酬としての愛や友情」や「支配者のゲーム」など、興味深い内容が多々あった。どれもが冷静な科学的視点で語られているのに、非人間的というか冷たい響きがないのは、著者自身の純粋な知的探究心からくるものだろうか。逆にある意味、とても人間的な本であるとも言えるだろう。

で、気になった箇所を抜き書きし始めるときりがないのだが、これは印象的だった。社会的報酬について語られた章の後半には、こんな記述がある。

『明確な金銭的報酬というのは視野を狭め、心を集中させるものです。それは単純な作業では効果を発揮します。それに対して平均時間を知るために協力してほしいという要請(※この章の前半でとりあげられている実験の依頼事項として)は、相手の感謝と評価という社会的報酬を予想させるものです。こういう動機付けは、答えがあるのかないのかわからないような、知的な課題に向いているようです』(p.146)

今の世の中、「答えがあるのかないのかわからない」課題解決の重要性はすこぶる高い。社会的報酬という抽象的な概念ではあるけれど、ここは自分のような文系の人間が頑張れる余地があるはずだ。ここで述べられている、何というか預言的な物言いが心に残った。もしかしたら中野氏は、無自覚な巫女なのかもしれないなぁ。

(ところでメタル系のロックが好きとどこかで読んだ気がするが、特にはどのバンドなのだろう)

脳内麻薬 人間を支配する快楽物質ドーパミンの正体 (幻冬舎新書)
中野信子
幻冬舎

人と「機械」をつなぐデザイン/佐倉統(編)

2017年01月19日 | 読書とか
人と「機械」をつなぐデザイン
佐倉統(編)
東京大学出版会

人間と機械のあり方をついての、示唆に富んだ刺激的な記述の数々。この「テクノロジーの時代」に読まれるべき一冊だと思う。母体となっているのはオムロン・グループ系のシンクタンクと佐倉氏の研究室の共同研究で、三部構成全14の記事からなっている。『内容も、形式も、きわめて雑多で多様(佐倉氏)』かもしれないが、さまざまな分野における人と機械の関係性の「肝」があざやかに示されていて、冗長さはない。

もしかしたらそれは、編集的な巧さもあるのかもしれない。例えば最初の暦本純一氏の章は、「笑わないと開かない冷蔵庫」という掴みのあるトピックから入りつつ、着地はしっかりと学際的。同氏の『マクルーハンの非常に先駆的なところは、メディアをコミュニケーションやインタラクションの手段というよりも、第一義的には人間のエクステンション=拡張だととらえたところだと思います』というコメントは、「冷蔵庫」とメディア論をきちんと結びつけている。こういったオムニバス的著作としては、強力なトップバッターだ。

こういったカジュアルな学術本(?)のおいしいところは、送り手がふと漏らす、物ごとに深く関わった人ならではの知恵みたいなものに触れられることだろう。例えば「03 サイエンス・エンジニアリング・デザイン・アートの行方」での八谷和彦氏のひと言『浅いレイヤーと深いレイヤーの話も同じで、大将に応じて対応を変える必要があるんじゃないかなと思います』は、メディアーティストや研究者であると同時に「ポストペット」や「オープンスカイ」などのプロダクト化を実現した人ならではの知見だ。思わずメモってしまった。

また門外漢にはあまり馴染みがない、しかし思考の盲点を気づかせてくれるような知識を得られるのもありがたい。「07 歩きやすさと都市環境の行方」で述べられている、人間の健康と環境との関連性を扱う「医療地理学」の存在などは、この時代にもっと知られるべきなのでは。

こういった、リラックスして語られる質の高い記事の数々は、ある意味で「知のお宝」と言ってよいだろう。その幾つかは、今後の私たちの物差しとしても機能する。「12 ロボットと心/身体の行方」冒頭の『ヒューマノイドなどのロボットは、人間が人間を理解するための新たなプラットフォームとなっているのである』という一文などは、我々はロボットを創る理由と目的を見失わないための的確な問いとなっているのではないか。

いやホント、響いた一節を抜き書きして紹介していったらキリがない。テーマが幅広い分、読み手の興味関心に合わせて得るものがあるはずだ。随所に出てくる佐倉氏の文章はスムーズで、センスの良さを感じる。読みやすいこともお薦めの理由だが、ただそれだけではない。

冒頭の『はじめに:人と機械の関係とは』には、こんな一文がある。
 
潜在的に大きな力をもつものには、なんであれ、事前の準備が必要だ。その備えを怠ったことの悲劇を、福島第一原発事故で、ぼくたちは嫌というほど突きつけられたではないか。

タイトルには「デザイン」とあるが、それは私には「覚悟」を意味しているようにも思えた。折を見て、再読したい一冊だ。

この世でいちばん大事な「カネ」の話/西原理恵子

2017年01月07日 | 読書とか
この世でいちばん大事な「カネ」の話 (角川文庫)
西原理恵子
角川書店(角川グループパブリッシング)



著者の生い立ちや学生時代の話などは
断片的には聞いたことがあったけれど、やはり凄い。
ちょっと敵わないなぁ、という迫力なのだけど、
その根っこに暖かい(生暖かい、のではなく)ものを感じて、
なんだか心地よい読後感。
ちょっとしんどい気持ちで生きている人に読んでほしい一冊。

