現代へのまなざし

日本とはなにかを探求します。

憲法改正に関する議論-権利の制限-

2013-04-27 13:54:17 | 日記

 日本国憲法の改正を行いたかった自民党保守派が政権を握り、憲法改正論議がマスコミを賑わしている。現在の話題は憲法改正手続きを容易にしようという目的で、憲法第96条に関するものが多い。
 日本では、伝統的に成文化されたものの変更はなかなかなされなかった。それは制定したときの経緯や制定時に知恵を出し合った結果であって、安易に後世の者が変えると、悪い方向に変わるという知恵が働いたためである。今回の改正論議を見ていると知恵の無い政治家が自分たちの都合で憲法を見直そうとしていることがわかる。

 自民党改憲草案を見ると、国民の権利について「公益及び公の秩序に反しない限り」という留保付きで尊重されるようになっている。現憲法では、「公共の福祉に反しない限り」となっており、この公共の福祉については、すべての人の人権がバランスよく保障されるように、人権と人権の衝突を調整することであり、全体の利益のために個人の権利を制限することとは異なる。この「公共の福祉」が「公益及び公の秩序」と変更され、全体主義的な観点から人権を制限できるように自民党は変更しようとしている。
 まさに「お上」が個々人の人権を規制しようという全体主義、集団主義的な考え方であり、さらに、自民党草案では「全て国民は、この憲法を尊重しなければならない。」と憲法遵守義務を全国民に負わしている点を考えると、国民の人権を保障するための憲法から、国民の人権を制限するための憲法に変えようということがわかる。

 憲法に関する知識があれば、つまり憲法が国家権力を制限し、国民の権利を保障するものであるという基本的な知識があれば、自民党の改憲草案が本末転倒なものであるということがわかる。権利を保障するのではなく、権利を制限する憲法というのは、民主主義を基本原則としている先進国には見られない、北朝鮮の憲法のような後進的なものである。
 そういう本質を見抜くためには憲法に関する知識が必要であるが、そういう本質を隠したまま、表面的で浅薄な報道等を繰り返せば、憲法の改正も可能であろう。国民が、自分たちの権利を制限するような憲法に賛成するということがあれば、これこそが「自虐」であろう。「自虐史観」と言われる歴史を否定する人達が、自虐憲法を受け入れるのは、彼らにとっては悲劇ではあるが、知識がある人達から見れば喜劇である。
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