現代へのまなざし

日本とはなにかを探求します。

ネット右翼(ネトウヨ)-ネオナチとの比較-

2013-04-28 09:32:39 | 日記
 ドイツでは、極右政党であるドイツ国家民主党(Nationaldemokratische Partei Deutschlands)の支持者が増えており、最新の世論調査では、回答者の9%が極右思想を支持しており、2年前の前回調査と比べ0.8ポイントの上昇であるという。これを年齢別に見ると、15歳~30歳の年齢層に支持者が多く、学歴別の内訳では高学歴者ほど支持者が少なく、学校で落ちこぼれ、家庭にも問題がある青少年たちが極右思想に取り込まれているという。(ネオナチ支持が急増、対応迫られるドイツ)

 日本では、「在日韓国・朝鮮人が不当な特権を得ている」と主張する右翼団体である「在日特権を許さない市民の会」(在特会)が街頭デモを行い、ネット右翼たちがその中継を見ながら騒ぐという。(朝日新聞)
 さて、日本のネット上の掲示板での投稿、yahooニュースなどのコメント、NHKニュースに出てくるツイッターのコメントなどを見ると、ネット右翼(ネトウヨ)が増大しているのではないかと思われる。投稿・コメントを見てみると、中国・韓国等への攻撃的なものであったり、個人の自由よりも国家への従属を求めるものであったり、概ね右翼的な主張が多く見受けられる。そこには、民主主義の歴史や近代政治思想、法律知識などは見受けられず、もっぱらネット上で得たであろう浅薄な知識に基づく主張が多い。
 傾向として、一般的な人達、有識者、学識経験者等はネットに投稿することが少なく、ネット右翼と言われる排外主義を信条としている人達はネット投稿することが多いからかもしれない(ノイジーマイノリティ(ネット右翼)とサイレントマジョリティ(一般的な人達等))。

 ドイツのネオナチ支持者には高学歴者が少なく、学校で落ちこぼれたような青少年が極右思想に取り込まれているが、日本でも同様に、ネット依存の若者が多いようである。日中からネットに接続できる環境から想像すれば、ネトウヨには、正社員ではなく、派遣労働者あるいは無職、ニートという人達が多いと想定される。低学歴層が極右を支持するというのは、洋の東西を問わないようである。自分たちの恵まれない境遇を外国人のせいにし、外国人を攻撃することで自らの存在意義を確認しようとしているのであろうか。

 日本の村社会では、村の外部の人間を受け入れることは婚姻関係を結ぶ以外にはほとんどなかった。余所者として扱われ、コミュニティからは外れた部分で生活を送らざるを得なかった。「在日外国人は、余所者であり村から出て行け、自分たちの仕事を奪うな!」という主張は、閉鎖的なコミュニティであった村においては受け入れられる、というか村社会のシステムそのものであったかもしれないが、第二次世界大戦で日本が敗けた後、そのようなシステムは徐々に崩壊しているのである。村社会に生きるのであればともかく、グローバルな今の時代に排外主義を叫ぶネット右翼(ネトウヨ)は、時代錯誤の低レベル層という印象を持たざるを得ない。
 ヨーロッパのように共同体として国境を無くし、他民族が混在し、主たる民族との摩擦が生じるような状況と、ほぼ単一民族で、国境を接することがない日本の状況が似ているとすれば、それは問題があること。排外主義とはより遠いはずの日本で排外主義が蔓延するとすれば、村社会で、移動の少ない農耕社会で育ってきた日本人の特性なのかもしれない。


 
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憲法改正に関する議論-権利の制限-

2013-04-27 13:54:17 | 日記

 日本国憲法の改正を行いたかった自民党保守派が政権を握り、憲法改正論議がマスコミを賑わしている。現在の話題は憲法改正手続きを容易にしようという目的で、憲法第96条に関するものが多い。
 日本では、伝統的に成文化されたものの変更はなかなかなされなかった。それは制定したときの経緯や制定時に知恵を出し合った結果であって、安易に後世の者が変えると、悪い方向に変わるという知恵が働いたためである。今回の改正論議を見ていると知恵の無い政治家が自分たちの都合で憲法を見直そうとしていることがわかる。

 自民党改憲草案を見ると、国民の権利について「公益及び公の秩序に反しない限り」という留保付きで尊重されるようになっている。現憲法では、「公共の福祉に反しない限り」となっており、この公共の福祉については、すべての人の人権がバランスよく保障されるように、人権と人権の衝突を調整することであり、全体の利益のために個人の権利を制限することとは異なる。この「公共の福祉」が「公益及び公の秩序」と変更され、全体主義的な観点から人権を制限できるように自民党は変更しようとしている。
 まさに「お上」が個々人の人権を規制しようという全体主義、集団主義的な考え方であり、さらに、自民党草案では「全て国民は、この憲法を尊重しなければならない。」と憲法遵守義務を全国民に負わしている点を考えると、国民の人権を保障するための憲法から、国民の人権を制限するための憲法に変えようということがわかる。

 憲法に関する知識があれば、つまり憲法が国家権力を制限し、国民の権利を保障するものであるという基本的な知識があれば、自民党の改憲草案が本末転倒なものであるということがわかる。権利を保障するのではなく、権利を制限する憲法というのは、民主主義を基本原則としている先進国には見られない、北朝鮮の憲法のような後進的なものである。
 そういう本質を見抜くためには憲法に関する知識が必要であるが、そういう本質を隠したまま、表面的で浅薄な報道等を繰り返せば、憲法の改正も可能であろう。国民が、自分たちの権利を制限するような憲法に賛成するということがあれば、これこそが「自虐」であろう。「自虐史観」と言われる歴史を否定する人達が、自虐憲法を受け入れるのは、彼らにとっては悲劇ではあるが、知識がある人達から見れば喜劇である。
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