現代へのまなざし

日本とはなにかを探求します。

日本の家族形態-権威主義的性格を備えた家族制度-

2024-07-07 10:09:01 | 政治

 歴史人口学者のエマニュエル・トッド氏は世界中の家族形態を絶対核家族、平等主義核家族、直系家族、共同体家族という類型に分類し、それぞれの家族類型による特徴を述べている。

 日本の家族形態については、直系家族の類型に分類されているが、直系家族とは、子供のうち跡取りは成人して結婚しても家に残り、すべての遺産を相続するもので、跡取り以外の子供は他の場所での生活の道を選ぶ。家長としての父親に権威があるため、親子関係は権威主義的であり、兄弟間は不平等である。

 

 さて、日本の家族制度に関する有名な論考としては、民法・法社会学者の川島武宜氏による「日本社会の家族的構成」(「日本社会の家族的構成」(川島武宜著、岩波現代文庫、2000年)に収録)がある。

 なお、この論文は1946年に中央公論で発表されたものであり、「戦後日本の民主化のためには,家族制度の徹底的解明と批判が不可欠であるという鮮烈な問題意識のもとに,広汎な農村実態調査から日本の家族を武士的家族と農村的家族に類型化し,家父長制国家の虚偽性を衝く家族制度研究の古典的論稿」と紹介されている。

 この中で、日本の家族制度を「武士階級的家族制度」と農民や漁民、都市の小市民の家族制度に分けて家族生活の基本原理を説明している。

 「武士階級的家族制度」(封建的士族層、貴族、大地主、大町人を支配してきた家族制度)について、士族層封建武士的・儒教的なこの家族制度は、一つの強固な「秩序」であり、この固定的な秩序そのものが、動かすことのできない「権威」である。この神聖な権威的秩序の担い手は、家長(戸主)であり父、夫である。彼らは家族、子供、妻に対して「権力」を持っているが、この権力は服従する人々の精神に対する絶対的な高い威力、すなわち「権威」として現れ、その結果、服従者は抗しがたいものとしてこれを意識し、むしろすすんでこれに服従する、というのである。

 農民や都市の小市民などの民衆の家族(農村的家族)の構造は武士階級的家族制とは異なり、そこでは女や子供、老人を含めたすべての家族員が、それぞれの能力に応じて家族集団の生産的労働を分担するため、儒教的家族におけるような型での家長の権力や権威は存せず、「協同的な」雰囲気が支配する。各人がそれぞれに固有の生産的労働を分担することに対応して、各人は家族内で固有の地位をもっているが、ここでも永い伝統によって抗しがたい客観的制度に固定しているために、家族の「秩序」は一つの権威であり、その中に生きている人々に対し絶対的な権威として君臨する。

 そして、これらの家族生活の基本原理が、家族外の関係にも反射し、貫徹していると言う。

 第一に、「権威」による支配と、権威への無条件的服従。権威者の前では自らの価値を低いと感じる「子分」の卑屈な感情であり、人は、主義・主張が同じだから他の人と行動を同じくするのではなく、親分がある行動をとり、又は行動を命じるために、そのような行動を無条件的にとる。

 第二に、権威への追従や雰囲気への追随に由来すると思われる、個人的行動の欠如と、それに由来するところの個人的責任感の欠如。

 第三に、権威主義的あるいは馴れ合い的な秩序や平和が害されるのを恐れるために、一切の自主的な批判・反省を許さないという社会規範として現れる。自分の意見を言わないことや雰囲気に追随することは、人の下に立つ者のみならず人の上に立つ者にとっても、忘れてはならぬ「処世術」となり、このような社会では、自らの個性を発展させることは許されないし、また不可能であり、個性を没却して雰囲気とともに流れるようにつとめる人が「修養を積んだ」人として尊敬される。

 第四に、親分子分的結合の家庭的雰囲気と、その外に対する敵対的意識との対立、すなわち対内的モラルと対外的モラルとの対立。これこそが「セクショナリズム」の本体である。セクショナリズムの弊害を無くすためには、まず、この家族的感情に根強く由来する家族的結合と、それに固着する内外へのモラルの分裂対立とをなくすことが先決問題である。

 

 エマニュエル・トッド氏が日本を直系家族と分類し、直系家族の特徴として権威主義的であるとしているが、川島武宜氏の「日本社会の家族的構成」を読むと、日本の家族の権威主義的な性格が非常にわかりやすく記載されている。

