先週放送され録画していた英雄たちの選択は、昭和の選択と題して「市川房江」を取り上げていました。市川房江というと中高生の頃、婦人運動家で尊敬を集めている人という印象を持っていました。
ちょうど高校生の時、社会科の教師が市川房江は戦時中に大日本婦人会で政府に協力していた人だから認められないというような話しをされたことがあり、今回の放送を見てそう言うのもなるほどなという感じでした。
大正時代から夫人の参政権の運動をされていたわけですが、昭和の時代になり満州事変、二二六事件、日中戦争、そして太平洋戦争へと流れていく中で、市川房江がどのような選択をしたかというのが今回の放送の主眼でした。
ひとつの選択は反戦の主張を貫くこと、もうひとつが運動を中断して退却してしまうこと、三つ目が政府に協力しながら夫人の地位向上をはかることということでした。市川房江の選択は三つ目で政府に協力することだったわけですが、この点が高校の社会科教師が言っていたことでした。
たぶんご本人も判断を誤ったとも思ったかもしれませんが、あの時代に政府に逆らっていたら非国民と言われ、投獄されるのは明らかですから、その判断も致し方なかったかもしれません。それに協力する判断を下してしまってから戦争がどんどんと拡大していく中で、その判断を変えることも難しいことだったと思います。
今の時代では、安易に妥協すべきでないと気軽に言えますが、あの時代であったら命をかけなければならない時代でした。共産主義者もほとんどが検挙され、小林多喜二のように拷問を受けて死んだり、幹部でも共産主義からの転向をした人もいたわけで、あの時代に自分の信念を貫きとおすのは並大抵の時代ではなかったと思います。
ちょうど高校生の時、社会科の教師が市川房江は戦時中に大日本婦人会で政府に協力していた人だから認められないというような話しをされたことがあり、今回の放送を見てそう言うのもなるほどなという感じでした。
大正時代から夫人の参政権の運動をされていたわけですが、昭和の時代になり満州事変、二二六事件、日中戦争、そして太平洋戦争へと流れていく中で、市川房江がどのような選択をしたかというのが今回の放送の主眼でした。
ひとつの選択は反戦の主張を貫くこと、もうひとつが運動を中断して退却してしまうこと、三つ目が政府に協力しながら夫人の地位向上をはかることということでした。市川房江の選択は三つ目で政府に協力することだったわけですが、この点が高校の社会科教師が言っていたことでした。
たぶんご本人も判断を誤ったとも思ったかもしれませんが、あの時代に政府に逆らっていたら非国民と言われ、投獄されるのは明らかですから、その判断も致し方なかったかもしれません。それに協力する判断を下してしまってから戦争がどんどんと拡大していく中で、その判断を変えることも難しいことだったと思います。
今の時代では、安易に妥協すべきでないと気軽に言えますが、あの時代であったら命をかけなければならない時代でした。共産主義者もほとんどが検挙され、小林多喜二のように拷問を受けて死んだり、幹部でも共産主義からの転向をした人もいたわけで、あの時代に自分の信念を貫きとおすのは並大抵の時代ではなかったと思います。
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