現代へのまなざし

日本とはなにかを探求します。

日本人とユダヤ人

2017-01-14 12:05:56 | 政治
 ここ数年のテレビ番組では、外国人が日本人を誉めている番組がしばしば見られる。外国人、特に欧米の白人に誉められると、番組出演者が日本って凄いですね、というようなコメントをして、参加者全員で、日本は凄い、素晴らしいという雰囲気になり、悦に入るというような番組である。
 一方で、ネットでは在日朝鮮人などの在日アジア系の人達への憎悪などがかなり以前から見受けられる。彼等にとっての、日本人とは何だろう。

 以前のブログでユダヤ人のことを取り扱ったことがある。それは、「ユダヤ人は有色人種だったのに、いつから白人に変わったのか。」という疑問からのものである。本来のユダヤ人であるスファラディと後付けのユダヤ人であるアシュケナジー(白人のユダヤ人)であり、ナチスが迫害したのはアシュケナジーであり、シオニズム運動は、そもそもアシュケナジーと関係ないパレスチナの土地への帰還を推進するおかしな運動であると論じたものである。
 「ユダヤ教を信じる人達はユダヤ人である、という定義。アシュケナジーは本来ユダヤ人ではないが、自らをユダヤの神に依拠するためにはユダヤ人でなければならない。であれば、人種は関係なく、ユダヤ教を信じる人達はユダヤ人だという定義が必要となる。」

 これに比べて、日本での日本人というのは大きく異なるような印象を受ける。ユダヤ人の定義と同じであれば、在日朝鮮人であっても日本の伝統や風習を身につけ、その通りの生活を送っているならば日本人であるということになる。昨今のスポーツ選手には黒人の日本人も存在する。日本人の血を受け継ぎ、日本人と同じ生活スタイルを持っているのであれば日本人である。法律的には日本国籍を取得していれば日本人であるが、日本人の感覚からすればちょっと違和感があるかもしれない。白人や黒人が日本人というのは違和感があるだろう。
 では、黄色人種(モンゴロイド)であり日本国籍を取得していれば日本人と認めるのだろうか。日本での一般的な理解は、父母ともが日本人であれば日本人というものだろう。先祖をたどったときに、ドイツ人の血が混ざっていたら日本人なんだろうか、ドイツ人ではなく朝鮮人だったらどうなんだろうか。

 日本人の歴史をたどると、縄文人、アイヌ人、琉球人、さらに朝鮮半島からの渡来人との混血である弥生人などいろんな人種が混合されて日本人が出来上がっている。桓武天皇の母親は朝鮮半島の百済の女性である。混血が普通だった当時の状況から考えれば違和感なく日本人だと言えるだろう。日本に住み、日本の伝統、風習を身につけ、それに従って生活すれば日本人というのが当時の理解ではなかったか。
 欧米列強に対峙し、彼等に追いつけという富国強兵殖産興業の時代背景の中で、欧米に対する劣等感と日本以外のアジアに対する優越感が醸成されたとすれば、明治以降に日本人の多様性が否定され、単一性が求められるようになったと考えるのは違和感がない。

 日本に住み、日本人の父母を持ち、数代さかのぼっても日本列島外からの人間との混血がないものを日本人とするならば、ユダヤ人に対する違和感を抱かないのが不思議である。民族と人種ということなど、いろいろ考えさせられる。

コメント
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