マイケル・サンデル教授の著書に、「実力も運のうち 能力主義は正義か?」(鬼澤忍訳、早川書房、2023年9月)がある。この文庫本解説には、「努力して高い能力を身につけた人が社会的成功と報酬を手にする――こうした「能力主義(メリトクラシー)」は一見、平等に思えますが、本当にそうでしょうか?」と書かれている。
さて、このメリトクラシーが浸透したのは、多くの人達が初等教育修了だったものが、徐々に高学歴者が増え、学歴による差別が一般的に受け入れられたことが大きな原因となっている。この能力主義(メリトクラシー)が多くの人達に受け入れられるようになる前と後で人々の反応にどのような違いがあるのだろうか。
高学歴のメリト君と、低学歴のクラシー君に登場してもらい、2人の対話で見てみよう。
【メリトクラシー(能力主義)以前】
・メリト君「いやあ、僕は小さな頃から勉強させてくれる家庭環境の下で育ったのでラッキーだったんだ。クラシー君もそういう環境だったら良かったのにね。僕は運が良かっただけさ。だから、僕が頑張って儲けたお金はみんなで分け合うことが良いと思うんだ。僕が高学歴で収入が多いのはたまたま運が良かっただけだからね。」
・クラシー君「そんなことないよ、だってメリト君は頑張って勉強したんだもの。僕の家は貧乏だったから、なかなか勉強は出来なかったけど、メリト君の努力は認められるべきだよ。」
・メリト君「努力できたのも家庭の環境が良かったからだよ。運が良かったんだ。だから、みんなに還元して、みんなで幸せになることが一番だと思うんだよ。判ってくれるかい?」
・クラシー君「メリト君がそう言うんだったら、それがいいね。みんなで幸せになって、楽しい生活を送ることができるのが一番だよ。ありがとう、メリト君」
【メリトクラシー(能力主義)以降】
・メリト君「僕は小さな頃から勉強を頑張ったんだ。ゲームやいろんな遊びをしたかったけど、それを我慢して勉強をしたんだよ。その努力の結果、僕は高学歴になって収入が多いんだよ。自分の力で高学歴と高収入を得たんだから、これは僕の努力の結果だし、その成果は僕自身のものだ、税金などで取られるのは絶対にイヤだよ。」
・クラシー君「そうは言うけど、僕も勉強をしたかったけど、家が貧しくて大学に行かせてもらえなかったんだよ。メリト君は家庭環境に恵まれていたから勉強をすることができて、高学歴になったんじゃないか。たまたま裕福な家庭に生まれたから高学歴になれただけで、運が良かっただけじゃないか。」
・メリト君「今の時代は自己責任だよ。家が貧乏でも頑張れば大学に入れるんだよ。君が努力しなかったから君は大学に入れなかったんだよ。言い訳なんていいわけないよ。もっと頑張って大学に行けば良かったんだよ。君が貧乏なのは君の自己責任だし、僕が稼いだ金は僕のものだ、税金などまっぴらごめんだよ。」
・クラシー君「そんな。まるで親ガチャだね。貧乏な家に生まれたことも自己責任って言われるなんて、めっちゃ腹立つんだけど。メリト君は本当に自分の努力だけで高学歴になれたと思ってるの?運が良かったってことは認めないの?」
・メリト君「そりゃあ家庭環境が良かったことは認めるけど、それでも自分が高学歴になれたのは僕が努力をしたからだよ。君ももっと努力すれば良かったんだ。努力しなかった君の自己責任だよ。」
・クラシー君「僕だって努力をしたよ。でも、家の事情なんかもいろいろあったんだ。これ以上君と話をしても無駄なようだね。」
能力主義(メリトクラシー)が浸透する前の時代であれば、自分が高学歴になり高収入になったのは運が良かっただけだというような意識が働き、強い累進税率であっても、相続税率が高くても、それらを高学歴者が受け入れることで再分配政策が進み、その結果、多くの中間層が生まれ、格差は小さい社会だった。1950年代から1960年代のアメリカの黄金時代がこれにあたるだろう。再分配政策によって福祉国家政策が進み、低学歴で定収入であっても、将来は明るく、希望に満ちた人生を送ることができたのである。
しかし、能力主義(メリトクラシー)が浸透した今の時代、高学歴層は利他主義や共感からかけ離れ、「今だけ、金だけ、自分だけ」に陥り、低学歴層は被害者意識や屈辱感を抱くようになっているのではないか。それゆえ、低学歴層で定収入な人達にとっては将来は暗く、希望を抱くことが困難になっているのが今の社会だろう。