 ・「権威」による支配と、権威への無条件的服従

 ・個人的行動の欠如と、それに由来するところの個人的責任感の欠如

 ・一切の自主的な批判・反省を許さぬという社会規範

 ・セクショナリズム、その本体である親分子分的結合の家庭的雰囲気と、その外に対する敵対的意識との対立、すなわち内輪の規範と対外的規範の対立。

 

 これらの特徴が未だに日本で見られるのではないか。マスコミなどでは日本は民主主義であり、権威主義とは違うような前提で報道を行っているが、アジア・太平洋戦争終結直後に発表された論文に掲載されている日本の家族的構成の特徴が未だに残っているのではないか。

 自民党には、保守派(右翼)議員などが、教育勅語を賞賛してみたり、日本の家父長制的家族制度を残そうと考えてみたり、民主主義ではなく権威主義をその主義主張としているような議員も存在する。

 世代を追うごとに民主主義的要素が増え、権威主義的要素が減っているだろうが、未だに昭和時代の規範を身につけている人も多いだろう。例えば、子供を自分の所有物のように考え、子供の自由を奪い、自分の考えを押しつける親というのは、毒親などと言われるが、未だに存在している。

 民主主義を自分の価値観であると主張するのであれば、今の日本にこの権威主義的要素が残っていないのかどうか、日本社会を観察しながら考え、改善すべき点があれば改善していくことが必要だろう。

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「民主主義」対「権威主義」ー西側諸国のプロパガンダー

2024-05-03 12:13:05 | 政治
 昨今、マスメディアでしばしば「「民主主義」対「権威主義」」という構図で世界情勢を一刀両断し、民主主義が勝利しなければならないというような単純な意見が見受けられる。しかし、こういう言葉を使う人達は権威主義について深く考えたことがあるのだろうか。

 権威主義とは何か。世界大百科事典を調べてみると次のように書いてある。
「権力が,時に強制力の行使をも予定することによって,自己の優越性を人々に承認させるのに対し,権威はみずから有する価値を社会の大部分の人に自発的に承認されることによって成り立つ。人々は権威者に自発的に信従するだけでなく,自己を対象に積極的に同一化することによって,自己に欠如していると思われる威信を獲得し,補うことができると錯覚することがある。そこでは,権威者の価値体系に疑惑をもったり,不同意であることは反逆とみなされ,大部分の人から冒涜(ぼうとく)であり罪悪であるとされる。このような思考様式を権威主義という。
 権威主義の成立は,支配者にとって権力の正統性なしに統治することの可能性を意味し,権力の不当な行使に対する批判を回避できる。そのために支配者は説得や宣伝を利用して権威主義的支配体制の成立につとめる。前近代的支配体制はつねに権威主義的支配体制であった。神聖ローマ皇帝の支配,法王の支配,家父長制,家産制などがあり,近代日本の天皇制もその範疇に含まれる。

 また、「民主主義と権威主義」という見出しで東京新聞がインタビュー記事を掲載しているが、その中で哲学者の西谷修氏が「「非西洋」敵視する図式」の中で本質的なことを鋭く指摘している。
「「民主主義」対「権威主義」は、民主主義を自称する側が「敵」を名指すための図式です。西洋が普遍化した世界秩序を維持するための新手のイデオロギーです。秩序に服する国々が民主主義、従わない国々は権威主義と規定され非難され、その国の人びとを解放するという話になります。イラク戦争時の「ならず者国家」と同じですね。 」

 さて、歴史人口学者であるエマニュエル・トッド氏は世界の家族類型を分類し、その家族類型から権威主義的か自由主義的か、平等主義的か平等に無関心なのかという特徴を指摘している。「トッド人類史入門 西洋の没落」(エマニュエル・トッド、片山杜秀、佐藤優著、文春新書、2023年)

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○トッドの家族類型
 (親子関係、兄弟関係、内婚制 or 外婚制で分類)

