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現代へのまなざし

日本とはなにかを探求します。

恐ろしいネットの言論-平気で捏造を行う人達-

2013-08-04 21:29:09 | 日記
 麻生副総理が、7月29日の国家基本問題研究所月例研究会で「改憲の目的は、国家の安定と安寧であり、狂騒、狂乱の中で決めて欲しくない。靖国参拝も静かにすればいい、憲法も静かに、ワイマール憲法も気がつかない間にナチス憲法に変わっていたが、その手口を学んで、改正すればいい。」という趣旨の発言をした。
 これを報道したマスコミに対し、ネットでは、「文脈を取っ払い、文だけ取り出して「失言」として報道する「揚げ足取り」」だというような意見が多く見られ、挙げ句の果ては、「麻生の憲法発言を捏造したマスコミ」という投稿まで見られる始末。
 ネット上で右翼的な発言を繰り返し、さらに近隣諸国への憎悪に満ちた発言を繰り返す人達をネット右翼、略して「ネトウヨ」と呼ぶらしいが、そのネトウヨというのはマスコミへの批判、特に自民党議員を批判する内容を報道するマスコミを批判することも特徴としてあげられる。一方で、野党側が同じようなことをした場合には、完膚なきまでに野党批判を行うという特徴も見られる。

 日本書紀や古事記の記述では、支配層に都合のいい記述がしばしば見られる上に、それぞれの記述がつじつまの合わない、矛盾した記述も見られるが、これは、日本書紀の編纂を命じた支配層のトップである天皇にとって都合のよい記述を行ったからである。
 ネット上で見受けられるつじつまの合わない、矛盾した投稿についても、いわゆるネトウヨと呼ばれる人達にとって都合のいい投稿がなされるからである。自分たちが気に入らない、自分たちにとって不都合なマスコミの記事については、マスコミの捏造だと主張し、自分たちの気に入る、自分たちにとって都合のいいマスコミの記事は、それをコピーし、これでもかと鼻息を荒くしながら至る所に貼り付ける。ネトウヨによるコピペの嵐である。

 このような言論がネット上で繰り返されるのはとても恐ろしいことである。日本国憲法という日本人にとって非常に重要なものが、深く考えることもせず、発言者が誰かということのみを判断基準とするような人達に論じられる。彼等は、例えば集団的自衛権を憲法上認めた場合、どのような影響があるのか、あるいは国益の観点から国民の権利を制限することを可能とした場合にどのようなことが起こるのかなどということを考えない、むしろ、彼等にはそういうことを考える能力は無いと言うべきか。

 日本の将来を考える上で、今のようなネットの状況、つまり自分たちが気に入らなければ捏造だと決める決めつけるような人達がネットで大きな声を出している状況が展開されていることは、とても恐ろしいことである。
 謙虚で人の意見をよく聞き、そして先のことまで考える日本人はどこに行ったのだろうか。ネトウヨは、感情的な韓国人等を強く、そしてしつこく批判するが、そのネトウヨ自身が、その感情的な韓国人と同類であることには気づいていないようである。同族嫌悪と言う言葉を彼等に捧げたいと感じる最近のネットの状況である。
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ネット、テレビ放送における道徳心の欠如-岩手県議のブログに関して-

2013-06-30 08:56:23 | 日記
 岩手県議会の小泉光男議員(56)が、6月25日午前5時頃、一戸町平糠の湖岸で、倒れているところを発見された。小泉県議の着衣に乱れはなく、目立った外傷もないという。岩手県警二戸署は自殺の可能性があるとみて調べている。
 この小泉議員は、6月5日、インターネット上で「俺は刑務所に来たんじゃないぞ。中央病院の責任者!」と題したブログを投稿し、検査入院した際、番号で呼ばれたことに関して、ブログに「ここは刑務所か!。名前で呼べよ。なんだ241番とは!」「会計をすっぽかして帰ったものの、まだ腹の虫が収まりません」などと書き込んでいた。
 これに対し、批判が相次ぎ、小泉議員は6月17日に記者会見で謝罪したが、インターネット上だけでなくマスコミを含めて、小泉議員への批判が繰り返されていた。

 ネット上では、中国人や韓国人を傲慢である、あるいは謙虚さが無いなどと批判し、民度が低いなどとの投稿を見かける。また、放送局では、現代の日本人には道徳心が欠如しているなどとコメントするテレビ番組を製作することがある。しかし、今回の岩手県議の自殺(?)に関して、彼らの行為はどう評価すればいいだろう。