高学歴層は企業経営者、官僚、マスコミ従事者になり、自分達の都合の良いことを、あたかもそれが常識であるかのごとく主張し、報道し、民衆を洗脳していく。低学歴層が拠って立つ労働組合は弱小化し、バラバラに分断され、高学歴層の洗脳に侵される。あるいは陰謀論に蝕まれているかもしれない。
マイケル・サンデル教授が著書の中で主張していたように、大学入試にくじを使うことは非常に有効かもしれない。自分が高学歴になれたのは、まさに運が良かったからだ、ということが実感できるからだ。
「親ガチャ」「上司ガチャ」「配属ガチャ」などの言葉が流行ること、それは運が人生に大きな影響を与えていることを物語っている。運によって人生が左右されるなら、その運による影響を抑えるためにも、再分配政策が求められているのであろう。
つまり、所得税の累進税率を強化し、金融所得課税を強化し、相続税率を引き上げるとともに、それによって増えた税収を低所得者層に配分するという、所得・資産再配分政策が求められている。
NHKニュースで、ロシアのプーチン大統領が一方的に停戦を発表したという報道があった。「一方的」という言葉は、ロシアによるクリミア半島の併合に、NHKだけでなく多くの新聞などでも使われている。
なぜ、ロシアが何かをすると「一方的」という修飾語が多用されるのだろうか。
一方的とは、広辞苑第7版によると「①ある一方にかたよるさま。「―な勝利」、②相手のことを考えずに、自分の方だけのことを考えてするさま。「―な言い分」「―に宣言する」」とある。
トランプ大統領が各国に対して関税を発表した。トランプ大統領は相互関税と述べていたが、これこそ「一方的」な関税の発表だろう。しかし、トランプ大統領に対しては「一方的」という言葉は使われていない。
また、ウクライナのゼレンスキー大統領が戦況について一方的に発表している内容についても、「一方的」という言葉を使うことなく、全面的に正しいかのように報道している。このような報道は、ゼレンスキー大統領の一方的な発表を一方的に垂れ流していると言える。
「一方的」という言葉は、どうやらロシアなど西側諸国から敵性国家とされた国に対して使用される言葉らしい。ということは、今後、中国に対しても「一方的」という言葉が使われるかもしれない。
このようなNHKの「一方的」な報道は、視聴者を一方的な考え方に導く可能性が高いだろう。第二次世界大戦(アジア・太平洋戦争)の際に、日本のマスコミは一方的に大本営発表を垂れ流し、日本国民を洗脳していたが、その姿は今でも健在のようである。「一方的」なNHKの報道は、もはやプロパガンダ報道と言えるだろう。
ロシアによるウクライナ侵攻について、ロシアが批判されるのは当然であるが、戦況についても、当事国の主張についても、一方的な報道に終始するNHKの報道姿勢は異常と言わざるを得ない。
今後の国際情勢で、アメリカにとって不都合な場合、西側諸国にとって不都合な場合、NHKは一方的に偏った報道を行うだろう。日本の宗主国であるアメリカが日本に対して理不尽な政策を取った場合にどのような報道をするのかはわからないが、トランプ大統領の相互関税については「一方的」という言葉を使っていないので、非常に抑制的な報道をするのだろう。
しかし、NHKの報道姿勢、日本のマスコミの報道姿勢を見ていると、今後も、第二次世界大戦(アジア・太平洋戦争)で見せた一方的な報道、偏った報道、プロパガンダの垂れ流しを行うことは容易に想像できる。
このような偏った報道に騙されないようにするためには、国際関係を、過去の歴史を踏まえるながら観察、分析することが重要である。例えば、ロシアによるウクライナ侵攻の場合であれば、侵攻が始まる前のウクライナの状況がどのようなものであったのか(ロシアのウクライナ侵攻に関する報道)、アメリカの戦略がどのようなものであったのか(ブレジンスキーの戦略)、ロシアの反応はどのようなものであったのかを調べる必要がある。
過去の歴史を踏まえれば、一方的な報道に騙されることもなく、価値自由に国際問題を見ることができるだろう。
(要旨)
アメリカの外交戦略に対し、共和党のニクソン大統領の補佐官であったキッシンジャー氏と、民主党のカーター大統領の補佐官であったズビグネフ・ブレジンスキー氏は大きな影響を与えたが、特にブレジンスキー氏は、その後のアメリカ民主党の大統領の地政学的な戦略に大きな影響を与えた。