 ・絶対核家族-子供は成人後、親元を離れ、結婚後、独立した世帯を持つ。相続関係は親の遺言で決定。親子関係は自由で、兄弟間の平等に無関心。英米など。
 ・平等主義核家族-英米型と同様に、子供は結婚後、独立した世帯を持つが、相続は子供達の間で平等に男女差別なく分け合う。フランス北部、パリ盆地、スペイン、イタリア南部など。
 ・直系家族-通常は男子長子が結婚後も親と同居し、すべてを相続。親子関係は権威主義的(親の権威に従う)で、兄弟間は不平等。日本、ドイツ、フランス南西部、スウェーデン、ノルウェー、韓国など。
 ・共同体家族-男子が全員、結婚後も親と同居し、家族が一つの巨大な「共同体」となる。相続は兄弟間で平等で、親子関係は権威主義的。
  ・外婚制共同体家族-イトコ婚を認めない共同体家族。ロシア、中国、北インド、フィンランド、ブルガリア、イタリア中部のトスカーナ地方など。。
  ・内婚制共同体家族-イトコ婚を奨励する共同体家族。アラブ地域、トルコ、イランなど。
 ※ 歴史的に最も新しいのは「共同体家族」で、最も原始的なのが「核家族」。

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 家族制度が人々の思想に与える影響は大きい。生まれてから大人になるまで、家族の中で生活し、家族の思考形態などに大きな影響を受けるためである。
 直系家族、共同体家族は親子関係が権威主義的であるため、人々の思考も権威主義的になるだろう。つまり、日本やドイツ、スウェーデン、韓国、ロシア、中国、フィンランド、アラブ地域、トルコ、イランなどは権威主義的なのである。ちなみに、アングロサクソン(イギリス、アメリカ、カナダ、オーストラリア)は絶対核家族、フランスやイタリア南部は平等主義核家族であり、これらの地域は自由主義的であり権威主義的とはされない。
(ちなみにユダヤ人については、直系家族であり、日本やドイツと同様に権威主義的とされている。)

 また、世界大百科事典における権威主義の解説からすれば、キリスト教の権威に帰依するキリスト教原理主義、アメリカであればキリスト教福音派(エヴァンジェリカル、トランプ前大統領の岩盤支持層)も権威主義的である。

 こういった点を深く検討することもなく、「「民主主義」対「権威主義」」という単純な構図を持ち出す人達は一種のプロパガンダをまき散らしているように思える。
 東京新聞の記事で西谷氏は「西洋世界は自分たちが普遍的基準だとの思い込みから抜けられず、いまだに非西洋を追い詰めようとします。権威主義という用語が今またその道具の一つになっているようです。」と鋭く指摘している。つまり、G7などの西側諸国が自分たちにとって都合の悪い国々に対し、権威主義国家と決めつけ、批判しているのである。
 エマニュエル・トッド氏の指摘にあるように、G7諸国でも日本やドイツは権威主義的であり、アメリカのトランプ支持者も権威主義的であるにも関わらず、あたかも西側諸国は自由で民主主義的な国であるという前提で、自省することもなく、敵対国を権威主義国家だとして批判することで、思考停止に陥っているのである。

 日本においては、未だに天皇という存在を象徴とし、日本の最高権威に据えている。マスコミは最大限の敬語を使用し、多くの国民が天皇に頭を垂れるのである。このような日本こそ、権威主義的な国であろう。

 マスコミは国民に対し大きな影響力を有している。日本国憲法で守られている報道の自由や表現の自由をしっかりと守るためにも、マスメディアは単純な決めつけや思考停止に陥るのではなく、事物の本質に迫るような、幅広い知識と深い思考が求められるのである。
 民主主義と権威主義という言葉については、マスメディアのみならず多くの人々が多角的かつより深く思考した上で、理解していく必要がある。
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価値の体系-歴史からの考察-

2023-08-26 11:33:44 | 政治
「発展は、精神的、道徳的な価値に基づいた文明の対話の中で行わなければなりません。そう、文明によって人間やその本質に対する理解は異なります。それは表面上の違いだけであることが多いが、すべての文明が人間の至高の尊厳と精神的本質を認めているのです。そして、最も重要なのは、私たちが未来を築くことができ、また確実に築かなければならない共通の基盤です。
 ここで強調したことは何でしょうか。伝統的な価値観は、すべての人が守らなければならない固定的な決まり事ではありません。そんなことではありません。いわゆる新自由主義的な価値観と異なるのは、それが特定の社会の伝統、文化、歴史的経験に由来するものであるため、どのケースでもユニークであるということです。だから、伝統的な価値観は誰かに押しつけるものではなく、それぞれの国が何世紀にもわたって選択してきたものを大切にするものでなければならないのです。
 これが私たちの理解する伝統的価値観であり、この考え方は人類の大多数に共有され、受け入れられています。東洋、ラテンアメリカ、アフリカ、ユーラシアの伝統的な社会が世界文明の基礎を形成しているのだから、これは論理的なことです。
 民族や文明の特殊性を尊重することは、すべての人の利益に適います。実は、いわゆる西側の利益にもつながるのです。西側は覇権を失い、世界の舞台で急速に少数派になりつつあります。そして、この西側少数民族の文化的独自性に対する権利は、もちろん保障されるべきであり、敬意をもって扱われるべきですが、他のすべての人々の権利と同等であることを強調しておきたいと思います。
 西側のエリートが、何十種類ものジェンダーやゲイパレードのような、私の意見では奇妙でファッショナブルな傾向を、国民や社会の意識に導入できると考えるなら、それはそれでいいのです。好きなようにさせてあげましょう!しかし、彼らには、他人が同じ方向に向くことを要求する権利がないことは確かです。」

