東北発 歴史調査隊

明治維新の嘘を暴くブログです。

島津

2021-08-16 16:52:12 | 日記
 薩摩藩の島津氏の紋は丸の中に十字があるけど、この人たちも隠れキリシタンの仲間なんだろうか?。
 
 明治維新の後、久邇宮朝彦親王から皇族の人が伊勢神宮の祭主を務めるようになったらしいけど、太平洋戦争の後は天皇の娘が伊勢神宮の祭主を務めるようになったらしく、今の伊勢神宮の祭主は上皇の娘の黒田清子さんらしい。
 
 久邇宮朝彦親王の息子の久邇宮邦彦親王は薩摩藩の最後の藩主の島津忠義の娘を妻にしたらしく、久邇宮邦彦親王の娘が昭和天皇の皇后の香淳皇后らしい。
 
 長崎県長崎市にある大浦天主堂は元治元年(1864年)に建てられ、次の年に隠れキリシタンの人が大浦天主堂を訪れたようだ。信徒発見というみたいです。明治維新の後も、日本では、しばらくキリスト教は禁教だったようだけど、明治6年(1873年)にキリスト教の禁教が解かれたみたいです。
 
 浦上四番崩れというみたいだけど、ウィキペディアで調べると、慶応3年(1867年)に長崎県の浦上村にいた隠れキリシタンの人たちが捕まって、流罪になって拷問を受けたようだ。キリスト教の禁教が解禁になるまで流罪や処罰が続いていたようだ。
 
 薩摩藩の島津氏の菩提寺は鹿児島市にあった福昌寺という曹洞宗の寺らしいけど、明治維新の後に廃寺になったみたいです。
 
 浦上四番崩れの人たちには薩摩藩に預けられて廃寺になった福昌寺に収容された人たちもいたようだ。その人たちは丁寧に迎えられたらしく、民家に住まわされたり、福昌寺で自炊生活をしたりして、内職のような仕事もしてたようだ。ウィキペディアに、そう載ってる。福昌寺跡にはキリシタン墓地があるらしい。
 
 薩摩藩では明治維新の後の廃仏毀釈が凄かったらしく、薩摩藩にあった全ての寺が廃寺になり、全ての僧が還俗したらしい。本当か知りませんけど・・・。
 
 福昌寺跡ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

耶蘇

2021-08-16 16:38:43 | 日記
 わからんなあ。
 
 イエズス会の宣教師のルイス・フロイスという人は織田信長に会ったらしいんだよなあ。
 
 安土桃山時代の絵というんだろうか?、キリスト教の宣教師が描いてあるけど、カトリックでは修道会で服装が違うらしい。イエズス会の服装は全身黒らしい。
 
 日本で最初にキリスト教の布教活動をした人はフランシスコ・ザビエルのようだけど、フランシスコ・ザビエルはイエズス会の人で、イエズス会の創設者の一人のようです。
 
 フランシスコ・ザビエルの絵は頭頂部の髪の毛が無いけど、インターネットで調べると、イエズス会では頭頂部の髪の毛を無くすということはやらないらしい。あれはトンスラというヘアースタイルらしい。
 
 薩摩藩の島津氏の菩提寺は鹿児島市にあった福昌寺という曹洞宗の寺らしいけど、明治維新の後に廃寺になったみたいです。福昌寺にはザビエルが滞在してたようだ。
 
 福昌寺には明治維新の後の浦上四番崩れで流罪になった隠れキリシタンの人たちが滞在してたらしい。流罪になった人たちは普通の自炊生活をしてたらしく、出稼ぎみたいに働きにも行ってたみたいだ。ウィキペディアに、そんなかんじで載ってる。
 