ブレジンスキー氏はユダヤ系ポーランド人であり、旧ソ連に対し憎悪を抱いており、ロシアの勢力を拡大させない観点から地政上の戦略を提案している。その提案に沿う形で、クリントン元大統領はNATOの東方拡大を推し進め、さらにバイデン前大統領はウクライナのNATO加盟を図っていた。
一方で、ロシアのプーチン大統領は、ウクライナのNATO加盟は「越えてはならない一線」としており、ウクライナがNATOに加盟するのであれば、武力行使も辞さないことを以前から主張していた。
ロシアのウクライナへの侵攻は国際法違反であり、ロシアが批判されるのは当然だが、ロシアをウクライナ侵攻に導いたバイデン前大統領の戦略は罪深いものであり、このバイデン前大統領に踊らされたゼレンスキー大統領は哀れである。
地政学的な視点からロシアのウクライナ侵攻を見た場合、ロシア=悪、ウクライナ=善というような単純な論調に終始し、ロシアに有利な停戦を決して認めてはならないという論調は、ウクライナ人などの犠牲を増やす結果につながるだけで無責任だと言わざるを得ない。
(本論)
アメリカの大統領がトランプ氏に代わり、アメリカ第一主義の具体的な政策として保護関税政策を取ったことで世界中に大きな衝撃が走っている。また、ロシアによるウクライナ侵攻に対して、西側メディアによればロシア寄りとされる停戦案を提示し、これまた西側世界に大きな衝撃が走っている。
アメリカの地政学的な戦略を知る上で、共和党のニクソン元大統領の補佐官であったキッシンジャー元大統領補佐官(元国務長官)と民主党のカーター元大統領の補佐官であったブレジンスキー元大統領補佐官の思考や行動を知ることは、彼らの思考や行動がアメリカの外交戦略に大きな影響を与えたことからも、非常に有効なことである。
それもあって、今更ながらズビグネフ・ブレジンスキーの「地政学で世界を読む 21世紀のユーラシア覇権ゲーム」を読んだ。ちなみに、このブレジンスキー氏「(1928年3月28日 - 2017年5月26日)は、アメリカ在住の政治学者。1966年から1968年まで、リンドン・ジョンソン大統領の大統領顧問を務め、1977年から1981年までカーター政権時の第10代国家安全保障問題担当大統領補佐官を務めたことで知られる。ポーランド出身、カナダ育ち。」とウィキペディアで紹介されているが、ユダヤ系ポーランド人であり、ロシア帝国に支配され、またドイツに支配され、さらに旧ソ連に支配されていたポーランド人に特徴的な、ソ連に対する強い憎悪を抱いていた人物であり、反ロシアの人物である。
また、ズビグネフ・ブレジンスキー氏の長男であるマーク・ブレジンスキー氏は、クリントン政権では国家安全保障会議(NSC)に所属(ロシア・ユーラシア局長)し、バラク・オバマ氏の外交政策顧問を務め、元大統領のバイデン氏が副大統領だったオバマ政権ではスウェーデン大使を、そして2022年1月よりアメリカ合衆国駐ポーランド大使に任命された。
1997年(平成9年)に記されたこの著書の中で、「短期的には、ユーラシアに現在みられる地政上の多元性を強化し、恒久的なものにすることが、アメリカの国益になる。この点から、反米同盟が結成されていずれアメリカの覇権に挑戦するようになるのを防ぐために、機動的な政策と術策を駆使することが重要になる。当然ながら、ひとつの国がアメリカの覇権に挑戦するようになる芽を摘んでおくことも重要である。中期的には、アメリカの戦略的な同盟国となる地域大国が力をつけていき、アメリカの主導のもとで、ユーラシア全体を対象とする安全保障の協力体制を築いていく際に協力を得られるようにすることに、重点が移る。さらに長期的には、世界政治の舞台で責任を共有する核を形成することに重点が移っていく。」(p.315~p.316)としている。
「したがって、ヨーロッパの拡大とNATOの拡大が、短期的にも長期的にもアメリカにとって目標となる。ヨーロッパが拡大すれば、アメリカの影響力が及ぶ範囲が拡大するし(また、ヨーロッパのさまざまな機関に中欧諸国が加盟すれば、これらの機関で親米派の国が増えることもになり)、ヨーロッパの政治統合が進みすぎてアメリカにとってきわめて重要な地政上の権益(とくに中東での権益)にすぐに挑戦するようになる可能性もなくなる。ロシアを世界的な協力体制に徐々に組み込んでいくためにも、ヨーロッパの政治統合が進展していくことが不可欠である。」(p.317)