 上記の発言は、先入観を持っていなければ、どこかの保守的な人の価値観を物語った言葉と感じるだろう。しかし、この発言は2022年のロシアのヴァルダイ会議におけるプーチン大統領の発言である。(出典「ウクライナ戦争の嘘 米露中北の打算・野望・本音」(手嶋龍一、佐藤優著、中公新書クラレ。p.146~p.147))
 上記の発言はさらに次に続く。

「西側諸国は、人口動態、政治、社会的なプロセスが複雑であることがわかります。もちろん、これは彼らの内輪の話です。ロシアはこれらの問題に干渉しないし、するつもりもありません。西側と違って、私たちは他人の裏庭に干渉しないのです。しかし、私たちはプラグマティズムが勝り、ロシアと真の伝統的な西側、そして他の同等の発展を遂げる極との対話が、多極化する世界秩序の構築に重要な貢献をすることを期待しています。」(同上書 p.147~p.148)

 1976年弱冠25歳にしてソ連の崩壊を、乳児死亡率の異常な増加に着目し、歴史人口学の手法を駆使して預言した書である「最後の転落」を著した歴史人口学者であるエマニュエル・トッド氏は、このプーチン大統領の発言を読んだ後、「英米の覇権主義が、逆説的にもロシア史に新たな普遍的意味合いを与えている」と言及している。(「トッド人類史入門 西洋の没落」 (エマニュエル・トッド、片山杜秀、佐藤優著、文春新書 (電子版p.44))
 さらに、「ロシアは、英米と対抗するなかで、結果的に、世界における「保守的な勢力」を代表するようになり、普遍的な役割を担うようになりました。
 これを私は「普遍主義的特殊主義」と名づけています。特殊性の普遍的な権利、つまり、あらゆる文明、あらゆる国家がそれぞれの在り方で存在する権利を認めていこうという考えです。単一のルールや世界観を一律に押しつける英米のヘゲモニーに挑戦するロシアの普遍主義的特殊主義は、世界におけるロシアの「ソフトパワー」を構成しつつあります。」

 この普遍主義的特殊主義(「つまり、あらゆる文明、あらゆる国家がそれぞれの在り方で存在する権利を認めていこうという考え」)というのは今までの歴史を振り返ると、アレクサンドロス大王の支配や、ローマ帝国、モンゴル帝国などの支配形態に似ているように感じる。

 ローマ帝国の支配については、「ローマ帝国といえば、隣国をどんどん征服して勢力を拡大させていった印象があると思いますが、吸収した国に対して、一方的に支配して自国の価値観を押しつけるようなやり方は好みませんでした。征服した先が持つ独自の言語や宗教、慣習などには干渉しなかったのです。そうすると征服された側も、必要な知識や技術を学ぼうという意思が働き、例えばラテン語などは学んだ方が役に立つと理解され、各国の主体性を重んじながらも分割統治を実現させていきました。」(「古代ローマに学ぶ、組織の繁栄に必要な2つのポイント」
 モンゴル帝国の支配については、「チンギス・カーンは戦術と戦略を駆使し、歴史上最大の土地を統治したモンゴル帝国を樹立させたが、その統治の仕方はとても規制の緩いものであった。前述の「イルになる」という言葉は「仲間になる」と言う意味があり、支配下になった国の文化に自国の文化を強制させるようなことはせず、支配下に置いた国の文化を尊重し、時には支配下に置いた国の良い文化を吸収していたのである。」(「モンゴル帝国のユーラシア興隆史」(多摩大学 2017 年度 インターゼミ アジアダイナミズム班)(pdfファイル))

