現代へのまなざし

日本とはなにかを探求します。

過保護社会日本-将来どうなるのか-

2020-12-14 18:18:25 | 政治
 駅のホームに立っていると様々なアナウンスが流れる。過剰なまでのアナウンス。しかし、アナウンスが無かったと怒る乗客もいる。
 客が店員に対して様々なクレームを付ける。そのクレームを避けるために、店員がお客に対して様々な配慮を行う。「お客様は神様です。」という昭和時代の言葉があったが、神様はクレームを言い続ける存在なのだろうか。そのような存在が神様なのか、疫病神なのか分からないが、売り上げを伸ばすためには、疫病神でも神様だと思わないといけないのが今の日本社会なのかもしれない。
 犬や猫を非常に溺愛する人達がいる。その犬が凶暴であっても、犬を守れと叫ぶ人達。崖っぷち犬と言われた犬は、実は、非常に凶暴な犬だった。しかし、そんな犬でも助けろと叫ぶ人達。その人達は、その犬に噛みつかれても助けるべきだと言い続けるのだろうか。犬に高級牛肉などを食べさせる飼い主がいる。他方で、自分の子供に、その日の食事を満足に与えることができない親もいる。動物愛護と貧困家庭。非常に違和感を覚える。

 新型コロナウイルス感染症が蔓延すると、マスクをしていない人達を攻撃する人達が現れる。マスクの着脱は個人の選択だろう、リスクが高い密閉空間であればともかく、屋外で閑散としている場所でのマスク着用など意味が無い。外出自粛が要請されたとき、外出している人達を攻撃する人達がいた。自粛警察なる人達。自分たちの偏狭な正義感に基づいて、他人の権利を侵害するパラノイア的人間でしかない自粛警察。

 そして、新型コロナウイルス感染症によって経済状況が悪化し、政府に救済を求める人達。健康で文化的な最低限度の生活すら営めない人達は、当然の権利として生活の保障を求めることができるが、売り上げが減った、企業利益が減ったという理由で、補助金などを求めるのは安易でしかない。
 しかし、企業経営者などの声を受けて、赤字国債を発行し、借金によって企業を助ける政権。赤字国債は将来世代が負担し、国民が返済する必要がある政府の借金だ。

 一定数の人達が、何か問題があれば、行政や企業に対応を求める。自分たちで解決しよう、自分たちが自分たちを守るために行動しようという態度ではなく、行政や企業などに自分を守ってくださいとばかり、いろいろな要求をする。過保護を求める人たちが増えたように感じる。

 新型コロナウイルス感染症の影響で、様々な問題が発生している。これに対応するために、国は補正予算を措置し、様々な施策を展開している。
 第1次補正予算では、新型コロナウイルス感染症緊急経済対策関係経費として約25兆5655億円を計上しており、その財源は全て国債(借金)であり、23兆円以上の赤字国債が発行されている。その内訳は、①感染拡大防止策と医療提供体制の整備及び治療薬の開発1兆,8097億円、②雇用の維持と事業の継続19兆,4905億円、③次の段階としての官民を挙げた経済活動の回復1兆8482億円、④強靱な経済構造の構築9172億円⑤今後への備え(新型コロナウイルス感染症対策予備費)1兆5000億円である。
 この中には、アベノマスク配布事業として233億円、Go To キャンペーン費用として1兆8482億円が計上されている。その他、雇用調整助成金の特例措置拡大分として690億円、持続化給付金として2兆3176億円、全国民に10万円を給付する特別定額給付金12兆8803億円が計上されている。これら全ての財源が借金で賄われている。

 そして、政府は、この25兆円以上の補正予算でも足りないとして、約32兆円にも上る第2次補正予算を作成し、国会はこれを承認した。この財源も全て国債(借金)であり、22兆6124億円が赤字国債となっている。歳出の内訳は雇用調整助成金の拡充等に4,519億円、家賃支援給付金が2兆242億円、持続化給付金の対応強化として1兆9400億円、予備費として10兆円などが措置されている。

 第1次、第2次補正予算を合わせると、57兆4769億円の予算規模となり、その財源はすべて国債(借金)であり、そのうち約46兆円が赤字国債となっている。

 さらに、菅政権は第3次補正予算となる経済対策を決定した。新型コロナウイルス感染症の拡大防止策として4.5兆円程度、ポストコロナに向けた経済構造の転換・好循環の実現として13.4兆円程度、防災・減災、国土強靱化の推進など安全・安心の確保として4.4兆円程度などが掲げられている。この中で、ポストコロナに向けた経済構造の転換・好循環の実現や国土強靱化=公共事業の推進など、新型コロナウイルス感染症と直接関係のない経費まで盛り込んでいる。

 一体、国は、将来世代への負担となる借金を使って、どこまで、現在生活している高齢者や現役世代にバラマキを行うのだろうか。生活困窮になる人たちへの給付は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する国民に対する国が行う義務であるため必要ではあろうが、それ以上の対策を行う必要があるのだろうか。

 財源として借金(国債)を充てているが、それを償還する具体的な方策があるのであればともかく、今後、歳出削減や増税など具体的な収入確保策もないまま、野放図に財政支出を拡大させることは財政規律を全く守っていない無責任としかいいようがない財政政策である。

 一方で、国民も、何か困ったら国が助けてくれる、とでも勘違いしているのではないか。この財源は国の借金であり、いつかは返済をしなければならない。将来世代に負担を押しつけ、自分たちはフリーランチを頂くなどという無責任な態度は決して許されるものではない。国民の資産が国の借金を支えているというバランスシートの構図から、国の借金を返済するためには、国民の資産に対する課税を強化すればいいなどと、安易な発想があればしっぺ返しを食らうのは国民自身である。
 預金封鎖と預金税を合わせて導入すれば、国債は簡単に償還できるが、その場合、国民は自分たちの資産の大半を失うことになる。

 第2次安倍政権以降、日本はまるで過保護国家になったかのように、国民が困れば国が借金をして国民に給付をするという、無責任な財政運営を行っている。第2次安倍政権以降の政策によって主に恩恵を受けるのは大企業や中小企業経営者であり、一方で、格差社会の底辺にいる人たちへの救済策はあまり見られないが、特別定額給付金のように、国民に対し一律に10万円を給付するなどという、社会主義的手法も採用されているのである。

 国民、特に生産性が低いと言われている中小企業や増え続ける高齢者などに対する過保護とも思える政策を展開する一方で、国の借金はどんどん膨れあがり、対GDP比では先進国でも群を抜いて酷い状況にある日本。このまま借金を続ければ、財政破綻を回避するために大増税か酷いインフレが待っている。どうやら、過保護社会の日本の将来は暗いようである。

 過保護に育てられてた子供は逆境に弱い傾向があるという。今の日本も、逆境に弱い社会になりつつあるのではないか。過保護社会の日本の将来は、国際社会の中で追いやられ、逆境の中で押しつぶされていくのではないかという危惧を抱かざるを得ない状況が展開されている。
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