「NATO拡大を目指すアメリカの努力が失敗に終われば、ロシアはそれ以上の野心を復活させる可能性もある。」(p.319)
「ロシアが帝国再建ではなく、ヨーロッパへの道をはっきりと選択する可能性を高めるためには、アメリカは対ロシア戦略の第二の柱をうまく打ち立てていくべきである。つまり、旧ソ連の領域内にみられる地政上の多元性を強化していくべきである。これが強化されれば、ロシアは帝国復活の誘惑にかられにくくなる、ロシアが帝国再建の夢を捨ててヨーロッパを志向するようになれば、地域の安定を強化し、不安定になりかねない南の新国境線に紛争が発生する可能性を減らすものとして、アメリカのこの努力に歓迎するはずである。しかし、地政上の多元性を強化する政策は、ロシアとの友好関係を前提にするものであってはならない。ロシアとの友好関係が深化しなかった場合の保険としても、重要な政策なのである。ロシアが帝国主義的な政策に戻って脅威になるのを防ぐ障壁になるからである。」(p.322~p.323)
「したがって、とくに重要な新独立国に政治的、経済的な支援を提供することが、ユーラシアの幅広い政策には不可欠である。なかでもとりわけ重要なのは、主権国家としてのウクライナの立場を強化する政策である(ウクライナは自国を中欧の一員だとみるようになって中欧との統合を深めている)。また、中央アジアを世界経済に開放する政策を進め(ロシアが障害になっているが)、アゼルバイジャン、ウズベキスタンなど、戦略上の要衝になっている国との協力関係を強化すべきである。」(p.323)
このように、ブレジンスキー氏はロシアの帝国再建を恐れ、そのためにはウクライナなどをNATOに加盟させることがアメリカにとって重要な戦略になると主張しているのである。
アメリカの外交戦略の中で、ウクライナの地政上の重要性は非常に高いものであり、ロシアの勢力拡大を防ぐためにもウクライナをロシアから離反させる必要があったことがわかる。ブレジンスキー氏が大統領補佐官を務めたカーター政権以降の歴代民主党大統領による政権はブレジンスキー氏の戦略に沿った外交を行っていたと推測できる。
1990年2月9日にアメリカのベーカー国務長官が、ソ連のゴルバチョフ書記長に対して「NATO軍の管轄は1インチも東に拡大しない」と発言したとされている。このときのジョージ・H・W・ブッシュ大統領(父ブッシュ)は共和党の大統領であり、伝統としてはキッシンジャー氏の影響はあってもブレジンスキー氏の影響は排除されていると考えられる。
なお、先ほど引用したフブレジンスキー氏の著作は1997年に記されたものであり、実際にNATOが東方拡大を始めたのは、民主党の大統領であるクリントン政権時代であり、1999年に旧ワルシャワ条約機構加盟国のチェコ、ハンガリー、ポーランドが加わったのである。
ブレジンスキー氏の長男マーク氏はクリントン政権では国家安全保障会議(NSC)に所属していたことからもわかるように、ブレジンスキー氏が民主党の大統領であるクリントン政権の外交政策に大きな影響力があったと考えるのは合理的である。ロシアが憎くて仕方が無いブレジンスキー氏の戦略に従ったクリントン元大統領がNATOの東方拡大を進めていったと考えるのが自然であろう。
NATOを東方に拡大させ、ロシアのとって戦略上死生線とも言えるウクライナにまで拡大させようとしたアメリカ。ロシアのプーチン大統領はウクライナのNATOへの加盟はレッドラインと警告していたが、そのロシアへの嫌がらせのようにウクライナのNATO加盟を進めていったのは、バイデン前大統領がブレジンスキー氏の戦略を採用したからであろう。ゼレンスキー大統領をそそのかし、その結果、ロシアによるウクライナ侵攻を招いた政策の責任者であるバイデン前大統領の罪深さは大きいだろう。
(参考:ウクライナのNATO加盟は「越えてはならない一線」=ロシア(2021年6月17日、ロイター))
トランプ大統領がロシアのウクライナ侵攻によって多くの犠牲者が出たことに関して、ロシアのプーチン大統領だけでなく、バイデン前大統領やウクライナのゼレンスキー大統領にも責任があるという認識を示したのは当然であろう。バイデン前大統領に踊らされたゼレンスキー大統領については、哀れという表現が似合っているのかもしれないが。