 自分たちの価値観を押しつけることなく、「伝統的な価値観は誰かに押しつけるものではなく、それぞれの国が何世紀にもわたって選択してきたものを大切にするものでなければならないのです」とするプーチン大統領の言葉に、西側諸国以外の国々が魅力を感じ、それ故、国際法違反であるウクライナ侵攻を行ったロシアへの非難決議には賛成するグローバルサウスの多くの国が、ロシアへの経済制裁等に賛成しないのではないか。
 自分たちの価値観を押しつけてくる西側諸国よりも、それぞれの国の伝統的価値観を尊重するロシアの方が、「普遍的な役割」を担うようになっているのではないだろうか。

 過去の歴史も振り返りながら、西側諸国の行動やロシアの行動を認識、評価することで、グローバルサウスの行動等が理解でき、将来の世界を展望することができるのだろう。
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中国の日本化-中国も長期停滞に陥るのか-

2023-08-14 09:43:23 | 政治
 中国の経済成長に伴い、覇権を脅かされかねないアメリカが中国との戦略的対決姿勢を強めている。さらに、日本でも中国の脅威を煽る報道がほぼ毎日行われ、中国の覇権主義を批判する論調で埋め尽くされているような状況となっている。
 しかし、中国は覇権国家になることができるのだろうか。中国の人口動態を見れば、中国が覇権国家になるのは困難だと感じるだろう。

 まずは、世界の経済状況について見てみよう。日本の生産年齢人口のピークだった1995年と直近の2022年のGDPの状況はどのようになっているか。
 アメリカのGDPは25兆4645億ドルと世界全体の25.4%、つまり、全世界のGDPの1/4をアメリカが生み出しており、現在も覇権国家と言えるような状況である。第2位は中国で18兆1000億ドルで全世界の18.1%を占めているが、驚くべき点は1995年との比較で24倍にもGDPが増えていることである。
 一方で日本は4兆2335億ドルで全世界の4.2%を占めているが、1995年の日本のGDPは5兆ドルを超えており、これは全世界のGDPの18%を占めていたが、2022年のGDPの金額は1995年と比べると76%と減少しており、他の先進国が大きくGDPを上昇させているにもかかわらず、日本だけがGDPが縮小しているのである。これは、人口動態、すなわち生産年齢人口が減り続けている点が大きな理由だと思われる。
 次の図は、世界のGDPに占める各国のGDPの割合を2022年と1995年で比較したものであり、人口ボーナスを終えた日本の割合が大きく低下する一方で、人口ボーナスがあった中国のGDPの占める割合が日本に変わって大きく上昇していることがわかる。




 さて、本題はここからである。

 次の日本と中国の人口ピラミッドの比較を見ると驚きの事実がわかる。
 (中国の人口ピラミッドは、 「人口ピラミッド - 世界の国々の人口ピラミッド 2023」のサイトから引用しています。  
  日本の人口ピラミッドは、「国立社会保障・人口問題研究所」からの引用です。)



 日本の人口ピラミッド(左側の人口ピラミッド)は1975年のもので、団塊世代が20代後半となってり、団塊ジュニアが生まれ始めた時期にあたる。この頃は日本の人口が増え続けていたため、子供は2人までなどと、人口抑制が話題になっていた時代だが、子供は2人までという国やメディアをあげたキャンペーンが効いたのか、1975年以降、日本の合計特殊出生率は2.0を超えることはなかった。しかし、団塊世代の絶対数が多かったため、団塊ジュニア世代も年間200万人を超える世代となっており、人口ボーナスはさらに進むことになった。1950年代以降、1990年までが日本の人口ボーナス期と言われている。
 右側の人口ピラミッドは中国の1995年のものだが、形としては1975年の日本の人口ピラミッドと似ている。人口動態はほぼ確実な統計だと言われているが、その形状がそっくりであれば、日本と同じような社会状況が中国でも生じるのではないか。
 日本の潜在成長率の低下には、生産年齢人口の減少が大きな影響を与えていると言われているが、中国の人口動態は日本に20年程度遅れて動いているように思える。つまり、中国は20年前後遅れて日本と同じような状況になるのではないか。
 歴史人口学者のエマニュエル・トッドによれば、日本は直系家族で中国は共同体家族だという。直系家族は権威主義的であり差別主義的とされ、共同体家族は権威主義的であり平等主義的だとされている。この観点からすれば、日本と中国は権威主義的であるという点で共通している。また、日本には中国の影響で儒教倫理が根付いてる部分があり、倫理的にも日本と中国には共通点がある。人口動態や文化的な背景から、中国も日本と同じような状況になる、つまり中国の日本化が進むように思える。