 ネット上では、匿名で個人攻撃を繰り返し、さらには自宅への嫌がらせ電話などが行われる。また、テレビ放送においても、本人に反論する機会を与えることなく、ゲスト出演者や司会者、アナウンサーまでもが一方的に批判的なコメントを行い、批判された側は自分を守るすべもなくどんどん追い詰められていく。
 道徳教育が必要なのは、ネット上で個人攻撃を行う人達であり、マスコミ関係者(特にテレビ関係者)ではないのか。ネットで、ツイッターやブログで個人攻撃を行う人達、ヘイトスピーチを繰り返す人達、テレビ番組で批判を繰り返す人達、彼らこそ道徳心を持つ必要があるんだろう。
 ・自分がして欲しくないことを、他人にしてはならない。
 ・困った人がいたら助けましょう。
 ・ハンディキャップのある人には優しく接しましょう。

 小学生に教える道徳の内容ですら、今のネットやテレビ放送では守られず、正反対の事が行われる。自分がされるのは絶対に嫌だけど、相手は自分に関係無い人だから嫌がらせをしちゃえ、困った人が居たら追い打ちをかけてやれ、弱い者を虐めちゃえ、そういう事がネットの中やテレビ放送で行われている。

 グローバリズムの流入に伴い、日本人の優しさ、道徳心というものが失われているのかもしれない。自己責任などを繰り返し、日本的な伝統や文化を壊すような改革(小泉改革)を行った結果なのかもしれない。日本人の良さを守る必要がある。
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アベノミクス、現代のシャーマニズムあるいはブードゥー教

2013-05-13 19:56:36 | 日記
 日本書紀や古事記に登場することのない邪馬台国の卑弥呼は、鬼道に事え、能く衆を惑わす(事鬼道能惑衆)シャーマンだったと言われている(魏志倭人伝)。倭国大乱の後、シャーマニズムによって倭国を治めた。
 また、アマテラスについては、スサノオの乱暴(田の畦を壊し、御殿を糞で汚し、さらに、機織りをしているアマテラスたちに屋根の上から死んだ馬の皮を投げ入れ、驚いた機織りの女性が機織りの道具で自分の陰部を突いて死んだ。)に怒って天の岩屋戸にこもると世は暗闇となり、出てくると光があふれたという神話が作られている。これもまたシャーマニズム的な物語である。

 さて、現代に戻る。
 現在の日本では、アベノミクスと言われている経済政策で、円安と株高が発生し、輸出企業や金融機関、機関投資家などに多額の利益をもたらし日本経済がバラ色になってるような物語がテレビを通じて語られている。
 しかし、このアベノミクスと言われるものは、「大胆な金融政策、機動的な財政政策、民間投資を喚起する成長戦略の「三本の矢」で、長引く円高・デフレ不況から脱却し、雇用や所得の拡大を目指す」とした緊急経済対策である。
 大胆な金融政策(日本銀行による大量の資金供給)により国債の暴落、円の価値の急激な低下が予想される。また、機動的な財政政策(50兆円以上の国債発行を伴う公共事業のバラマキ等)により、国債発行残高が1000兆円間近となっており、財政赤字による財政破綻を招くことが予想される。民間投資を喚起する成長戦略は、特区構想など旧来の政策の域を出ないものであることから、過去の経済政策と変わらず、経済成長をもたらすことは困難であることが予想される。

 今の日本では、テレビ放送などによりアベノミクスで経済がバラ色になるかのような布教がなされているが、シャーマニズムを信奉してるような印象をいだく。その政策の内容や影響、将来予測などを行うことなく、目の前の円安と株高がすべてのような放送を行うのは、巧く民衆を惑わす鬼道のようにも感じる。トランス状態になった安倍総理が岸信介の怨念に憑依され、(憲法改正等を行うために選挙で得票するための民衆を騙す手段として)円安・株高を口から発する状態がアベノミクスの本質ではないか。そう、アベノミクスそのものが、現代のシャーマニズムのようなもの、あるいは、アメリカのレーガノミックスを批判したときに使われたブードゥー教のようなものなのであろう。
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ネット右翼(ネトウヨ)-ネオナチとの比較-

2013-04-28 09:32:39 | 日記
 ドイツでは、極右政党であるドイツ国家民主党(Nationaldemokratische Partei Deutschlands)の支持者が増えており、最新の世論調査では、回答者の9%が極右思想を支持しており、2年前の前回調査と比べ0.8ポイントの上昇であるという。これを年齢別に見ると、15歳~30歳の年齢層に支持者が多く、学歴別の内訳では高学歴者ほど支持者が少なく、学校で落ちこぼれ、家庭にも問題がある青少年たちが極右思想に取り込まれているという。(ネオナチ支持が急増、対応迫られるドイツ)