もう一人の元大統領補佐官であるキッシンジャー氏が2022年に「既に達成された戦略的変化を土台に、交渉による平和の実現に向けた新しい構造に統合する時期が近づいている」と指摘した点も地政学上の深い認識であろう。
共和党の大統領であるトランプ氏の、ロシアによるウクライナ侵攻に関する停戦案がキッシンジャー氏の指摘を踏まえたものとなるのも当然の流れなのである。
ロシアがウクライナに侵攻したことは、国際法違反であり、第一に批判されるべきはロシアであることは論を待たない。しかし、地政学的な観点から国際紛争を見る必要がある。地政学的な観点も持たず、一方的な論調(ロシア=悪、ウクライナ=善)を繰り返し報道し続ける日本のメディアやコメンテーターとして登場する所謂専門家の多く(本当に専門家なのか不明)には、解決策を示すことは不可能であろうし、西側メディアやコメンテーターの主張を実行していけば、さらに多くの犠牲者が生み出されるだけである。ウクライナ人やロシア人が何人死んでも自分達には関係ないということなのだろうか。全く無責任だと言わざるを得ない。
アメリカの関税措置を巡って市場が混乱している。この関税が大好きだと言っているアメリカのトランプ大統領は、かつて「ディープ・ステート」が政治を操っていると主張していたが、ディープ・ステートとは何か。
「ディープステート(英: deep state、略称: DS)、または闇の政府、地底政府とは、アメリカ合衆国連邦政府の一部(特にCIAとFBI)が金融・産業界の上層部と協力して秘密のネットワークを組織しており、選挙で選ばれた正当な米国政府と一緒に、あるいはその内部で権力を行使する隠れた政府(国家の内部における国家)として機能しているとする陰謀論である。「影の政府」と重複する概念でもある。 」(wikipedia)
さて、トマ・ピケティは「21世紀の資本」という著作によって1910年~2010年の所得格差について実証したデータを公開している。(米国での所得格差 1910-2010年)
ピケティが公開している図表にも書かれているように、第1次世界大戦以降、1920年から1940年まで上位10%の富裕層の所得は国民所得の45~50 % だったのが、第2次世界大戦、ルーズベルト大統領のニューディール政策、つまり大きな政府、福祉国家を目指した再分配政策によって1950 年には35 % 以下となった。しかし、レーガン大統領の小さな政府、新自由主義、グローバリズム政策によって格差は拡大し、2000 年代や2010 年代には45~50 %に拡大していったのである。
第1次世界大戦後、1917年にロシア革命が起こり、世界初の社会主義国家であるソビエト連邦が成立した。中国では、第2次世界大戦後、1949年に国民党を台湾に追い出した共産党が中華人民共和国を成立させ、社会主義が拡大した。
社会主義の拡大に対抗するためにも、第2次世界大戦後、西側諸国では資本主義の中に再分配政策を取り入れた福祉国家が目指されるとともに民主主義を重視し、その結果、多くの労働者が中間層に移行し、安定した社会が実現していた。これが1950年から1980年までの格差の縮小に繋がっている。
1980年代、ソビエト連邦が崩壊し、社会主義は幻想でしかないという評価が多くの人々に行き渡った。資本主義はもう社会主義を恐れる必要はないため、福祉国家から新自由主義に大きく変化し、そして民主主義は形骸化されていった。再分配から自由放任(能力主義、メリトクラシー)、そしてグローバリズムの全面的導入に変化すれば、多くの中間層が没落し、低所得の労働者層になるのは当然のことであり、この低所得の労働者層がトランプ支持者になっているのである。
グローバリズムでは先進国の労働者と発展途上国(中国や東南アジア諸国、東欧諸国など)の労働者が競い合うのであり、発展途上国の低賃金と先進国の高賃金が争えば、先進国の賃金が上昇しなくなるのは市場原理から言って当然の流れであるからである(逆に中国や東南アジア諸国などは経済成長を果たす)。
能力主義(メリトクラシー)では本人の努力により良い学校、大学に入り、卒業後は大企業(ウォール街やIT産業)に入社し、あるいは弁護士になって高収入になる人達が勝ち組で、高卒で働く人達は負け組とされ、それは本人の実力次第とされることから、低所得労働者は負け組とレッテルを貼られ、いくら頑張って働いても低所得であることは自己責任とされる。