 次に2020年の中国の人口ピラミッド(右の図)を見てみよう。



 中国の人口ピラミッドを見ると、60歳前後の人口に比べて22歳前後の人口が多く(60歳前後の人達は文化大革命などの影響で餓死者が多く出たために大きく減っている)、日本の就職氷河期(=団塊ジュニアが就職する時期)と同じような構造になっているようにも見える。しかし、56歳以下の人口が非常に多いことから、今後、60歳定年を迎える人口が大幅に増加するため、日本の現状と同じように退職者に対する若手の人数が大幅に少なくなり、人材不足になっていくような状況となっている。
 人口動態から考えると、1995年以降の生産年齢人口が減り始めた日本と同じような状況、つまり潜在成長率の低下に伴う長期的な低迷が中国でも見られることになるのではないかと思われる。日本以上に格差が拡大している中国で、少子化と高齢化が日本と同じように進めば、国内需要が低迷するとともに社会保障費用が増大し、その結果として潜在成長率が低下し、日本と同じような長期停滞が起こる確率が非常に高いように思える。

 更に20年後の人口ピラミッドを見てみよう。



 2040年の中国の人口ピラミッド(推計、右の図)は、2020年の日本の人口ピラミッドと似たような状況になっている。なお、人口動態は、合計特殊出生率か死亡率に大きな変化がなければ、つまり、戦争や感染症によるパンデミック等が発生しない限り、大きく変化しないため、予測値は現実と大幅に乖離することはない。
 日本の経済成長率の低迷は人口動態に大きく影響されているが、中国の人口動態から考えると、中国でも日本化が進むような印象を強く受ける。つまり、中国はこれ以上大きく国力を伸ばすことができず、停滞期に入ってしまうことになるだろう。

 中国の人達の意識が日本よりもイノベーティブで現状維持に止まらないのであれば、つまり設備投資や人材育成、全要素生産性の向上を効果的に行うことができれば中国の成長は続くだろうが、一時報道されていた意欲の低下した中国の若者(寝そべり族)が増加するなど、日本と同じように現状維持バイアスの強い若者が多くなれば、中国は日本と同じような道をたどることになるだろう。

 人口動態をしっかりを認識すれば、中国が覇権を握ることは困難であり、中国脅威論を執拗に煽るマスコミは長期的展望に欠けていると言わざるを得ない。
 中国が日本を反面教師とし、日本化を避けることができれば、中国の国力は強化されるかもしれない。他方で、人口動態は一朝一夕に変わることはないものであり、日本とは次元の異なる経済対策やイノベーションを実行しない限り中国の国力強化は困難であろう。そもそも人口が14億人もいる中国で少子高齢化が進めば、大きなインパクトを伴って潜在成長率も低迷するだろう。そうなれば、中国も日本と同じよに長期停滞に陥る可能性が高いのである。
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報道機関の姿勢-大本営発表を垂れ流した過去の歴史を繰り返す-

2023-07-08 14:57:44 | 政治
 ロシアのウクライナ侵攻をめぐる報道を見ていると、あまりに一方的な報道にウンザリしてしまう。相変わらず、「ウクライナ=善、ロシア=悪」という構図を前提に報道が繰り返されている。
 ノルドストリームの破壊、クレムリンへのドローン攻撃についても、ロシアの自作自演でありロシアの偽旗作戦だという報道から始まり、ウクライナの関与が疑われてもそういう報道はほとんど行われない。
 ウクライナ南部ヘルソン州のロシア支配地域にあるカホフカ・ダムの決壊についても、その原因についての事実関係が確認されていない時点でロシアによる破壊工作というウクライナ側の見解を一斉に報道し、ロシアの仕業だろうというコメンテーターのコメントが垂れ流されている。アメリカやイギリス、ドイツ、フランスなどが原因について全くコメントしていないのはなぜだろう。ロシアの仕業だとすれば、アメリカなどが徹底的にロシア批判を行うにもかかわらず、何ら反応がないのはなぜか、などが報道されることはない。

