小品日録

ふと目にした光景(写真)や短篇などの「小品」を気の向くままに。

内田百 「素人掏摸」

2006-04-29 23:58:26 | 内田百
この話は、川上弘美「センセイの鞄」に出てくるので、知っている方も多いことと思います。
百先生、冗談に事を欠いて、泥棒の真似事をしてしまいます。
犯行現場は、かの佐藤春夫宅。
被害者は大学の同僚教授である甘木先生(某を「甘+木」にするところなどは2ちゃんねるに受け継がれているかも?)。
酔っぱらって威張り散らす甘木先生から金時計をすりとってしまいます。
翌日、その金時計を身につけて、甘木先生とご対面するわけですが、甘木先生は、百先生の胸に光る金時計の鎖を見る様な見ない様な、何とも言えない顔をしていた、という場面が何ともおかしいです。
随所に百先生独特のユーモアあふれる表現があって、楽しく読める一編です。
旺文社文庫『鬼苑横談』で、3ページ。
ちくま文庫『内田百集成15 蜻蛉玉』に収録されています。
蜻蛉玉―内田百〓集成〈15〉

筑摩書房

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センセイの鞄

文藝春秋

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夏目漱石 ピヤノの教授を断る手紙(大正5年6月14日)

2006-04-27 23:12:17 | 書簡
漱石の手紙は、なかなか面白く、書簡集の文庫が出ているほどです。
今日取り上げた手紙は、文学には全く関係のないものですが、非常に興味深いものです。
娘のピアノの教授をしていた人と、何か行き違いがあったらしく、漱石は譴責の手紙を受け取ったようで、これは、その返信です。
妻や子を守る家庭人としての姿を見ることもできます。
何よりもその書きぶりが立派です。
手紙を書くのが至って難しい、こじれた状況にあって、相手に強く抗議しつつも、あくまでも冷静に、整然と自分の主張を手紙に認めているのには脱帽です。
手軽にメールを書いてしまう今だからこそ、読み直して手本にしたいですね。
この手紙が破られずに残っていたということが、受取人の心に漱石の気持ちが届いた証拠かも知れません。
岩波文庫「漱石書簡集」に収録。
漱石書簡集

岩波書店

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久生十蘭 「姦(かしまし)」

2006-04-24 22:18:29 | 小説
女性が電話で延々と一方的に語るというスタイルで、この短編は構成されています。
その話の内容は、語り手と聞き手の女性(咲子)がかつて協力し、木津という男から引き離すために、死んだことにして大阪に去らせた志貴子が、東京に出てきて起きる出来事です。
語り手が着物のことで志貴子と張り合うところや、志貴子が木津と鉢合わせさせられてもしゃあしゃあとしている様子などが、いきいきと語られています。
文章と内容が実にぴたりと合っています。
ついニヤニヤと笑いを浮かべながら読んでしまう作品です。
現代教養文庫『昆虫図 久生十蘭傑作選IV』(絶版)で、16ページ。
昆虫図

社会思想社

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石川啄木 「事ありげな春の夕暮」(心の姿の研究3)

2006-04-22 23:59:59 | 
前回の「大宴会」ばかりでなく、やはり、春の夕暮れには何か起こるらしいです。

「遠い国には戦があり……       (第一連)
 海には難破船の上の酒宴……

 質屋の店には蒼ざめた女が立ち、  (第二連)
       :(略)

 何か事ありげな--          (第三連)
 春の夕暮の町を圧する
 重く淀んだ空気の不安。
 仕事の手につかぬ一日が暮れて、
 何に疲れたとも知れぬ疲がある。

 遠い国には沢山の人が死に……   (第四連)
       :(略)

 あ、大工の家では洋燈が落ち、    (第五連)
 大工の妻が跳び上る。」

第一連と第四連では、世界の状況を示し、それぞれに続く第二連と第五連では、身近な庶民の生活を描いて、両者の結びつきが示されていますね。
中心の第三連については、春の気だるさの感じから、なるほどと思わせます。
何と言っても、ラストが見事です。
岩波文庫『啄木詩集』などで。
啄木詩集

岩波書店

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内田百 「大宴会」

2006-04-20 23:40:39 | 内田百
題名は楽しそうですが、実は、悪い夢を見ているような話です。
「私」が招かれた大宴会に出かけてみると、厳粛な雰囲気の中、広間に通されます。
広間には、窓から春の夕日が暖かそうに射し込んでいます。
じっと腰掛けているのですが、何かがおかしいのです。
何が、こんなにも不安な気持ちをかき立てるのでしょう?
その理由を知りたい方は、ぜひ読んでみて下さい。
百の恐怖系の作品はカフカを思い起こさせます。
旺文社文庫『冥途・旅順入城式』で、5ページ。
ちくま文庫『内田百集成3 冥途』で読めます。
冥途―内田百けん集成〈3〉 ちくま文庫

