地味ログ東洋硬化.うろつき雑記

寒い時も暑い時も、寒い場所も暑い場所も、処かまわず神出鬼没な東洋硬化の表面処理を、ポップに語ります。

普天間基地

2010年03月24日 13時33分17秒 | 今日の東洋硬化
朝、宿を出てから浦添→宜野湾と走り、現在、北谷にいます。午前中に既存客2軒・見込客4軒訪問し、早くもエネルギー枯渇気味。ややオーバーペースに突っ込み過ぎました。

国道330号線近場宜野湾市域に見込客が多数立地しておいでですので、軍用機のタッチ&ゴー宜しく、飛び込み訪問+短距離走行の繰り返し。おかげで、走行距離の割りに訪問軒数を稼げました。

宜野湾市そして軍用機と話を振れば当然、「普天間基地」です。現在、移転先選定についての議論がかまびすしさを増しているのはご存知の通り。写真は普天間基地南縁部。

只、何故今、普天間がこれほどまでに言われるのか。

普天間基地が持つロケーションがモノを言っている様に僕は思います。

沖縄本島南部は那覇市街地を中心に、豊見城・南風原・西原・浦添・宜野湾・与那原のDID(Densely Inhabited District⇒人口集中地区:人口密度が4,000人/km²以上の基本単位区が互いに隣接して人口が5,000人以上となることを要件とした、いわゆる市街地)が連続しており、名目、自治体ごとに分割されてはいても、その連合DID規模の実態は、熊本市や鹿児島市のDIDよりさらに幾分か大きいほど。上に名を書き連ねた自治体全てが含まれる「グレーター那覇」DIDは人口規模で60万人にもなると思われ、さらに驚くべきはその人口密度水準と増加率の高さ。

そうした「グレーター那覇」連合市街地の北部に、周囲をぐるりとDIDに取り囲まれた普天間基地がゆったりとアメリカ的密度で存在すること自体、至極大きな問題であると感じます。

この基地を他所に移転させ、跡地を高度有効利用出来るとするならば、地域浮揚の恰好の材料となりそうです。

沖縄県最大の産業である「基地」周辺業務ではありますが、その存在が他の産業の振興を阻害し圧迫し続けているのも事実かと思われます。

少なくとも普天間基地の機能を人口希薄地域に移転させ、基地跡地を有効利用するのが沖縄県にとっての至上命題であることは厳然たる事実かと。国際政治的・イデオロギー的側面を無視し、地域振興的・都市計画的側面を第一義に考えてみるに、とにかくあそこからは移転させにゃならんでしょ、と改めて強調しときます。

沖縄県内か県外かはたまた国外なのか、移転先は数ヶ月の議論紛糾の後、何がしかの決定を見るはず。そして、その計画に従って宜野湾のあの場所から基地は去っていきます。

さらにその後、時間が経過し政治的意味合いが薄れるに従って、我々ヤマトンチューにとっては普天間の(過去の)問題は忘却の彼方、どうでもよい部類のことになっていくだろうと想像します。

ところが、実は基地機能が移転した後の普天間跡地振興策動向の方が、沖縄県とウチナンチューの将来にとってはるかに大切な課題なのだ、と家屋が明らかに過剰に密集した普天間基地周辺をうろつきつつ思いました。

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