 ロシアのウクライナ侵攻に関する報道の情報源は、ゼレンスキー大統領の発表を含めウクライナ政府からのものや、イギリスやアメリカの研究機関からのものがメインとなっている。ウクライナ政府の情報をまるで正しいかのように報道する姿勢は、第2次世界大戦において大本営発表を垂れ流した報道と全く変わりが無い。
 戦争当事者の一方であるウクライナの情報全てをさも正しいかのように報道するのは、プロパガンダのまき散らしと同じである。自分たちに不都合な情報をひた隠し、悪事は全てロシアが引き起こしたとするウクライナ政府の発表は、まさにプロパガンダそのものである。一方で、ロシア側の発表が正しいかというと、これもまたプロパガンダに満ちたものだろう。
 ベトナム戦争ではアメリカ人ジャーナリストなどが戦場に入り、事実を報道していたが、今回のウクライナ侵攻に関しては、そのようなジャーナリストは存在しないようである。そういった報道に事実が見られるが、一方当事者の一方的な発表は信じられないというのが、歴史が教えてくれているところである。

 第2次世界大戦、アジア・太平洋戦争において、朝日新聞など日本のマスコミは大本営発表を垂れ流し、国民を戦争に駆り立て続けていた。
 ロシアによるウクライナ侵攻後、ショック・ドクトリンでは無いが、ことさら台湾有事の危険性を煽り、結果として日本政府は財源確保もしないまま防衛費の大幅な増額を決定し、その点について大手のマスコミは、なぜ大幅な防衛費増額が必要なのか、増額分によって自衛隊のどの部分を強化するのか、自衛隊員の定数充足率はどのようになっているのか、少子化が進む中でどのように自衛隊員を確保して防衛力を高めるのかなどの報道を行うことなく、むしろ防衛費の増額は必要だなどと政府広報番組のような報道を繰り返している。

 ゼレンスキー大統領がミンスク合意を反故にしたり、国内の右派勢力の支持が欲しいために右派勢力の主張を外交姿勢に取り入れたりするなど、ゼレンスキー大統領の外交が失敗だったとしても、国際法違反の軍事侵攻を行ったロシアが責められるべきなのは当然である。
 しかし、その後の報道も「ウクライナ=善、ロシア=悪」という前提に立ち、事実関係もウクライナ政府の発表を一方的に垂れ流すなど、日本のマスコミは過去の過ちを反省することなく、また過去の過ちを振り返ることなく、大本営発表を垂れ流した過去と同じような報道を行ってるのである。

 同じスラブ民族であるロシアとウクライナの紛争ですら一方的な報道を行う日本のマスコミ。
 仮に台湾有事が発生し、日本が巻き込まれることになれば、日本のマスコミがどのような報道を行うのかは推測しやすい。中国批判に終始し、アメリカ礼賛を繰り返し、アメリカの同盟国である日本はアメリカと共に行動を取るように主張し、日米側が有利にたてば大衆を大喜びさせるような報道を繰り返し、不利なことがあれば中国側の行動を徹底的に批判する報道を繰り返すだろう。その報道からは日本の国益や日本国民の安全性を確保すべきという観点は欠落していくだろう。

 日本の大手マスコミの傾向は、視聴者・読者が批判するような報道を控え、視聴者・読者が喜ぶような報道を大きく取り扱う、つまり大衆迎合の姿勢を持っている。そして、自分たちが積極的に事実関係を確認することなく、政府のプレスリリースや友好国からの情報、西側メディアの報道を垂れ流す傾向がある。

 今後も、国際紛争をめぐる報道では同じことが繰り返されるだろう。そして、最も恐ろしいことは、日本が国際紛争に巻き込まれたときに日本の大手マスコミが、第2次世界大戦時と同じように、大本営発表の垂れ流しを繰り返すだろうということだ。
 今から80年以上も前の、好戦的な報道を繰り返すことで日本国民に対米戦争をけしかけ、当時の大日本帝国政府が対米戦には勝てないと認識しながらも対米宣戦布告に導いた当時のマスコミの姿は、今の日本でも存在しているように見える。

 国際紛争に関する日本のマスコミ報道について、視聴者・読者が過去の歴史や国際情勢なども念頭にファクトチェックを行う必要があるのだろう。
 当該地域の歴史や民族的な特徴を知ることが一番重要だが、地政学に関する過去の知見や、特に、紛争に関するアメリカなどのG7諸国の利害関係と外交姿勢、そして他方当事国の利害関係などを念頭にマスコミ報道を受けとめる必要がある。マスコミに煽られたあげく、悲惨な状況をもたらした過去の歴史を繰り返さないために。
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