「最下位からの勝負」は、
これからとある方面で勝負しようとしている自分の励みになった。
そう、実績もキャリアも年齢もハンデだらけで、
まるで繰り上げスタートみたいなレース。
著者とはスケール違いすぎるけど、頑張らんとね。

カラヴァッジョへの旅/宮下規久

2016年05月09日 | 読書とか
カラヴァッジョへの旅―天才画家の光と闇 (角川選書)
角川学芸出版
カラヴァッジョの生誕から死までを、その絵画の変遷を追いながら読み解いた一冊。文字通りに同書をひとつの旅と捉えるなら、著者宮下規久朗氏はなかなか情熱的なツアーガイドだ。読み進むうちに、カラヴァッジョを見に来たのか、その世界に熱くのめり込んでいく氏の姿を見に来たのか、ちょっと微妙な心持ちになったりもする。

でも、これは賞賛の辞だと思って欲しい。この画家の魅力は、熱量に乏しい書き手では伝えきれないはずだ。生誕から画家として自立する過程あたりの口調はまだ落ち着いているが、やがて名声を得ながらも、ささいな衝動に駆られてのトラブルで苦境に置かれた画家や、そこで変化と凄みを重ねていく作品たちを語り始めると、もう止めようがない。なかには、うっかりこんな記述もある。

『私もカルチョーフィ(※)に目がなく、酒が入るとトラブルを起こしやすくなるため、大いに共感できるのだ(P.144)』

いやー、電車で読んでいて駅を乗り過ごしそうになった……。

もちろん作品の背景やそれが示唆するものなど、学術的な本として語られるべきことには抜かりがない。議論としての検証の深さや広さは、美術史ド素人の自分にも分かりやすく伝わってくる(と思う)。この辺は、達者なエッセイストの著作とは性質が違うのだ。

重ねて、ひとつひとつの絵が秘めたストーリーは、とても丁寧に読み解かれている。一読目では著者の熱に持っていかれた感もあるので、もう一度ペンとかポストイットとか手にしてじっくり読むのが、良い子の姿かもしれないなぁ。

あらためて面白いなと思ったのは、この時代の画家たちは「表現者」や「アーティスト」というよりも、基本的には発注を受けて制作する職業クリエイターであったこと。なので、時にはパトロン(≒クライアント)からのNGもあったりする訳だ。そしてそこでどう応えるかも、結果的には絵に時代の要素をたらしこむ過程として機能していたのではないだろうか。ま、さすがにグルインはなかったと思うけど。

そして話は大幅にずれるのだが、マルタ島に逃亡した画家が騎士を目指すくだりで説明される、キリスト教とイスラム教の闘争などは、宗教の持つ荒っぽい側面を歴史とは別の目線で教えてくれる。ホント、この男の絵には血生臭い香りが寄り添っているのだなぁ。

実は先日見に行った「カラヴァッジョ展」では、著者がときおり述べるよような絵に魅入られた感覚は体験できなかった(これ、昔自分がルーブルでゴーギャンを見たときの感覚に近いのではと思うのだが)。もちろん自分の鈍さ故としても、絵と向き合う環境のせいもあるかも……ということで、この際イタリアに行くしかないのだろうか、みたいな誘惑も、著者の言葉は投げかけてくる。

宮下氏は終章で『誰しも「内なるカラヴァッジョ」を抱えて生きているのだ(P.243)」と述べているのだが、もしかしたらカラヴァッジョが氏を語り手として指名したのかもしれない。読み終えて、ふとそんなことを思った。

※アーティチョーク。季節の野菜として、イタリア料理で供される。カラヴァッジョは、これをレストランで注文した際に給仕と傷害沙汰を起こした。

Coyote 安西水丸 おもしろ美術1年生(雑誌)

2016年05月08日 | 読書とか
COYOTE No.58 安西水丸 おもしろ美術1年生
スイッチパブリッシング
自分が安西水丸氏のイラストを知ったのは、
村上春樹氏の小説やエッセイを通じてなのだけど、
そのユーモアと洒脱さと、そしてほんの少し効かせた批評性は、
言葉と絵の、ちょっとした奇跡のようなハーモニーを聴かせてくれた。

この雑誌、コヨーテのNo.58は、安西水丸氏の
『従来の美術教育を屈返すような本を作りたいんです』
という思いに沿って生み出されたもの。
千駄ヶ谷でジャズバーを経営していた頃の村上春樹氏との出会いや、
嵐山光三郎氏、南伸坊氏、黒田征太郎氏などの錚々たるメンバーが、
ぽつりぽつりと語ってくれる思い出の数々。
一昨年に急逝された安西水丸氏の人柄やその時代の話を、
青山辺りのバーのカウンターで聞かせてもらっているみたいだ。

そして同時に、収められている話やエピソードそのものが、
イラストのような柔らかい輪郭と優しい光を湛えている。
同誌71ページの「水丸さんの教え」には、こう書かれている。
『(完成度よりも)あなたにしか描けないものを描いたかが大切』
まさに人生そのものが、「あなたにしか描けないもの」だったのですね。

これ、自分にとっては、長く大事に持っておきたい一冊。
雑誌の販売、在庫の状況などはよく分かりませんが、
興味のある方はどうぞお早めに。