筑摩書房

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吉本隆明 「転向論」

2006-04-18 23:59:59 | 評論・批評
昨日の「村の家」がらみで「転向論」を取り上げました。
いわゆる「転向」をしなかった「非転向」の人たちも、日本社会の構造の現実にきちんと向き合っていなかったという点で、転向した人たちと同様である、と書いています。
日本の知識階級に属していた人々が、単に論理を空転させているにすぎないことを批判し、中野重治の「村の家」はそのことを正面からとらえたという点で評価しています。
「転向」を独自の観点から分析した点で興味深いです。
講談社文芸文庫『マチウ書試論・転向論』で、30ページ。
マチウ書試論・転向論

講談社

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中野重治 「村の家」

2006-04-17 23:59:48 | 小説
東京で検挙され、公判中に転向して、父母の住む村へ帰ってきた勉次。
「転向」(ここでは、非合法組織に所属していたことを認め、組織との決別を誓約すること)をした自分に負い目を感じ続けている。
正直者で通っており村人の信も篤い父の孫蔵が、困窮ぶりについて述べた後に、勉次の転向を批判し、今後は物を書くべきではないと語る。
勉次は、これに対して、「よくわかりますが、やはり書いて行きたいと思います。」と言う。
転向を批判するのは簡単でしょうが、転向して生き延びて書いていくということにも、意味があったと思えます。
文章は洗練されておらず、方言による会話もあって、読みにくいですが、そのおかげで、両親や村人がリアルに描き出されています。
悪文が名文になっていると言えるかもしれません。
『村の家・おじさんの話し・歌のわかれ』(講談社文芸文庫)で、38ページ。
村の家・おじさんの話・歌のわかれ

講談社

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菊池寛 「頸縊り上人」

2006-04-15 23:59:24 | 小説
馴染みの稚児に先立たれた上人が、世に望むこともなくなったということで、三七日の間無言の行をして、結願の日に頸を縊って往生しようと企てる。
その噂が都中に広まり、ありがたきこととして老若男女が寺に訪れる。
上人は、名声の上がるにつれて、この世に名残を感じるようになってしまった。
しかし、人々は、頸縊りの中止を認めるはずもない・・・。
はじめは上人の心の変化を笑っていましたが、人々の自分勝手な思いに何か憤りのようなものを感じるようになりました。
ラストは、大衆への意趣返しのような気がします。
岩波文庫『恩讐の彼方に・忠直卿行状記 他八篇』で、14ページ。
恩讐の彼方に・忠直卿行状記 他八篇

岩波書店

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武田百合子 「富士日記」昭和41年4月12日

2006-04-12 23:46:10 | 日記文学
今日は、特にネタを用意していませんでしたので、「富士日記」の4/12を選んでみました。
その日の日記を見ると、いつものように食事の内容が記載されているのですが、
「朝 カレーライス(泰淳)、お好み焼(百合子)」
と書いてあって、これだけでも、二人の暮らしぶりについていろいろと想像を巡らすことができて楽しいです。
続いての、
「ふとんを全部干す。『犬のも干す』」(『』は引用者)
というのもちょっぴり笑えます。
また、飼い犬のポコの食べっぷりの短い描写の中にも愛情が垣間見えると思います。
芽立ちや苔の美しさに対する感動が素直に書かれているのもいいですね。
また、読み直してみたくなりました。
中公文庫でどうぞ。
富士日記〈中〉

中央公論社

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正岡子規 「くれなゐの…」

2006-04-10 23:57:38 | 短歌・俳句
今週はどうも菜種梅雨といったような、ぐずついたお天気となりそうです。
ということで、春の雨にふさわしい、有名な一首を。

 くれなゐの二尺伸びたる薔薇の芽の針やはらかに春雨のふる

「写生」を唱えた子規らしい歌ですね。
まず、「くれないの」と、色が提示されるところは、デュフィがいくつかの絵で、色彩がはじめにとらえられ、輪郭がその後についてくるように描いたということを思い浮かべます。
そして、「二尺伸びたる薔薇の芽」は、中距離の視点から観察されたものであり、次に、「針」という細部がクローズアップされるとともに、「やはらか」という触覚(実際は視覚ですが)が織り込まれて、最後の「春雨のふる」で、全景があらわれる、というカメラワークが行われていると見るのは言い過ぎでしょうか?
「の」の繰り返しがリズムを作って、記憶に残る鮮やかな一首です。
岩波文庫『子規歌集』などで。
子規歌集

岩波書店

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