自分達は頑張って仕事をしているにも関わらず低所得であるのは納得できないとしても、それは自己責任であり仕方が無いと評価されると、不条理を日常的に感じることになるだろう。そうした人達が、ディープ・ステートがアメリカ政府を操っていると信じることは何ら不思議ではない。
多くの労働者の意思が政治に反映されず、一部の富裕層の意思によって政治が動かされている。これは民主主義ではなく寡頭制(少数者が国の権力を握って政治を独占する政治体制。企業経営者や富裕層が政党への影響力を行使し、自分達に都合のいい政策を実行させる。オリガーキー)でしかない。
つまり、ディープ・ステートとは、グローバリズムと能力主義に侵された資本主義システム、そして寡頭制そのものではないか。いくら政権が変わろうと、大統領が替わろうと、グローバリズム、能力主義に基づく新自由主義的資本主義、寡頭制支配が変わらなければ、ディープ・ステートが存在すると感じてしまうのである。
アメリカのトランプ大統領は関税を用いた保護主義に傾いているが、これはグローバリズムからの転換を図っていると考えられる。白人労働者層をコアな支持層としているトランプ政権がグローバリズムからの脱却を図るのは合理的であるが、高関税率という行き過ぎた保護主義は逆に白人労働者層に大きなダメージを与えるだろう。トランプ政権の政策は、エビデンスに基づいた政策というより、感覚に基づいた政策という印象を受ける。
しかし、このグローバリズムと寡頭制から抜け出さなければ、社会の分断はより進むだろう。ヨーロッパでは極右政党が伸長している。先進国すべてに共通しているのは、低所得にされた労働者層がポピュリストの扇動によって極端な主張を行う政党を支持してしまう危険性である。
また、マスコミはグローバリズムや能力主義を前提とし、自分達が学んだ価値観(自由と民主主義)を絶対的なものとしているものの物事の本質を深く追求することもなく、二項対立による善悪判断、マーケットに寄り添った報道を行い、論調を作っていくことにより人々の頭の中にグローバリズムや能力主義をすり込み、結果として世論操作を行っている。ちなみにその論調は富裕層やエリート層、知識人などには受け入れられているが、国民の大半を占める労働者層からの信頼は失っている。
今の先進国で求められていること、安定した社会を構築するために必要なことは、格差を作り出したグローバリズム、新自由主義からの転換、寡頭制から民主主義への転換である。具体的には、ルーズベルト大統領が採用したニューディール政策の現代版を検討する必要があるのだろう。再分配政策こそが求められているのである。
経済問題を論じる際にグローバリズム、グローバルスタンダードという言葉が使われることが多くある。では、グローバルスタンダードとは何だろう。単純に日本語訳すれば「世界標準」ということになるが、この言葉が使われるようになったのは1990年代後半からだ。日本でバブルが崩壊し、日本企業が苦しむ中で、「終身雇用」「年功序列」「企業別労働組合」という日本的雇用慣行、日本的経営などを否定的に捉え、その見直しを行う際に使われるようになったのが「グローバルスタンダード」である。
しかし、このグローバルスタンダードとは、アメリカ流の資本主義、アングロ・サクソンが生み出した新自由主義の基準、すなわちアメリカンスタンダードでしかない。しかし、それがグローバルスタンダード、グローバリズムという言葉に置き換わり、この言葉によって新自由主義が西側諸国を支配し、日本のみならず欧州などの先進資本主義国でも格差が拡大していったのである。
グローバリズムに基づく政策によって、各国は関税の税率をゼロあるいはかなりの低率に引き下げる。関税が引き下げられれば、労働力の安い国(例えば中国やベトナム、インドネシア)に工場などを移転し、そういう国々で作られた製品が日本などの先進国に輸出され流通することになる。賃金の安い国々との競争になれば日本などの先進国の労働者(庶民)の賃金には引き下げ圧力がかかる。そのため、日本などの先進国の労働者の賃金は上昇することなく、逆に、中国や東南アジアなどの低賃金国の賃金は上昇し、中国や東南アジアの経済が発展するのである。また、低賃金国で作られた原価の安い製品を日本などの先進国で十分な利益を上乗せした価格で売るため、従来よりも企業の利益は大きくなり、その利益は株主配当や企業の内部留保(利益剰余金)として企業内に積み立てられる。