 日本では、「在日韓国・朝鮮人が不当な特権を得ている」と主張する右翼団体である「在日特権を許さない市民の会」(在特会)が街頭デモを行い、ネット右翼たちがその中継を見ながら騒ぐという。(朝日新聞)
 さて、日本のネット上の掲示板での投稿、yahooニュースなどのコメント、NHKニュースに出てくるツイッターのコメントなどを見ると、ネット右翼(ネトウヨ)が増大しているのではないかと思われる。投稿・コメントを見てみると、中国・韓国等への攻撃的なものであったり、個人の自由よりも国家への従属を求めるものであったり、概ね右翼的な主張が多く見受けられる。そこには、民主主義の歴史や近代政治思想、法律知識などは見受けられず、もっぱらネット上で得たであろう浅薄な知識に基づく主張が多い。
 傾向として、一般的な人達、有識者、学識経験者等はネットに投稿することが少なく、ネット右翼と言われる排外主義を信条としている人達はネット投稿することが多いからかもしれない(ノイジーマイノリティ(ネット右翼)とサイレントマジョリティ(一般的な人達等))。

 ドイツのネオナチ支持者には高学歴者が少なく、学校で落ちこぼれたような青少年が極右思想に取り込まれているが、日本でも同様に、ネット依存の若者が多いようである。日中からネットに接続できる環境から想像すれば、ネトウヨには、正社員ではなく、派遣労働者あるいは無職、ニートという人達が多いと想定される。低学歴層が極右を支持するというのは、洋の東西を問わないようである。自分たちの恵まれない境遇を外国人のせいにし、外国人を攻撃することで自らの存在意義を確認しようとしているのであろうか。

 日本の村社会では、村の外部の人間を受け入れることは婚姻関係を結ぶ以外にはほとんどなかった。余所者として扱われ、コミュニティからは外れた部分で生活を送らざるを得なかった。「在日外国人は、余所者であり村から出て行け、自分たちの仕事を奪うな!」という主張は、閉鎖的なコミュニティであった村においては受け入れられる、というか村社会のシステムそのものであったかもしれないが、第二次世界大戦で日本が敗けた後、そのようなシステムは徐々に崩壊しているのである。村社会に生きるのであればともかく、グローバルな今の時代に排外主義を叫ぶネット右翼(ネトウヨ)は、時代錯誤の低レベル層という印象を持たざるを得ない。
 ヨーロッパのように共同体として国境を無くし、他民族が混在し、主たる民族との摩擦が生じるような状況と、ほぼ単一民族で、国境を接することがない日本の状況が似ているとすれば、それは問題があること。排外主義とはより遠いはずの日本で排外主義が蔓延するとすれば、村社会で、移動の少ない農耕社会で育ってきた日本人の特性なのかもしれない。


 
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憲法改正に関する議論-権利の制限-

2013-04-27 13:54:17 | 日記

 日本国憲法の改正を行いたかった自民党保守派が政権を握り、憲法改正論議がマスコミを賑わしている。現在の話題は憲法改正手続きを容易にしようという目的で、憲法第96条に関するものが多い。
 日本では、伝統的に成文化されたものの変更はなかなかなされなかった。それは制定したときの経緯や制定時に知恵を出し合った結果であって、安易に後世の者が変えると、悪い方向に変わるという知恵が働いたためである。今回の改正論議を見ていると知恵の無い政治家が自分たちの都合で憲法を見直そうとしていることがわかる。

 自民党改憲草案を見ると、国民の権利について「公益及び公の秩序に反しない限り」という留保付きで尊重されるようになっている。現憲法では、「公共の福祉に反しない限り」となっており、この公共の福祉については、すべての人の人権がバランスよく保障されるように、人権と人権の衝突を調整することであり、全体の利益のために個人の権利を制限することとは異なる。この「公共の福祉」が「公益及び公の秩序」と変更され、全体主義的な観点から人権を制限できるように自民党は変更しようとしている。
 まさに「お上」が個々人の人権を規制しようという全体主義、集団主義的な考え方であり、さらに、自民党草案では「全て国民は、この憲法を尊重しなければならない。」と憲法遵守義務を全国民に負わしている点を考えると、国民の人権を保障するための憲法から、国民の人権を制限するための憲法に変えようということがわかる。

 憲法に関する知識があれば、つまり憲法が国家権力を制限し、国民の権利を保障するものであるという基本的な知識があれば、自民党の改憲草案が本末転倒なものであるということがわかる。権利を保障するのではなく、権利を制限する憲法というのは、民主主義を基本原則としている先進国には見られない、北朝鮮の憲法のような後進的なものである。
 そういう本質を見抜くためには憲法に関する知識が必要であるが、そういう本質を隠したまま、表面的で浅薄な報道等を繰り返せば、憲法の改正も可能であろう。国民が、自分たちの権利を制限するような憲法に賛成するということがあれば、これこそが「自虐」であろう。「自虐史観」と言われる歴史を否定する人達が、自虐憲法を受け入れるのは、彼らにとっては悲劇ではあるが、知識がある人達から見れば喜劇である。
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