智の庭

庭の草木に季節の移ろいを感じる、日常を描きたい。

「こころ」を読み終えて

2014年09月27日 | 読書、観劇、映画
朝日新聞の連載小説、夏目漱石「こころ」を読み終えて、

私が思春期の一時期、漱石の本を読み漁り、そして、パタリと止めてしまった理由が分かりました。

そこに描かれているのは、インテリの男性の内気な心模様で、

これらについては「なるほど」と肯き、その的確さに唸るようですが、

女性の心は、ほとんど描写されていないので、女性の私は感情移入しずらいのです。

しかも、男性たちは「頭でっかち」に理屈をこね、

私、登場人物と出会っても、恋愛対象になりません。

まあ、その時代、知的階層の人々は、恋愛結婚より見合いが主流でしょうから、

世相を描き、その時代の心を表している、その点では興味深く読みました。



「先生」が妻を娶るまでの経緯と、この女性に恋した親友Kの自殺が、先生の遺書に記されますが、

親友Kの恋心を知りながら、女性を妻にすべく「先生」が先手を打ったことが引き金となってKは自殺し、

先生は罪悪感を抱えて生き、ついには自殺を遂げます。


私は、女性ですから、わずかに描写される、妻となる女性の視点で考えるのです。

この女性は、およそ親友Kを結婚相手に選ぶとは思えません。

先生が行動を起さずに、親友が先にプロポーズしたところで、

この女性とその母親、やんわりと、きっぱりお断りしたと言えます。

Kみたいに堅苦しく、面白みのない人物で、偏屈、不衛生、しかも貧乏ときたら、

結婚したいと思う女性は、ごくごく限られ、迷惑がられるでしょう。


そんな女心は露とも書かれず、先生の鬱々とした感情が並びます。

この先生にしても、帝大卒で財産家であることを差しい引いたら、

「ぐずぐず」悩んでばかりいて「はっきり」煮え切らない性格で、

「魅力的な男」とはいえません。


登場人物に恋することができなかった思春期の私は、

「大人になれば、もっとわかるのかな」と将来の自分に期待しましたが、

歳を経た私が思うことは、文学も男文学と女文学が存在し、

男性による男性のための文学は、女性には、ちょっと物足りない、ということでした。