昨日の「村の家」がらみで「転向論」を取り上げました。
いわゆる「転向」をしなかった「非転向」の人たちも、日本社会の構造の現実にきちんと向き合っていなかったという点で、転向した人たちと同様である、と書いています。
日本の知識階級に属していた人々が、単に論理を空転させているにすぎないことを批判し、中野重治の「村の家」はそのことを正面からとらえたという点で評価しています。
「転向」を独自の観点から分析した点で興味深いです。
講談社文芸文庫『マチウ書試論・転向論』で、30ページ。
いわゆる「転向」をしなかった「非転向」の人たちも、日本社会の構造の現実にきちんと向き合っていなかったという点で、転向した人たちと同様である、と書いています。
日本の知識階級に属していた人々が、単に論理を空転させているにすぎないことを批判し、中野重治の「村の家」はそのことを正面からとらえたという点で評価しています。
「転向」を独自の観点から分析した点で興味深いです。
講談社文芸文庫『マチウ書試論・転向論』で、30ページ。
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ツンドラに
みじかい春がきて
草が萌え
ヒメエゾコザクラの花がさき
その五弁の白に見入って
妻や子や
故郷の思いを
君はひそめていた。
やがて十倍の敵に突入し
兵として
心のこりなくたたかいつくしたと
私はかたくそう思う。
これは秋山清が戦中に書いた「白い花」という詩なんですが、これは戦意を高揚した詩ではなく、人間らしさを守ろうとする感情を表出した、精一杯の抵抗詩なんだと評しています。
ちなみに「現代日本の詩歌/毎日新聞社刊」で、そう述べています。
前半部は、静かで穏やかな光景さえ浮んでくる詩ですが、戦場を淡々と短く語る後半部と合わさって、戦争への憤りを潜めていますね。
「心のこりなくたたかいつくした」という反語に込められた気持ちの痛さが伝わってきます。
戦争における庶民の自然な発露としての反戦感情を見事に描き出した文学作品としては、黒島伝治の短編「橇」(本館読書室でコメント済)や、大西巨人の大作「神聖喜劇」が思い浮かびます。