企業が労働者の賃金を引き上げれば良いが、特に日本では、企業は労働者の賃金を引き上げず、利益を大きく増やし、それを株主への配当金や企業の内部留保(利益剰余金)としてため込んでいるのである。その証拠に、労働者に支払う賃金の割合である労働分配率はバブル崩壊以降下がり続けている。
日本のマスコミは、未だに「グローバリズム」という言葉をポジティヴなイメージで使用しているが、グローバリズム、すなわち新自由主義によって日本や欧米諸国では格差が拡大し、中間層の没落によって国内の政治状況は不安定化しているのである。フランスやドイツなどの欧州諸国での極右勢力やポピュリスト達の伸長がこれを物語っている。アメリカのトランプ大統領の誕生も同じ流れである。
アメリカが先進各国に押しつけたグローバリズムによって、アメリカ自身が崩壊しかけており、それをトランプ流に立て直そうとしているのが、トランプ大統領のMAGA(Make America Great Again:アメリカを再び偉大にする)であり、関税政策である。
貧乏人はさらに貧乏に、富裕層はさらに富裕になるグローバリズム。このグローバリズムからの転換であり、自分の支持者の生活のためのトランプ流の経済政策であるが、その政策によってトランプ支持者の生活が良くなるのかはわからない(あまりにも高関税のトランプ関税で経済が悪化するのは目に見えている。)。しかし、グローバリズムからの脱却は庶民が求めていることである。
日本やアメリカ、西欧などの西側の政治家やメディアは日本や欧米が「自由で民主主義」だと連呼している。確かに自由はあるが、民主主義なのだろうか。庶民(労働者等)はよりよい生活を求めているにもかかわらず、庶民(労働者等)の生活は苦しくなる一方で、富裕層の金融資産は増え続けている。これが民主主義と言えるのだろうか。大多数の庶民(労働者等)の意思は政治に反映されることなく、また、マスコミも大衆化されたエリート層として企業経営者や富裕層の意見を代弁することから、グローバリズムを礼賛する報道を繰り返すことになり、その結果、自らも属しているエスタブリッシュメントの利益を優先することとなるのである。そしてマスコミの報道によって操作された庶民(労働者等)はエスタブリッシュメントの利益を擁護する政党(日本では自由民主党)に投票し、エスタブリッシュメントの地位は確固たるものとなるのである。そこには経済的自由主義はあっても民主主義を見いだすことはできない。
一部の企業経営者や富裕層の金融資産が増え続け(日本は上位10%の資産が57.8%でそのうち最上位1%は24.5%を占めた。下位50%は5.8%だった。「日本経済新聞(2021年12月27日)」)、他方で庶民(労働者等)は給料が上がらず、逆に物価が上昇することで実質賃金は低迷している。日本では1990年代から明確にグローバリズムに基づく経済政策が取られているが、これは民主主義ではなく、寡頭制(寡頭制=少数者が国の権力を握って政治を独占する政治体制。企業経営者や富裕層が政党への影響力を行使し、自分達に都合のいい政策を実行させる。オリガーキー)でしかない。
アメリカはトランプ氏が大統領に再任することでグローバリズムからの転換を図っているようだが、日本では未だにグローバリズムに囚われ、さらに悪いことには石破政権になってもアベノミクスからの転換が図られていない。自民党安倍派が金融緩和や積極財政にこだわり、アベノミクスからの転換が出来ないのであろう。日本経済は麻薬中毒患者のように未だにアベノミクスという麻薬によって朦朧とさせられているように見える。
グローバリズムからの転換をどのように図り、庶民(労働者等)の生活を良くするための再分配政策をどのように考えるのか。株式譲渡益や配当所得を総合課税にする、あるいは累進税率にして課税を強化するなどの金融資産課税の強化や、消費税率の引き上げによって軽減された法人税を引き下げ前の税率にまで再び引き上げるなど、あるいは金融資産に対する課税制度を設ける、相続税の累進税率を強化するなどの課税強化と低所得者層への分配政策が必要である。