 薩摩藩の島津氏の紋は丸の中に十字があるけど、この人たちも隠れキリシタンの仲間なんだろうか?。
 
 イエズス会ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

山梨

2021-08-16 09:57:48 | 日記
 富士山ですか・・・。
 
 静岡県富士宮市にある浅間大社では木花咲耶姫を祀っていて、坂上田村麻呂が今の場所に遷座したことになってるらしい。坂上田村麻呂の話は嘘の気がするけどなあ。
 
 日蓮宗の総本山の山梨県南巨摩郡身延町にある身延山久遠寺の鎮守は七面大明神でいいんだろうか?。七面山という山があるらしく、七面天女の伝説があるようだ。
 
 南部氏は鎌倉時代に東北に来たことになっていて、南部氏は東北に来る前は山梨県にいたことになっていて、山梨県の南部町が南部氏の発祥の地らしい。本当か知らない。
 
 南部実長という人は佐渡に流されて帰って来た日蓮を自分の領地に迎えたらしく、南部氏の領地だった場所に創建された寺が日蓮宗の総本山の身延山久遠寺ということになっているらしい。
 
 日蓮の話も嘘の気がするけど、李氏朝鮮では仏教弾圧が何度もあって儒教の国になってたみたいだし、中国人の嘘つきは昔から変わらないんだろうか?。中国では、お坊さんも嘘をつくの?。
 
 身延山久遠寺ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

法華

2021-08-16 09:53:09 | 日記
 明治維新の話も怪しいんだけど、中国人とフリーメイソンの人たちはグルだったんだろうか?。
 
 本能寺という寺は今でも京都にあるらしく、法華宗本門流の大本山らしい。本能寺の変の話も嘘の気がするけどなあ。
 
 日中戦争や太平洋戦争の頃に八紘一宇という言葉が使われたみたいだけど、大正時代に田中智学という日蓮宗の僧だった人で国柱会という会を興した人が使い始めたらしい。
 
 世界は一つの家に住む家族みたいなものみたいな意味らしいけど、その中心には天皇がいるの?。
 
 天皇家は世界最古の王家で、初代天皇の神武天皇から2千年以上続いてることになってるみたいだけど、そういう話が無いと、人を呪い封じ込めるのって無理なのかな?。
 
 本能寺ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

北辰

2021-08-16 09:49:32 | 日記
 疲れたなあ。
 
 山形県天童市に織田信長を祀る建勲神社があって、行ったことあります。ウィキペディアで調べると、天童市の建勲神社は天童藩の最後の藩主の織田信敏が東京の邸宅に織田社を祀って、明治2年(1869年)に神祇官から織田社に健織田社という神号が与えられ、明治3年(1870年)に天童市に祀られて建勲社になったみたいです。
 
 京都の船岡山にある建勲神社は明治13年(1880年)に東京から遷され、明治43年(1910年)に船岡山の今の場所に社殿が建てられたみたいです。
 
 京都の建勲神社には船岡妙見社があるようだけど、人を呪い封じ込めるのに役割分担みたいなものでもあるんだろうか?。
 
 妙見信仰を単に北極星の神様を拝むと思ってる人もいるかもしれないけど、違う。妙見信仰は中国の道教に由来するようだ。
 
 中国の道教では北極星は北辰といって神格化されて天皇大帝というようです。北斗七星は神格化されて北斗真君というようです。詳しく知らないんですけど・・・。
 
 道教の御札をグーグル検索すると、いろいろ出てくる。鎮宅霊符神の御札は、真中に鎮宅霊符神がいて、その上に北斗七星が八卦のようなものに囲まれてある。鎮宅霊符神の周りには道教の御札なのか、意味不明な図形のような絵のようなものがたくさんある。鎮宅霊符神と北辰妙見菩薩は同じということになってるみたいです。
 
 妙見信仰は古代バビロニアが発祥らしいけど、ウィキペディアで調べると、バビロニアは今のイラクの南部の辺りで、チグリス川とユーフラテス川の下流の辺りみたいです。
 
 北辰妙見菩薩ですか・・・。
 
 
 火をつけるか